339:作物転換
それにしても薄暗い部屋を照らしているのはロウソクだ。
まだ正午過ぎだというのに、ロウソクを付けないと見えにくい程に暗い。
転生前……高校生の時に皆既日食を見たことがあるが、その時も外はこんな感じに暗かったような気がする。
あの時は授業中だったけど、学校の先生が皆既日食をみんなで見るぞ!と張り切って外に集まってみたな。
これがラキ火山が噴火した結果、引き起こされた現象だと考えるととても興味深い。
アントワネットはこうした噴火の恐ろしさを聞いているのか、ここ数日はテレーズやジョセフと一緒に過ごしている時間が長い。
今日もアントワネットは留守番……というより、大きくなったジョセフとブリジットから勉強を教わっているテレーズの面倒を見たいと申し出てきたのだ。
「オーギュスト様、私はテレーズとジョセフの面倒を見ておきますわ……このような状況では式典も視察も中止でしょうし……」
「ああ、外はこんな調子だからね……この霧が改善されるまでは野外での式典や視察も中止になっているから、テレーズとジョセフの面倒をお願いしてもいいかな?」
「ええ、任せてください!たまには乳母さんたちにも休ませる時間が必要ですわ。それに、テレーズとも親子として話がしたいですし」
「わかった。俺もなるべく早く仕事を終わらせておくよ。そうすれば午後3時前までには終わりそうだ」
「分かりました。では、お仕事頑張ってください!」
……と、アントワネットは満面の笑みで見送ってくれたのだが、それでも午後3時までに仕事は終わりそう……かな?
外がこんな状態では建設記念式典や工場の視察も出来ない。
恐らく、ヨーロッパ各地で人々はこの不気味な太陽を見て、恐れを感じているのだろう。
世界の終わりが訪れたとか、世紀末的光景とか、神がブチ切れたとか……色んな意見を述べている人がいたぐらいだ。
野外に出る人は、二酸化硫黄を肺に吸い込んで呼吸器疾患に罹患しないようにマスクを着用して外出しているが、殆どの人は室内に留まっている。
まだ作物の収穫時期である夏場や秋に起きなくて良かった。
史実のラキ火山が噴火した際は6月ごろだったはずで、この年に収穫予定であった夏野菜の収穫量は悲惨な状況だったらしく、ワインも品質がガタ落ちした挙句穀類も価格高騰によって値上がりが高止まりのままであったそうだ。
「これがラキ火山の噴火に伴う寒冷化現象の始まりか……しばらくは夏野菜も萎びたような育成不良状態になるだろうから、あまり美味しくはないだろうなぁ……それに、小麦は当面の間控えて大麦パンを食べるしかないな」
寒冷化は避けて通れないが、それでもフランスにはそれを見越した対策を半年かけてやってきたのだ。
大根やほうれん草、小松菜といった寒冷地向けの野菜や、大麦への転換を含めて各地で去年のラキ火山の活発化に伴って準備と対策をしていた。
LK計画をはじめ、各関連省庁や市町村、それに直接的な影響が少ないと思われるサン=ドマングや青龍の辺りには貿易を活発化させるように設備投資もガンガン入れている。
サン=ドマングに至っては、北米連合国との貿易によって拡大を続けており、かの国との貿易も順調だ。
しかし……ラキ火山が噴火したことで、アメリカでも夏が異常に短くて冬が物凄く寒い状態に陥るほどの異常気象が起こったとベンジャミン・フランクリンが書いていたぐらいだから……。
アメリカでも被害が起こるのは必須だ。
もし北米連合国との取引が減少した場合には、フランス本国にコーヒー豆を含めた食糧を送るように促しておこう。
ただし、現地で飢餓が発生した場合はそちらに食糧を回すことを定めておく必要があるな。
アイルランドみたいに国民が飢餓で飢えているのに主食のジャガイモまでも輸出してアイルランド国内で人々が餓死しまくるというジャガイモ飢饉の再来だけは防がなくては……。
