351:和平か、殲滅か
ナトリウムやらリンを使って爆弾を作り、それを使って自爆テロまがいの事をしてくるとはな……国民平等軍もそれだけ切羽詰まっているというわけか。
いやまて……国民平等軍が、これだけ威力の高い爆薬を起爆させているのであれば、ダイナマイトに近い起爆性を含んだ化学合成物質を作っているのではないだろうか?
……それが出来そうな人物であれば、一人心当たりがある。
ハウザーの耳元で俺は囁く。
「……内務公安部のイギリス調査班に”ジョゼフ・プリーストリー”に関して最新の情報を持っていないか確認してくれ……どうも嫌な予感がする……」
ジョゼフ・プリーストリー……化学者として名をはせた人物であり、酸素を発見した功績を持っている。
史実でもフランス革命を支持したことで民衆の反感を買ってしまい、アメリカに亡命をしたそうだがこの世界では国民平等政府に協力し、同じく革命に参加している化学者たちを取り入れてもらい、化学分野の最高責任者になっていたはずだ。
もしかしたら、彼が偶発的にニトログリセリンのような爆発物を発明した可能性がある。
これが仮に当たっていたとしたら……ああ、また頭痛の種が増えそうだ。
「畏まりました、資料をお持ちしますので少しお待ちくださいませ」
そう言ってハウザーは一旦会議室を退席し、その間に軍事的損失をどうやって埋め合わせを行うかという戦略的な話を切り出す。
プロイセン王国軍がやられたとなれば、当然グレートブリテン軍やノルウェー軍、スウェーデン軍の主力部隊が対応をしなければならない。
ただ、距離の問題で真っ先に援軍を派遣できるのはわが軍しかいない。
「……さて、戦局はひっ迫してしまっている。我が国の安定と平和を維持していく上でも救援を行うべきか否か……レビ大臣、君の意見を聞きたい」
「はっ、私としましては救援の為に陸軍戦力の一部投入を行うべきだと進言致します。このままではバーミンガム辺りまで撤退するでしょう。それに、これ以上プロイセン王国軍で犠牲者が増えるような事態になれば王国の権威は瓦解し、グレートブリテン王国の二の舞になるやもしれません。一斉攻撃が失敗したとなれば、各個撃破を目論んで追撃してくる可能性もあります。バーミンガムにて徹底した防衛を行えば、一時的な休戦にこぎつけることができるかもしれません」
ここで頭の中で一瞬ロンドンへの強襲上陸も考えたが、恐らくロンドンは守りを最大限に固めているだろう。
それに、国家総動員法よりもさらに厳しい全国民根こそぎ動員を行っている彼らが死に物狂いで戦ってくるとなれば、その総兵力は200万人を超えるだろう。
ロンドン攻略が不可となれば、せめて落としどころとして数年間の休戦期間を設けておくのはどうだろうかという流れになる。
国民平等政府の被害も大きいが、グレートブリテン王国やプロイセン王国軍の被害はさらに大きい。
すでにグレートブリテン王国内部でも、今後の王国の将来を憂いて身売りを考えている植民地が多いと聞く。
大西洋諸島やアフリカの地域では、減少していく利益に反比例して本国からの納税増額要請が通知されていき、収入の減少が問題になっているという報告すらある。
なので、これ以上グレートブリテン王国の混乱が長引けば、植民地が反乱ないし独立を宣言する可能性もあるのだ。
「すでに今回の戦争でグレートブリテン王国が保有している債権会社や貿易会社は崩壊寸前……ネッケル長官、今現在のグレートブリテン王国の経済的な力は内戦前と比べてどのくらい残っているのだ?」
「はっ……おおよそではありますが、内戦前の10分の1にも満たないです……もう既に大手の貿易会社や銀行は諸外国や植民地の方に避難しましたし、ロンドンの証券会社や銀行の資産を接収されたこともあって、今はグレートブリテン王国に投資や資産を預けようとする者はおりません。残っているのは国営企業や中小企業の中でも脱出できずに仕方なく続けている者達だけですよ」
「そうか……では、いずれにしてももうグレートブリテン王国が諸外国に食い物にされるのは時間の問題というわけか……」
「はい、すでにグレートブリテン王国の経済状況を例えるなら瀕死の病人と呼ぶに相応しい程に悲惨です。数十万人もの難民・亡命者が我が国を含めて欧州各国にやってきておりますし、資本も逃げております。それにラキ火山の噴火も合わせれば復興を行うにしても内戦前の水準に戻るのは数十年の歳月が掛かるでしょう」
ネッケル長官から口に出された瀕死の病人というフレーズ……。
まるでオスマン帝国の終焉を見ているような錯覚に陥る。
あの国も晩年は第一次世界大戦に敗れて各国の植民地と化した結果、各地のアラブ諸国の一斉反乱とムスタファ・ケマル・アタテュルクによる共和国設立を持って600年以上にわたり中東や東欧の大部分を支配していた帝国の歴史に終止符が打たれたのだ。
今のグレートブリテン王国はどうなっている?
スコットランドに逃げ込んだ王室は辛うじて権威を維持しているが、既に民衆からの支持はボロボロだ。
新大陸動乱における大規模な作戦の失敗と投資の回収ができなくなり、国内の不満が爆発する形で革命政府まで登場してしまった。
辛うじて大国の意地として植民地の総督は従っているが、このまま衰退が続けば身売りか他国による侵略の格好の的になるだろう。
残念ながら俺でもこのグレートブリテン王国の完全な立て直しは難しいと思っている。
そしてロンドンでは国民平等政府という身分制度を無くして平等に扱うという外見から見れば理想的な国家体制を築くことを謳っている。
……が、実際には王室や貴族や聖職者だけではなく平民でも裕福な資本家の資産を没収し、体制打倒と自分達の信仰しているイデオロギーを拡散させるための武力闘争路線へと走っているのだ。
狂信的ともいえる極端な平等主義思想を掲げており、彼らに異議をしたものは子供であっても思想矯正を施されるほどの徹底した管理社会の構築を進めているそうだ。
どこぞのジョージ・オーウェルのディストピア小説かと言いたくなったが、彼もそういえばイギリス出身だったな……。
この世界では彼は生まれてくるかどうかわからないが、史実よりグレートブリテン王国が衰退するのは確実だろう。
そして、これ以上の犠牲を防ぐために追加の派兵を行うとしたら何人必要なのかレビ大臣に尋ねる。
「なるほど……ただ、それだとこちらも犠牲も覚悟しなければならないな……追加投入するとすれば、陸軍は何人まで投入できる?」
「はっ、現在パリ大火で復興作業に当たっている部隊を除くと……陸軍では約4千人を投入できます。おおよそ一個師団規模です」
「一個師団か……それ以上は厳しいか?」
「はい、これ以上となると国土を守るのに必要な兵士の数を上回ってしまいます。海軍の部隊を合わせて最大で二個師団といった感じでしょうか」
もしパリ大火が無ければ三個、いやあるいは四個師団を投入できたかもしれない。
二個師団いえど、しっかりと軍事教練を学んで鍛え上げた精鋭だ。
そこら辺の民兵とは違う……と言いたいところだが、かの陸軍精鋭国家のプロイセン王国軍が武装市民の襲撃を受けて戦闘員が全滅した現状を踏まえれば、追加戦力を派遣して防衛をしたほうがいいのかもしれない。
陸軍だけではなく海軍とセットで行動するとなれば合同作戦立案計画も立てなければ……。
ハウザーが資料を持ってくるまでの間、何とも言えない空気が会議室に鎮座したのであった。