357:倫敦潜入(下)
……。
1779年7月17日 午前1時45分
旧ロンドン塔こと化学総合開発局が運用している蒸気機関を動かす水車が、テムズ川の流れに沿ってガラガラと音を立てている。
一定のリズムで回っていることもあり、常に水がかき回される音が周囲に響いている。
城壁には警備を担当している兵士達がいるが、空は雲で覆いつくされており、灯りも殆どない。
ランタンなどを持ち歩き、時にはランタンの灯りを借りて支給品のタバコに火をつけて束の間の休息を楽しんでいる者もいる。
「ここ最近配給の干し肉が少なくなったな……夕飯の肉の切り身が4つから3つになっていたぞ」
「なんせ中部の牧草地帯が王国軍に奪われたからな……それに、火山の噴火で気温が下がって夏に収穫できる野菜も育成不良を起こしているそうだ」
「まったく……ただでさえ物資不足が酷くなり始めたからな……ヨーロッパ全域でロンドンを締め付ける気か……」
「それでも俺はティータイムで紅茶を一杯、砂糖をまぶしたビスケットが食べればいいけどな」
兵士達は会話に夢中で水辺をあまり気にしない。
戦場の最前線ならともかく、ここは戦場から遠く離れた場所。
それに、化学総合開発局にて開発・製造された爆弾が大戦果を挙げたことで、急遽大量生産体制を整えるようにと蒸気機関の生産を急いでいるほどであった。
ここを警備している守備兵の大部分が、実戦を経験しておらず反乱勃発時に王国軍の蛮行を見てしまったために離反した兵士達。
正規兵とはいえ、正門などの重要警備を任されていない彼らにとって、気が抜けたように緩い警備をしていた。
その証拠に、城壁の物陰になる部分に隠れて元々ロンドン塔を警備していた近衛兵の私物であるスコッチをコップに注いで談話をしていたのだ。
「それにしても、オックスフォードの戦いではわが軍の大勝利に終わったそうだな。この調子で行けば勝てるぜ!」
「一時はどうなることかと思っていたが……プロイセン王国軍の主力部隊を撃破して退けることが出来たからな。相手も軍の再編成に時間が掛かるはずさ」
「あとは爆弾をたくさん作って奴らにお見舞いするだけか……クククッ、早く蒸気機関が到着して欲しいものだが、まだ時間はかかるのか?」
「ああ、早くても二週間はかかるそうだ……ほら、資材などを自由民兵側の武器製造に回しているから足りないってさ」
「正規兵だけでじゃなくて、国民全員を兵士にするとはな……上のお考えもかなりすごいな」
国民平等軍の強みは兵士の数にある。
元農奴や貧民出身の兵士が大多数を占めていることもあり、その数は70万人規模となっている。
これに加えて各占領地域から12歳以上の老若男女問わず簡単な近接戦闘訓練を行っており、農作業用の鎌や鉄や銅などを溶かして木の棒の先端に鋭利な刃物に換装させた槍などで訓練をするように義務化したのだ。
これが国民平等軍が組織した「自由民兵」である。
グレートブリテン王国による奪還を阻止するべく、全ての国民は身分などを平等にした上で貴族・王族支配からの脱却を目指す国民平等政府の思想により、住民を巻き込んだ徹底抗戦が呼びかけられた。
軍事教練と称して槍の扱い方、そして敵を誘い込んでの奇襲攻撃……。
マンチェスターにおける戦いでは、この教練が市民にも徹底されていたが、強力な欧州協定機構加盟軍に次々と制圧されて、最終的に都市を奪還される事態となった。
故に、最後の一人になっても貴族や王からの圧政から立ち向かうべく、戦うことを美徳とする洗脳教練も刷り込まれたのだ。
結果、オックスフォードの戦いでは国民平等軍が勝利をすることができた。
爆弾を製造したことも大きいが、立て直しを図られる前に市民によって編成された自由民兵は、数で相手を圧倒し、孤立した部隊などを中心に容赦なく槍などで刺殺していったのだ。
この成功を機に、国民平等軍はロンドンを除く全占領地域において槍などを全ての国民に行き届くように近接武器の製造を命じたのだ。
総力戦による根こそぎ動員を行った結果、圧倒的に武器が足りなくなったのだ。
これは兵士たちも同様であった。
正規兵が保有しているマスケット銃も、40年以上前に作られた旧式のものや、作りが簡素な火縄銃なども倉庫に眠っていたものを引っ張り出してきたのだ。
それでも足りないという事態になっているので、最前線やロンドンの要所の兵士以外は中世時代の甲冑などを身にまとって警備をしているほどだ。
「そうか……でも、あと二週間後には大量に爆弾を作ることができるならいいじゃないか」