あの飢饉のせいで数十万人が死亡し、優秀なアイルランド人はアメリカや南米に移住してしまったゆえに、現代になってもアイルランドではジャガイモ飢饉が起こる前までの人口を回復していないと言われているからね。
乾燥して持ち込んでくる穀類や豆類、さらに物々交換で入ってくるであろうマイソール王国産の胡椒やカレー粉……ではなくスパイスの香辛料なども大いに助けになるだろう。
ブイヨンスープといったお湯に溶かせばスープが簡単に作れたり、ザワークラウトのように野菜なども摂取できるようにすれば栄養失調になったり脚気や壊血病になる事も減るだろう。
あと、貧困層や先日のパリ大火によって家や仕事を無くした人達向けの食糧支援を優先的に行うべきだよね。
予め想定されることを挙げて実施予定であったが……こうも早くに噴火してしまうと色々と次から次へと問題になりそうなことやそれに対抗するためのアイデアが同時進行で浮かんでくる。
これから寒冷化になってしまうことを考えれば、数年単位で夏場になってもあまり暑くない冷夏状態となるから作物だって例年よりも収穫出来ないだろう。
そんな状態でパーティーを開いて豪勢なものを貴族や王族がたらふく食べている……なんて事態になれば信用問題に発展するのは目に見えている。
なので、しばらくはパーティーは無しだ。
その代わり、アントワネットやテレーズ、ジョセフと一緒に過ごせる時間を過ごしたり、パリ大火で家を失っている人達に向けて集合住宅の建設も加速させないといけない。
パリ大火の事件は国土管理局と憲兵たちが全力で捜査をして犯人を捜しているが、やはり火災によって家や家族を失った人達のケアも大事……。
なんだけど、ラキ火山が噴火したこともあって、同時進行で解決しないといけないなコレ。
「うーむ……これを同時進行で片づけるとなれば……かなりハードワークになりそうだ……」
外にはうかつに出歩けないし、やはりここは一気に集中して片づけないとね。
ラキ火山の噴火に伴って、閣僚たちはすでにヴェルサイユ宮殿と通路をつなげた大トリアノン宮殿で仕事をしている。
外を出歩くのは危険ということもあるが、閣僚たちを含めて職員達の大部分は泊まり込みで作業に当たっている。
情報収集や諜報任務、各地の被害状況の把握などを担当し、この未曾有の事態に立ち向かっている最中なのだ。
デスクワークに励んでいると、ハウザーが部屋に入ってきた。
彼は寒冷地向けの野菜や穀類のリスト、それにラキ火山に関する最新情報を持ってきてくれたのだ。
「陛下、こちらが寒冷地向けの野菜や穀類の情報が載っている報告書です。既に転作を終えて作物の栽培が完了した大根やほうれん草などが市場に出回っております。外の状況が収まり次第、市場の再開をする際にはこうした冬野菜を食べることを推奨いたします」
「おお、すでに冬野菜が収穫できたことは良いニュースだな。あとは、春がどのぐらいの気温まで上がるかだね……」
「ええ、先のLK計画にまとめられていた火山噴火に伴う被害状況に照らし合わせると、日光が当たらなくなることで、作物の育成に不良状態が生じるリスクがあるということですね」
幸いというべきか、まだ小麦などの種を蒔く時期ではなかったのは良かった。
今年は蒔くとしても小麦は地中海側で、それより北側の地域は蕎麦や大麦といった寒冷に強い作物への転換をしないとならないだろう。
現に、ハウザーが持ってきてくれた報告書には『小麦から大麦への作物転換に掛る費用の見積書』が添付されていた。
「こちらが本年度の作物転換に掛る費用の見積書でございます。フランス全土にて実施を致しますが、最終決定をお願い致します」
「うむ、目を通してみようか……」
さて、ハウザーの持ってきてくれた見積書と最終決定確認書について、じっくりと目を通しておくか……。