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1778年11月18日
フランス領台湾・青龍
ヨーロッパではグレートブリテンで起こった革命や、それに続くようにラキ火山の活動が活発化していき、終末論じみた情勢となりつつあるが、ここ青龍では正反対に活気に満ちあふれている。
窒息しそうな重苦しい空気とは打って変わって明るいのだ。
青龍は開発が進められており、フランスでもサン=ドマングやアメリカ大陸に次ぐ、投資先として期待されているのだ。
ルイ16世の指示の下で、青龍では開拓民を積極的に受け入れた。
フランスにおける東アジア地域への玄関口。
そして、東洋におけるフランスの知名度・国威を上げる為に領土となった青龍では、急速な発展が現在進行形で行われていた。
というのも、琉球を経由して薩摩や長崎の出島に持ち込まれてきた青龍産の砂糖は莫大な利益を生んでいたからだ。
当時の日本は鎖国体制下であったために、砂糖の生産は微々たるものであり、国内でも限られた場所でしか生産出来なかったからだ。
それが青龍という比較的近い場所にあるヨーロッパから持ち込まれたことにより、幕府も青龍との関わりを注視するようになる。
出島での貿易を許されていたオランダは、フランス側へのロイヤリティを支払う代わりに積極的な砂糖の売買貿易を仲介するようになる。
特に、日本側にとって特筆すべき点は薩摩藩が物々交換として持ち込んだ商品の中に、フランスで作られた医学本と技術雑誌があった。
フランス語ではなくオランダ語に翻訳されたものであり、これが日本に持ち込まれると蘭学者として名高い杉田玄白の目に留まり、さらに技術雑誌に関しては平賀源内が入手して両者ともに衝撃的ともいえる内容だったと記されている。
平賀源内が残した日記の一部にはこう書かれている。
『さる文月の頃、オランダ通詞と共に『西暦1777年度フランス技術見聞録』という本を読んだが、未だに衝撃が忘れられぬ。これほどまでに緻密で進んだ技術を記した書物は過去にあったのだろうか?版画を多く差し込んでいるので、文字が読めなくとも内容が分かるように出来ている。杉田玄白先生の所にも解体新書以上の医学書が届いたと聞く。これは凄いことになりそうだ……』
解体新書こと、プロイセンで出版された解剖学書であるターヘル・アナトミアもさることながら、最新の医学情報で執筆したフランス医学見聞録は、病気の症状や治療法などを記した本でもあった。
このように、単なる砂糖貿易だけではなく、技術立国としての側面を見せたことで、幕府側にもフランスの情報が入るようになる。
薩摩藩も琉球を中継拠点として、田沼意次らの老中による貿易の活性化を積極的に受け入れたこともあってか、鎖国体制であるにも関わらず市場に砂糖が流通し始めてきたのだ。
そのため、青龍ではサトウキビ畑の開拓と生産が右肩上がりで上昇傾向にあり、作れば作るだけ飛ぶ鳥を落とす勢いで売れたのだ。
勿論のことながら、砂糖だけではなくバナナやパイナップル、コーヒーといった多岐にわたる作物の育成・販売を手掛けており、こうした産業は青龍における重要な収入源となるのと同時に、国営企業の経営によって成り立っていたのである。
国営企業には「国営郵政公社」「遠方海運公社」「青龍開拓公社」の三社があり、いずれも物流を中心とした企業で、国営郵政公社に至ってはルイ11世の時代からあるので、実に300年以上の歴史ある国営企業ということになる。
三社は利益を元手に、開拓事業や交通事業に積極的な投資をしており、まだ十年と経っていないにも関わらず、青龍の街ではいくつもの新しいヨーロッパ風の建物が立ち並んでいた。
かつて鶏籠と呼ばれていたこの場所には清国の役人が寝泊まりする小さな建物と、その周囲に移住していた漢民族の建物がまばらに点在する程度であった。