「ああ、だからそれまでは礼拝堂で爆弾作りだよ……」
「まったく……さ、そろそろ巡回するぞ。これ以上サボると連隊長からどやされちまう」
「おっと、そうだな……じゃあ、話の続きは2時間後だな」
談話をしていた兵士たちはサボるのをやめて巡回を再開しようとした。
しかし、彼らが巡回を再開することはなかった。
城壁や塔から死角になった場所で次々と兵士が後頭部を殴られたり、首を絞められてから倒されていったのだ。
ズルズルと引きずられていく彼らの口元をタオルで塞ぎ、縄で両手足を縛り上げる。
物陰に移動させると、巡回の兵士と同じ格好をしたアンソニー達がいたのだ。
「……それにしても口の軽い兵士で助かったな……場所を探す手間も省けた」
「ですね……礼拝堂は資材置場と記載されておりましたが、大規模な改装工事を行っていたのですね」
「それに、外壁では見えづらいからな……それじゃあ、今から始めるとするか。化学総合開発局はそっちで任せる。俺は礼拝堂に仕掛けておく」
「分かりました……お気を付けて……」
アンソニー達はそれぞれに分かれて爆弾を持って礼拝堂に向かう。
手慣れの諜報員いえど、本格的な破壊工作を行うのは久しぶりであった。
アンソニーも金塊侯爵事件以来、捜査事件などを担当していたこともあってか、久しぶりの破壊活動に緊張していた。
それでもなお、彼が仕事をこなせるのはフランスに残したジャンヌを想い、気持ちを奮い立たせて行っていたのだ。
フランスの有名な時計職人が作った時限発火装置が組み込まれている四方形の爆弾を包み、何食わぬ顔で平然と歩哨の巡回ルートに沿って歩いていく。
「ここが礼拝堂か……」
「ええ、例の蒸気機関の動力源になっているパイプも礼拝堂に繋がっております。ほぼ間違いなくこちらに製造工場があるでしょう」
「見張りは2人……同時に倒すぞ」
手慣れた手つきで部下と共に見張りの兵士を殴りつけて気絶させる。
他の巡回の兵士に気づかれないように手早く縄で縛り上げてからゴミ箱の中に兵士を捨てると、爆弾を製造している礼拝堂に足を踏み入れた。
そこでアンソニーは目を疑う光景を目の当たりにする。
ロウソクの小さい灯りを頼りに子供達が砕けたリンなどの鉱石を必死に調合して金属の型で出来上がった筒に爆薬を入れる作業が繰り広げられていたのだ。
そして監督官と思われる大人が機械に指先を巻き込まれて血を流して悶絶している13歳ぐらいの女の子に蹴りだけでなく鞭を打ち付けて叫んでいた。
「手を休めるな!例え指先がちぎれても作業を続けろ!」
「ひぃぃぃっ、ごめんなさい!ごめんなさい!」
「お前たちは貴族の子供だ!薄汚れた王室に忠誠を誓っていた汚らわしい者達の血筋を崇めていた親に育てられたのだ!教育の機会を与えただけでなく、飯を食わせて命を延命させてくれたハリソン様への恩義と忠誠を忘れるな!」
監督官は女の子の顔に痣ができるまで暴力を振るったあと、立ち上がった女の子がフラフラしている事が根性が足りないと激高し、さらに頭を二発ほど拳で殴りつけたのだ。
ベギン、ベギンと身体を痛めつける音が礼拝堂に響き渡り、他の子供達も殴られないように必死でちらりと女の子を横目を見ながら持ち場について働いている。
女の子は泣きながら監督官に謝り、血まみれの手で機械を操作していくのだ。
「まったく……貴族の子供はこの程度で殴りつけただけでふらつくとはな……何とも脆いものだ。許可さえあればもっと身体を使って指導してやったのになぁ……この仕事も役得ってもんだ。あとで指導と称して味見することができるからな……それまでの辛抱だ。にしても夜間の時間は監督官の当番が一人なのが辛いよな……まったく、おちおち居眠りしたり楽しむことも出来やしない……クククッ、ガハハハッ!」
監督官はそう文句をブツブツと言いながら辺りを一望できる椅子に座って作業を眺めている。
椅子の傍にある瓶にはスコッチが入っており、仕事の支障にならない程度に飲みながら子供達に暴力を振るう。
「くぅ~っ、やはりスコッチが最高に痺れるな、眠気覚ましにはぴったりだ。おい、8番!もっと手を動かせ!鞭で打たれたいか?あ”ぁ”っ”……!」
監督官の汚い笑い声と指示が飛び交っていたが、突然怒号が止んで静かになる。
ふと、子供達が監督官を見てみると、監督官の首が曲がってはいけない角度で曲がり、床に倒れていたのだ。
そこにはゴミを見るような目で監督官を見つめているアンソニーの姿があった。
「……計画を一部変更するぞ……」