360:エリゼ宮
会議の場はエリゼ宮殿で行われた。
かつてルイ15世を陰で支えていた公妾ポンパドゥール夫人が暮らしていた宮殿として有名だ。
……現代ではフランス共和国の大統領官邸として使用されていた宮殿だったはず。
将来立憲君主制なり共和国制になるにしても、この宮殿が使われる際にはそうしたお偉いさん方の住まいになるのかもしれない。
宮殿に到着すると、既に会談相手である地主や林業関係者、各民間企業の代表者などが集まっていた。
……いや、それだけではない。
彼らと親しげに挨拶などを交わしていた人物の中に、複数人の弁護士の姿があった。
それも高等裁判所のお墨付きともいえる優秀な弁護士でないと身に着けることが許されないバッヂを誇らしげにつけており、地主たちと仲睦まじい様子で談話を楽しんでいた。
もちろん、俺たちが宮殿に到着したとたんに彼らは真っ先にこちらにやってきて、頭を下げて会談の機会を与えて下さってありがとうございますとお礼を言っていた。
勿論、それが社交辞令だとしても彼らの好意を無下にするわけにはいかないので、こちらもよろしくと言って会談が始まるまでの間に控室移動する。
「弁護士か……彼らもそれなりに本気で挑むつもりのようだね」
「調停として弁護士を雇ったのではないのですか?」
「それも考えられるけど、彼らの利益や権利の主張を考えれば弁護士を雇って資料などを提示するって寸法だよ。彼らだけならこちらでも対応できるが、高等裁判所からお墨付きをもらっているバッチをでかでかと主張しているから、俺たちに対するけん制といってもいいだろう。優秀な弁護士を雇ってでも会談に参加して正当な権利を主張できますという意思表示ってことさ……」
それだけ彼らにも値下げ交渉をされた際に強気で出来るものがあるのだろう。
でなければ高い謝礼金を払って弁護士を雇う必要なんてない。
それに彼らは農林業の中でも強い発言権を有している者達だ。
彼らの大半は農奴制廃止などに反対していたが、国王である俺が自ら陣頭指揮を執ってブルボンの改革を実行すると、反対意見を引っ込めて事業所を作り、ブルボンの改革に従ってくれたのだ。
それ故に、こちら側も彼らの誠実な対応に応じて税の軽減なども行っていた。
「ただ、そこら辺のボンボン貴族と違って、彼らの影響力は大きいのが厄介だな……フランス王室にとっても良い意味で影響を持っているし、何よりも相手も理性的な交渉手段で挑んでいるからな……中々手強いぞ」
「先程の方々……改革派に属しているブドウ農園の方もいらっしゃいましたね」
「そうだ。農園側は今回改革派ではなく向こうの関係者として出席しているからね……派閥が同じといってもこうした会談の場では交渉する相手なんだよね……おまけにシャンパーニュを作っているブドウ農園ときたものだ……」
パリへの薪や建築資材の生産や加工を手掛ける林業と地方のワイン生産者及びワイン醸造所などを併せ持った共同組合を設立した。
それが今回の会議の相手で一番発言力がある『シャンパーニュ地方農林業共同組合』だ。
パリ近郊で農林業が盛んということを生かした産業体制を構築しているということもあって、決して無視することができないのだ。
それに、このシャンパーニュ地方は貴族などの領地ではなく、王が直接領土を有する直轄地という扱いだ。
貴族の領地であれば、事業主である貴族を呼び出して対応に協議をすることもできる。
ただ、直轄地であり基本的に地方の自治に関しては地主を含めた領民に与えているので、国王いえど彼らの主張を侵害することはできない。
そして、最も特筆すべき点は彼らの代表者の全員が貴族ではなく平民層なのだ。
ここで平民層の意見を黙殺して国王の意見を貫き通すことになれば国王への不信につながる。
つまり、この会談の場は政府上層部のトップに君臨する国王である俺と、フランス国民の98パーセント以上を占める平民層との直接会って話し合う場でもあるのだ。
なので、こちらとしても彼らの意見や主張を無下にすることなく尊重しながらも、双方の折り合いを見出すために会談の場で交渉もするつもりだ。
幸い、財務長官であるネッケル長官も同席してくれるし、パリ市長といった行政トップも出席して溝がある場合には可能な限り埋める。
「相手の人達の事を考えれば、俺たちは政府の代表者として真摯に対応をしなければならない……それに、今回の相手はシャンパーニュワインを手掛けているブドウ農園やワイン醸造所といった人達もいるからね……」
「シャンパーニュ……最近はあまり飲んでいませんものね……今年は冷夏になっていることもあってブドウの実りも悪いと聞きます」
「ああ、それも鑑みてもシャンパーニュ地方で利益を出していたブドウやワインも今年はあまり利益が見込めないからね……仮に出来上がったとしても実りが悪いとなればワインの品質にも悪影響を及ぼすと思う。そうなればブドウやワインの損失を林業などに補填しようとする気持ちもわからなくはないんだけどねぇ……いかせん木材の価格がこれ以上高騰してしまうと復興事業の足枷になってしまうから何としても改善しないと……」
「そうですね、確かに彼らの主張や考え方もわかりますが、これ以上の価格高騰は他の地域も踏まえて」
特にシャンパーニュワインを手掛けているだけあって、このシャンパーニュワインの愛好会が国内の貴族だけでなくブルジョワジーや諸外国に沢山いる。
かく言う俺やアントワネットもこのシャンパーニュが大好きだ。
しゅわしゅわとした感触と、程よい酸味で口の中ではじけ飛ぶ炭酸が好きだ。
しかしながらこのシャンパーニュ、生産本数が限られており希少性が高いので生産本数も現代と比べて低いのだ。
そんな高級品であるシャンパーニュの利益が見込めないとなれば農園やワイン醸造所は、生産量がさらに減少してそれまで賄っていた利益を確保するために、林業などで物資不足が起きているパリや寒冷化に伴い、燃料となる木材の伐採を加速させていくだろう。
現に、農業だけではなく林業でも力を付けているということもあって、シャンパーニュというブランドを生かして地域産業の活性化などに力を入れている証拠でもある。
「他の事業所はどうなのでしょうか?シャンパーニュはまだうまくいっている方だと思いますが……」
「林業関係者も複数人いたし、きっとそうした人達から陳情という形で値段を下げることに対して反対意見を述べてくるんじゃないかな?農業が不作なうえにパリ大火によって復興資源が欲しい状況であるなら値段を上げることもわかるし……だけど、流石に値段が上がりすぎれば復興事業にも支障をきたしてしまうからね……ちゃんと話し合って今日中にお互いの意見を交わした上で決めたいね」
「そうですわね……このまま双方が行き違いをしたままではいけませんし……これから先の事を考えれば意見を交えることは大事なことだと思いますわ」
「……さて、そろそろ会議室に場所を移動する頃合いだね。行こうかアントワネット」
「ええ、オーギュスト様!行きましょう!」
会議の場は午後1時……あと10分後に始める。
事前に渡された資料を持ち込んで、アントワネットと一緒に会議室に入室するのであった。