338:試練
☆ ☆ ☆
1779年3月2日
……。
おはよう諸君……。
いやに暗い顔をしているのが気になっているのか?
そりゃこんな状態になれば誰だって心も表情も暗くなる。
空だって暗い……。
ご覧の通り……今は昼頃だというのに、窓ガラスの外に映し出されている太陽は満月程度の明るさしかない。
太陽は斑模様になっており、気温も氷点下のままだ。
なぜこれ程までに寒いのか?
それはラキ火山が噴火したからだ。
ノルウェー王国から船がやってきて2月18日に噴火を起こしたという速報がやってきた。
史実よりも4年ほど早い大噴火が発生してしまったのだ。
史実で大噴火を起こしたのは1783年
大噴火まで4年ほどあるから大丈夫だと思っていたんだが……。
どうやら俺の未来知識よりも先に火山の大噴火のほうが早くきてしまった。
去年の10月ごろから噴火の兆候が見られるという情報をもとに、俺は急いで知識を使って出来るだけの努力はした。
だが、現実は非情だった。
せめてあと1年ほどあれば間に合いそうだったが、思っていたよりも俺の知っている歴史の流れが変わってきてしまった。
となれば、浅間山の噴火も早まるか、逆に遅くなるかもしれない。
どのみち、予測していた時期よりも4年も早く噴火してしまったのだ。
今までの歴史における自然災害の知識は、あくまでも指標としてしか役に立たない。
「……噴火を起こしてしまったものはどうしようもないが、せめて犠牲者を減らすために努力しよう」
その一心で俺は飛来してくる二酸化硫黄の霧に気を付けるようにフランス各所に通達を出した。
グレートブリテン島に戦っている兵士たちや、欧州協定機構に属している国……内陸側のオーストリアやサルデーニャ王国、イタリア側にも同様の指示を通達した。
「火山の噴火により、舞い上げられた火山灰は噴火から2週間程でヨーロッパ地域に降り注ぐだろう。広範囲において冬野菜や放牧地、また人体に悪影響を及ぼす。さらには気温の低下による異常な寒冷化も引き起こされることが想定されている為、各国は急激な寒冷化とそれに伴う災害に備えるべし」
史実ではラキ火山が噴火したときに空気中に大量に放出した二酸化硫黄を含んだ有害物質が毒の霧となってヨーロッパ地域に襲い掛かり、呼吸器疾患で亡くなる人が急増したと記されていたからだ。
噴火の規模が史実通りであれば、尚更厄介だ。
以前からこのことについて相談をしていたスウェーデンのフェルセンやオーストリアの大使には、ラキ火山が噴火した際には、パニックにならずに慎重に行動するように自国民に呼びかけて欲しいと依頼はしたし、自国・周辺国を含めてやれるだけのことはした。
ラキ火山の噴火では噴火が発生して10日後にパリに毒の霧がやってきたと書かれていたのを思い出す。
噴火発生の知らせが入ってきたのが2月23日……約5日後に飛来してくるであろう毒の霧と、今後起こる寒冷化に備えなければならない。
寝室では、噴火の知らせを聞いたアントワネットが不安そうな顔で俺を見つめていた。
「オーギュスト様……その、今回の噴火は大丈夫なのでしょうか?」
「……現時点で打てるだけの手は打ったよ。後は、噴火が小規模のものであることを祈るしかない……どの道、今年からかなり厳しい状況になるのは間違いないよ……アントワネットに大丈夫だと言えたらいいけど、それを言えるほど状況は良くないんだ……だから、被害が小規模なものに抑えられることを祈るしかない……」
「ああ……何という事……私、怖いですわ……」
「俺もだよ。だが、この危機を乗り越えることが出来ればフランスは安泰だ。それまでの辛抱だ。テレーズやジョセフに苦労をかけさせない為にも、俺たちがやるべき事をするしかない」
パリでは毒の霧に備えて、マスクや窓の戸締りなどを徹底する告知を出した。
さらにパリ大火によって家を無くした人などを収容する緊急の避難場所などを指定し、人的被害を最小限に留めるように各所に依頼などを行った。
そして迎えた2月28日の昼頃……。
ラキ火山から噴火した二酸化硫黄を含んだ有毒な霧がパリに押し寄せた。
「陛下!パリ北東より濃い霧が迫ってきているとのことです!」
「いよいよ来たか……。宮殿各所の窓を閉めておきなさい。それと連絡要員は必ず移動の際にマスクを着用し、不要不急の外出を控えるように!」
「はいっ!」
「当面日光の照射が弱くなるだろう……寒冷地向けの作物の転換も済んでいればいいのだが……」
窓の外を見てみると、太陽が暗くなり始めた。
二酸化硫黄の霧が上空を覆う。
歴史書では全然太陽の灯りが届かないような不気味な日であったと書かれていたが、いざその光景を目撃してしまうと、本当にこの世の終わりが訪れたものかと錯覚してしまうほどだ。
その光景をアントワネットやテレーズ、ジョセフと一緒に眺めている。
「お父様!外が暗くなってきましたわね……」
「ああ、火山から噴出した悪い霧によってお日様が見えにくくなるんだ。あの霧はお日様の光を弾いてしまうからね……よく見ておきなさい。あまり見られない光景だよ」
「こうしてみると神秘的ではありますが……やはり、体に悪い霧だと思うと恐ろしいですわ……」
「ああ、しばらく霧が晴れるまでは外で遊ぶのは駄目だ。体に悪い霧を吸い込んでしまうからね……」
アイスランド島なんてフランスからかなり遠く離れているにも関わらず、太陽が見えにくくなるぐらいに暗くなっていく。
それだけ日光が火山灰によって遮断されてしまっているのだ。
噴火に伴う自然災害の恐ろしさと同時に、これが自然の猛威なんだと改めて認識をさせられた……。
火山の噴火であると分かっていないと神の仕業だと思う人が出てくるのではないかと言われた現象を目の当たりにした。
「ああっ、太陽が……太陽が暗くなっていく……!」
「まるで木の床のような色になっていきますぞ!」
「ああ、恐ろしや恐ろしや……」
「太陽が変色したように見えるぐらいに、きっと空気中に毒が混じっているやもしれません。外に出てはなりませぬ」
宮殿内で働いているスタッフや、国土管理局の職員たちは優秀だ。
普段は冷静に対応しているのだがそんな彼らですら、目の前で起こっている現象には流石に戸惑いを見せていた。
幸いというべきか、事前に宮殿の職員たちに通達をしていたこともあって、大きな混乱は起きなかった。
それでもどよめきや困惑の声が聞こえてくる。
LK計画で進められていた火山噴火対策のマニュアル通りに当面の間、不要不急の外出を控えることを通達し、そして今に至るというわけだ。
日の出と日の入りの際には太陽は真っ赤に燃えているように見えるのだが、日中は木の床のような茶色に見えるのでいよいよもって噴火の影響がやってきている状況だ。
現在、パリ市内を含めて霧の出ている場所では衛生面での影響を考えて野外で野菜や肉などを販売しないように呼びかけた上で、外出する際にはマスクないし手ぬぐいなどで口元を覆って移動するように呼び掛けている。
避けられない自然災害とはいえ、この状況でも俺たちは自分達で出来ることをやらなければならない。
それが国王としての俺の務めでもあるからだ。