362:適正化
「ヨーロッパ諸国以外からの輸入……ですか?」
「そうだ、木材で有名な国といえばロシアだが、あの国は未だ内戦中で偽皇帝を倒すにも倒せない状況で手一杯だ……皇帝としても諸外国からの援助はいらぬと申しているが、事実上オスマン帝国との代理戦争で戦わされているようなものさ……」
「あの偽皇帝との戦争ですか?」
「そうだ。故にロシアからも頼ることができない以上、我々は国交のある独自の国家との木材取引をするに至ったわけだ」
ピョートル3世であること自称していたプガチョフは、既に皇帝と呼べるほどの権力と領土を有してしまうほどの国家を形成してしまった。
なんということでしょうとナレーションの声がかかりそうになるぐらいに今現在ロシアの地図は大きな変貌を遂げている。
「正統ロシア帝国政府」と名乗っていたプガチョフは農民や少数民族などに大帝からの温情と称して無税とまではいかないにしろ、ロシア帝国時代の時に比べて税を三分の一にしたり、革新系ロシア正教会のグループやイスラム教の牧師たちに布教活動をさせる許可を出したことで、彼らが積極的に真のロシア皇帝であり民衆を救う救世主だと各地で宣伝しまくった。
露土戦争の混乱によってオスマン帝国の指揮系統から離れたコサック兵士らが軍事教練を行っているらしく、彼らの兵士としての練度が高かったこともあり、ロシアの正規軍を投入しても中々打ち勝つことができないでいる。
そればかりか、それまで静観していた役人や貴族などに酷使されていた農奴、平原を駆けていた遊牧民、軍から離反した兵士達などが挙って正統ロシア帝国に参加して、今現在ではヴォルガ川より東の地域はロシア帝国政府のコントロールから外されてしまった土地となっている。
(木材の高騰も元をたどればロシア帝国内部の政治的混乱によるものが大きい……本物のピョートル3世は開明的な改革主義者の君主だったけどそれ故に既存利益を維持したい貴族やロシア正教会から恨まれていて、妻のエカチェリーナ2世が彼らからの全面的なバックアップを受けてクーデターを起こしてピョートル3世を追放(追放した際に、彼女の愛人だった貴族が牢獄にてピョートル3世を暗殺)したことでロシアの経済改革が頓挫した主要原因といっても過言ではない。針葉樹林地帯であるシベリアも遮断されているような状態で、さらに偽皇帝のほうがロシアの現皇帝よりも民衆からの支持も厚い……偽物が本物を上回っている有様だから、ロシアの威信もこれまた難儀なものだ……今回の高騰の責任は優秀な旦那をクーデターで失脚させたエカチェリーナだよなぁ……やっぱ大戦犯じゃないか……)
まだ偽皇帝であるプガチョフとのホットラインまでは至っていないが、どうやらフランスに対しては好意を抱いている節があるという報告を受けている。
元々ブルボンの改革で貴族や聖職者の利権体制を打開して納税を義務化させたことが好印象を持っているようだ。
とはいえ、ロシア帝国との関係悪化を避けるために水面下での情報交換にとどめている。
それにしても清国まで出兵して賠償金や領土を奪い取ったにも関わらず、反乱によってシベリアへの貿易路を遮断されたロシア帝国……。
ヴォルガ川を使った水上輸送業も大打撃を被っているらしく、水上輸送で成り立っていた輸送業は軒並み廃業か、安全が確保されている偽皇帝側の領土で水上輸送業を再開していると言われており、すでに皇帝に対する威信はボロボロだ。
辛うじて首都サンクトペテルブルグはエカチェリーナ2世のお気に入りの貴族たちによって固められていることもあり調子はいいみたいだが、ロシア第二の都市であるモスクワ(※この時代のモスクワは首都ではない)では反乱機運が高まっているという噂も聞いている。
そんな状態のロシアへの救援案もいくつかあったのだが、情勢不安であることと距離が離れすぎているという地理的問題にぶち当たって積極的な介入はしていない。
強いて言えば、プガチョフ側の真意を問いただしたい事もあり、国土管理局から密偵を数名派遣して潜入任務にあたらせている。
