348:休息
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1779年4月26日
フランス アンギャン・レ・バン
温泉療法の休養地として知られているアンギャン・レ・バン。
日頃の職務に対する休息も兼ねて、温泉にやってまいりました。
オーギュスト様が温泉療法として活用したこの施設の周辺には、今では多くの観光客向けのお店や料理店が立ち並ぶようになっています。
今現在は火山の噴火の影響も相俟って不景気……かと思いきや、温泉を訪れる観光客が増えているそうです。
パリ大火やラキ火山の噴火といった災害が続いたことで精神的に病む人が増えている中で、この時期に少しでも心の治療法としてお酒などではなく、体を温めて治療を行う温泉療法が注目を浴びているのです。
フランスではここ数年の間に50を超える王国公認の温泉保養施設が誕生し、各地で入浴治療という方法が試されている模様です。
かく言う私たちも、主にオーギュスト様の心のケアも兼ねて温泉療法を試しにやってきたのです。
やはりここ最近の混乱続きでそうとう心が疲弊したのでしょう。
仕事が終われば娘達よりも早くベッドでダイブして爆睡することが多くなったのです。
流石に私も心配になってランバル公妃やルイーズ、それに宮廷の医師たちやサンソン先生に相談した時には「政治などの事はこちらで任せても大丈夫ですので、一日だけでもいいからしっかりとご静養なさるように王妃様からお伝え願えますか?」と言われるほどです。
私はお疲れのままではお身体に悪い等の理由を並べた上でオーギュスト様とテレーズやジョセフを連れ出してアンギャン・レ・バンに向かったのです。
私たちを出迎えてくれたのはアンギャン・レ・バンの施設長とこの辺り一帯の行政責任者である市長と、村長の三人です。
本来であれば従業員や村の人たちを集めて盛大に歓迎式をしますが、今は流石にそのように盛大な歓迎式はせずに粛々と行う、大変質素な様式へと変わっていったのです。
「お久しぶりでございます陛下、王妃様!」
「おお、出迎えありがとう。一泊していくけど、何分よろしく頼むよ」
「ええ!我々も全力で尽くさせて頂きます!」
「それにしても相変わらず静かな場所だなぁ……しかし、本当に貸切でいいのかい?本来なら一般の人も楽しみにしていただろうに……」
「はい、ですが防犯上の理由で貸切のほうが安全ですからね。施設の周辺は厳重な警備体制を敷いております。こちらにやってきた方には代わりの温泉療法施設の割引券などを配布しております。貸切ですが、陛下のご要望通り、晩餐も質素な料理とさせて頂きます」
一般向けの大衆浴場も作られていますが、最初期に作られた「静養の湯」は王室御用達ということもあり、完全予約制となっているそうです。
なんでも予約を行うのに1年待ちなんだとか……。
一応一般市民でも入浴ができますが、その分不純異性交遊などが起きないように見張りの者がついて、温泉の入り方などをレクチャーを義務化していることもあり、作法としては少々厳しいとして有名です。
到着してから早速温泉に浸かることにしました。
ヴェルサイユ宮殿からアンギャン・レ・バンまでは馬車で二時間ほど掛かるので、その間はずっと揺れっぱなしで疲れてしまいました。
やはり疲れてしまっているときには入浴でスッキリとするのが一番です。
服を脱ぎ、タオルを巻いて子供達も連れて露天風呂にやってまいりました。
オーギュスト様が指示を出して作らせた日本風の露天風呂は相変わらず綺麗ですね。
そして、露天風呂には新しく別のお風呂も備え付けられておりました。
「おっ、これは子供用のお風呂かい?」
「はい、小さいお子様をお連れにやってくるお客様が増えてきましたので、ご家族で安全に入浴を楽しめるようにと新たに増設致しました。それではごゆるりとお楽しみくださいませ」