投資と開拓民による都市開発によって急速な建設ラッシュが進められていた。
その中でも要塞のようなしっかりとした建物がある。
それは青龍の経済・軍事の司令塔とも言うべき『青龍行政庁』である。
平時では行政全般を取り扱うが、有事の際には青龍に駐留している軍の指令所となるように設計されている。
青龍の人口は多くはないが、それでも総人口の5パーセントが後方支援要員を含めた軍属の人間である。
国営企業の運営警備や、不法入国者の摘発、海賊船の取締、台湾原住民による襲撃への対処といったのが主な任務である。
さて、そんな青龍行政庁では若い職員が、青龍の統治を任されている総督に報告をしに部屋にやって来たのだ。
「総督閣下!報告します!本国より開拓民を乗せた貨物船が3隻到着しました!開拓民の数は総勢650名、うちイギリス人を含めた外国人は169名とのことです」
「おお、報告ご苦労。引き続き青龍への上陸手続きを忘れずに行うように」
「はっ、では失礼いたします!」
海外領という位置付けの青龍では、三年という任期を任された上で閣僚人事によって選ばれたフィリップ・ド・ノアイユ元帥が最高司令官兼青龍総督という名目で事実上のトップに立っている。
問題のない人物として、ルイ16世をはじめとする各閣僚からの承認を経て青龍の総督に任されたノアイユ元帥。
平時には知事を、有事には最高司令官として行動できるようにと軍の人間をトップに任せたのは絶妙な人事配置なのだ。
青龍とフランスは距離が遠いこともあってか、本国に指示を待っていることも出来ない。
なので行政面では財務長官を担っているネッケルからの指導を受けた補佐官らがノアイユ元帥を支えており、今のところ大きな問題は起こっていない。
東アジアの台湾島に位置する青龍はヨーロッパ系が多くを占めていた。
開拓民には一律で支援金が支給されている。つまり、生活に必要な資金などは全て国が補填してくれているのだ。
そのかいあって、開拓民が早々に飢え死にすることはなかった。
「私は実に良い場所に赴任できたものだ……本国では新市民政府論への対処や、イギリスの没落でヨーロッパ諸国が不穏な動きを活発化させているからな……何かと暗い話題が多いのとは打って変わって明るい話題で満たされているのは幸せなことだ……」
ノアイユ元帥は呟く。
ヨーロッパ大陸では革命思想の嵐が吹き荒れており、青龍のように穏やかではない。
フランス本国はまだマシなほうではあるが、それでも戦争や大災害に備えて着々と準備を進めているという報告が上がって来ている。
『1778年6月 中間期フランス本国報告書』
軍人でも少将以上の階級の者には、今後の大規模な火山の噴火の予兆や、将来的に起こりえるであろう周辺国との軍事的衝突の可能性を予測する資料が配られたのだ。
ノアイユ元帥も職員が来る前に、その報告書を読んで顔を青ざめていたところだ。
今まさに、その予測が現実のものになろうとしている。
「国王陛下の杞憂で終われば良いのだが……もし、これが本当に起こるとしたら……この地はフランスにとって最後の希望の場所になるやもしれん……」
青龍は最先端の西洋技術がふんだんに投資されている土地である。
もし、ラキ火山の噴火が史実以上のものになれば、確実にヨーロッパ地域は甚大な被害を被ることになる。
青龍はフランスにとって、貴重な外貨獲得の場所になるかもしれない……。
「陛下の統治は優れていらっしゃる……しかし、そんな陛下の才をもってしてでも問題の解決が出来なかったとしたら……あまり考えたくはないが……うむ……」
ノアイユ元帥の脳裏に浮かんだのは、作物が育たなくなり瘦せこけた大地。
戦乱により荒廃した街並み……。
そして、心を病んでしまう陛下の姿……。
そのようなことはあってはならない。
なんとも背筋に冷たい氷を押し付けられるような、恐ろしい感覚を味わったノアイユ元帥は、急いで青龍の開拓に着手することになる。