336:復興への道
★ ★ ★
1779年1月31日
パリ リュクサンブール宮殿
「……これで損傷した右足の切除手術は終わりました。あと一週間もすれば抜糸が終わり退院できるでしょう。ですが、それまでは絶対安静にして休んでください。痛み止めもきちんと容量を守って飲んでください」
「へぇ……先生、足を失った以上……これからどうすればいいんですかい?」
「……私からはこれ以上は何とも言えません……ただ、切除したのは膝から下の部分ですから、松葉杖を使って歩行するか……もしくは義足のほうも調整がし易いと思います。傷痍軍人のリハビリテーション病院から社会復帰の為の訓練なども無償で開催するみたいですから……今はとにかくお休みになられることが重要です。社会復帰についても相談窓口を設けておりますので、また回診の際にお伺いいたします」
「ありがとうございます先生……本当に何から何まで……」
「いえ、これも軍医としての仕事ですから。では、失礼します」
この宮殿では大勢のパリ大火災で負傷した者が治療を受けていた。
リュクサンブール宮殿は庭園だけでなく、宮殿内部も一般開放されており、その大部分は野戦病院としてフランス陸軍が直轄して管理を任されていたのだ。
ここには消火作業を手伝っていた市民だったり、消防士、警察官が火災で生じた混乱の際に、転倒して骨折したり、火傷を負った者、呼吸器系に損傷を負った者達が入院しているのだ。
大火災と称されるだけあって、重傷者の治療が最優先に行われた。
普段パリでガラス屋として生計を立てていた男も大火災の混乱の際に右足を負傷、その際に傷口からばい菌が入り込んだ為に、酷い化膿を起こして右足の一部を切除しなければ命に関わると言われたのだ。
男は嫌がったが、妻の説得によりアルコール飲料をしこたま飲んで酔わせた上で右足の膝から下を切除。
軍医は目が覚めたガラス屋の男の回診を行い、体の異常がないことをチェックして次の重傷者の回診をしている。
「回診中に失礼します軍医殿!あと1時間程で発注していた包帯が到着するとのことです」
「わかった。こちらの回診が終わり次第、包帯を応接間に運ぶように指示を出してくれ。それと、もう退院しても問題ない人をリスト化したから、その人達の対応は君たちに任せても大丈夫か?」
「お任せください!それと軍医殿の食事はいかがいたしましょうか?」
「私はまだいいよ。これからすぐに左足が崩壊した足場に潰れて壊死してしまっている人の切除手術をしなければならないからな……手術後の夕方ごろに食事を頂こう」
宮殿内は野戦病院さながらの忙しさであった。
フランス陸軍が中心となって負傷者の手当などを行い、フランス海軍も手の空いている非番の者たちを応援として派遣していた。
この宮殿にいる兵士達の服装も、陸海軍がごちゃ混ぜ状態だったのだ。
とはいえ、軍は違えど役割分担などは事前に決められていたこともあり、手術や治療の指示は陸海軍の軍医が担当している。
患者の入退院の手続き、及び医療・生活物資の運搬は陸軍が、火災で生じた災害ごみの撤去、パリ市内の復興支援は海軍が担当している。
それぞれの役割分担を果たし、どの軍属を問わず軍医は医学書に従って治療に専念する。
これはLK計画において軍部の対応などをルイ16世からの指示の元で行われていたものであり、軍部がそれを実践した結果、トラブルが少なく済んだのだ。
そして、重傷者の命を救った要因の一つとして、的確な治療方針が挙げられる。
「タオルは煮沸消毒してから使うように!もし地面に落ちたらそのタオルは使わずに取り替えて新しいタオルを使うように!」
「蒸留水で患部を洗浄するように、それから誰かに触った手で患部に触れないように!傷口から毒に感染するリスクが高まるぞ!」
「血で汚れた包帯は焼却処分せよとのお達しだ。使用済みの包帯はすべて焼却炉で燃やすんだ」
「もし不明な点があれば衛生保健省から配布されている『サンソン医学書』を開いて確認しろ。どうしても分からない場合はすぐに聞くように!」
衛生保健省による正しい科学的アプローチに基づいた治療法により、入院している患者の大部分は助かったのだ。
これには衛生保健省の顧問を務めているサンソンによる功績が大きい。
死刑執行人という傍らで、サンソン家が代々受け継いできた独自の医学書によって人体に与える影響や治療法などを調べてあったおかげもあり、それまでの前時代的なあやふやな自然療法的なものではなく、知識とデータに富んでいる医学的知識の啓蒙活動が進んでいたのだ。
これによって、軍医たちは適切な判断を下し、大勢の命を救ったのだ。
面会も許可を取れば行えるということもあってか、見舞いの人も来ているのだ。
「ガラス屋の旦那!お久しぶりでさぁ……!これ、シチリアで栽培されたレモンを差し入れもってきましたわ!」
「おお、ウーブリ屋か……俺……火災でドジやっちまってな……この足を見てくれ……これからは杖を使った生活だよ……」
「ああ……旦那……」
「いや、すまねぇ、せっかく見舞いに来てくれたのにしらける話題にしちまって……」
ウーブリ屋は、ガラス屋の男の現状を知って思わず息をのんだ。
仕事一筋でガラスを作っていた彼が、今では立つこともままならない身体になってしまっている。
膝から下を切除した影響で、義足か松葉杖が無ければ移動することも出来ない。
言葉を詰まらせながらも、ウーブリ屋はガラス屋の男に話を振るう。
「……だ、旦那。ほら、奥さんも無事でしたし……俺は何よりも旦那が無事でホッとしているんですわ。普段世話になってますから……本当に……本当に無事で良かったですわ」
「ああ、そうだな……片足を失ったのは痛いが……それでも家族を残して死んでしまった人間も少なくない……そう考えれば俺はまだ幸せもんだなぁ……おい、ウーブリ屋。レモン持って来てくれたのはいいがどうやって食べるつもりだ?」
「そりゃ絞って炭酸水に加えるんですわ!それだけでも結構美味しい飲み物になりますから!とりあえずマグカップと炭酸水は持ってきたんで今から淹れておきますわ」
「おいおい、ココ売りみたいなことをするのか!」
ウーブリ屋は慣れた手つきで炭酸水にレモンを加えていく。
聞けば、ウーブリ屋も被災して自宅兼ウーブリ作りを行っていた調理場を失ったという。
そこで知り合いの当てを頼ってココ売りという移動式ジュース販売業を兼業し、その過程で入手したレモンをガラス屋の男にプレゼントしたのだ。
バスティーユ牢獄で起こった放火事件は、周辺の建物を巻き込んで南東2キロ以上離れた場所にまで火災を引き起こした。
多くの建築物が被災し、全焼家屋1360棟、一部損壊の家屋を含めて4千棟以上。
死者・行方不明者2600名、重軽傷者6000名を出すという戦乱期を除けば最悪の被害をもたらした。
これらの火災は『パリ大火災』もしくは『パリ大火』と呼ばれるようになり、政府政策などの転換点となったのだ。
放火事件を起こした犯人を捕まえるために、フランスは国の威信を掛けて血眼になって探すのであった。