子供用の露天風呂というのもちょっと贅沢な感じですが、やはり見守りの者もいるのは心強いですわね。
フランスでも入浴の風習が広がり始めているので、最初にフランスに嫁いで来た時よりも体臭のキツイ人も少なくなってきた気がします。
元々フランスでも入浴の風習があったみたいですが、お風呂場で淫らな行為に耽って性感染症が蔓延したり、何日も排水していない汚い水を使い回しにしていたせいでペストや水疱瘡などの病気の培養場と化してしまったこともあり、入浴を行うことをしなくなってしまったとオーギュスト様は語っております。
「……まぁ、フランス人がお風呂に入らないんじゃなくて、パリとかの都市部では綺麗な水を確保するのが難しかったというのが根本的な問題だね……」
「なるほど……では、こうして入浴をするようになったのもお水を綺麗に変えているお陰というわけですね」
「そういうことだね。今ではパリ市民にも入浴の風習が根付いてきたから、いずれはパリの街中にも公衆浴場が立ち並ぶことも夢ではないね」
温泉に入っているときのオーギュスト様はかなりご機嫌です。
ここ最近はパリ大火やラキ火山の噴火といった重大な局面に立たされたこともあって、お休みが取れる時間が殆どありませんでした。
やっとパリ大火の状況も、噴火の影響も少し改善できたので静養も兼ねてアンギャン・レ・バンにやってきたのです。
「外はまだまだ寒いからね……こうしてお湯に浸かるだけでも気持ちがいいものだ……」
「本当ですねぇ……もう4月後半ですけど、中々気温が上がりませんものね……」
「ああ、今年は例年と違って間違いなく寒くなる……だからワインの出来も悪いだろうし、食事の内容も質素になるけど……アントワネットは大丈夫かい?」
「ええ、皆さんが大変な時期に贅沢をしているような言動や行動は流石に慎みますよ。きっとお母様も同じようにしたでしょう」
静養といっても、例年であればショコラのお菓子やシャンペンなどで飲食を伴って温泉に入ることも出来ましたが、今年はあくまでも静養が目的なので、そうしたお菓子やお酒の類は提供は無しになりました。
代わりに、温泉のお湯を持ち帰って飲むことになったのです。
古くから温泉のお湯を飲んで治療する方法もあると聞きますし、プロイセンなどではそうした治療法も有名みたいですからね。
以前の私であれば……。
きっとこうした我慢には耐え切れなかったかもしれません。
どこかで気持ちが弾けてしまって、お菓子を食べたりして発散をしていたかもしれない。
でも、そんなことをすれば人々にとって嫌な王妃だと宣伝しているようなものです。
そうしたことがないように、私も自制をしなければなりません。
ふと、隣の子供用の温泉に入っているテレーズが大きな声でジョセフを叱っていました。
「あっ、ジョセフ!お湯を飲んじゃだめでしょ!」
「あははは、おいしい!」
「あー、ジョセフ……温泉のお湯は飲みすぎるとお腹痛くなっちゃうから飲んじゃだめだよ?」
「はーい!」
「もー、お父様ももっとジョセフに言ってくださいよー!危ないって!」
「ごめんごめん、でもちゃんと面倒を見てくれてありがとうテレーズ。それに後ろに係の人がいるから何かあったらすぐに駆けつけてくれるから大丈夫だよ」
ぷんぷんと怒っているテレーズをオーギュスト様は慰めてくれておりました。
テレーズがジョセフを心配して怒ってくれているので、私としても安心しましたが、同時に入浴中に溺れないように、施設の係をしている者が傍にいるので大丈夫でしょう。
テレーズやジョセフも温泉に入っておりますが、二人とも和気あいあいとしながら温泉を楽しんでいます。
一泊だけじゃなくて、もう二泊、三泊でもいいからこの時間をゆっくりと過ごしたいですね。
日々を疲れを癒す温泉……。
私たち家族はその日一日中誰にも邪魔されない水入らずの時間を過ごしたのでした。