それに、今でこそ自称ピョートル3世のプガチョフが主導する正統ロシア帝国政府であるが、いずれは多国籍民族集合国家として、これまでの貴族社会中心の枠組みを超えて国家の主軸ともいえる領土や人種といった枠組みを取り払い、すべての人間を平等にして理想郷ともいえる集合社会を目指す「人類救世帝国」ないし「集合共同連合」という名称に変更するのではないかとまで噂されている。
本当にその噂通りにやったら完全に加速主義的な宗教国家になるだろう。
ロンドンの革命政府を潰したらプガチョフに対しても警戒しなければならない。
話が少々ずれてしまったが……とにかく、ロシア帝国の木材が頼れない以上、新しい国家から木材を輸入することになる。
「ロシアに成り代わって木材の調達を行う国家……それがマイソール王国だ」
「マイソール王国……あの、インドの友好国ですか?」
「そうだとも。木材の材料なども違うが、かの国は今現在開拓を進めている。その過程で切り出された木材などを我が国が購入して余すことなく使おうという寸法だ。とはいえ、南国の気候で育っている木々であるから木材としての使いかっても異なるだろうし少々使い方に手こずるかもしれない……だが、この木材が到着する1ヶ月後には価格も落ち着いて消費者も生産者も共倒れになるような事態は避けられるようになるだろう」
「あの……一つお聞きしたいのですが、その木材は元から購入するおつもりだったのですか?」
「ああ、マイソール王国への技術支援で輸出した蒸気機関の部品へのお礼として、今後の機械の生産に欠かせない新しい原料と一緒に買い付けたものだ。値段の方は値上がりする前の1.5倍ほどになるだろう」
「1.5倍……」
「たしかにそれでも高いが、我が国を含めた欧州全域での価格高騰と比較すれば価格も安くなるからね。それに、これは『輸入費用』や『人件費』も込みでいれた価格だ」
マイソール王国……ご存知マイソールロケット(我が国では情報の秘匿も踏まえて実験用花火というまどろっこしい名称で研究・生産されている)を供与してくれたマイソール王国から輸入したのだ。
まだまだ未開拓の土地がある一方で、王国の指導者であるハイダル・アリーは先見の明を見据えてフランスへの技術取得の為に技術者を派遣したり、青龍への労働移民を送って我が国との友好を深めているアジアでも親仏国家として名高い。
そんなマイソール王国から定期的にやってくる貿易使節団との面会で、木材の貿易取引が持ちかけられた時には幸運であったと思った。
なにせ木材の需要が供給を追い越してしまい価格が高騰しているということも相まって、使節団が持ち掛けてきたのは値段もかなり安い木材だ。
国内の林業関係者にとっても、これ以上の高騰は生産者も消費者も誰も木材を買わなくなってしまう負のスパイラルに突入しようとしている。
比較的安い木材を一時的に入れて市場価格の安定化に向けた手段としては一理あるし、それに伴う損失の補填なども政府が行うつもりだ。
「地中海経由になりますが……一旦オスマン帝国で陸揚げしてから港で降ろしてもらってから再度フランスの商船に積み込む作業となります。オスマン帝国へ支払う仲介料などもありますが、それを差し引いても木材が入ることで市場価格の安定化に一役買うことが期待できるでしょう」
「かのオスマン帝国がよく交渉に乗ってくれましたね……」
「あくまでも貿易……商売という意味では彼らも利益になる話には食らいついてくるからね。政治と宗教の話を抜きにして利益になると交渉したら応じてくれたのだよ」
この時代、地中海と紅海を結ぶスエズ運河は存在していない。
一応そうした運河の建造計画は史実では皇帝ナポレオン辺りに構想があったらしいが、莫大な費用などが掛かるという理由で断念されている。
なので、今現在アフリカの喜望峰を廻らずに時間短縮で欧州に木材を運ぶにはオスマン帝国を仲介してやったほうがかなり早く到着できる。
オスマン帝国とは何度か戦争したこともあるし、仮想敵国ではあるが新市民政府論主義者に比べれば遥かに理性的だ。
戦争の道具になるようなものは積載していないし、ちゃんとオスマン帝国側の検疫を受けて貿易を行うのでお互いにフェアな条件で貿易を行っている。
そうした状況も踏まえ説明したうえで、改めて農林業組合の方との交渉を進めたのであった。