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1778年6月30日
フランスは偽憲兵事件の首謀者が逮捕されたことで大騒ぎとなっていた。
首謀者のセルゲイ少尉は、協力者と共にフランスの都市ルーアンで逮捕された。
逮捕された際に押収された所持品から、セルゲイ少尉が新市民政府論のフランス語版を所持していた事、
また、彼の代理人名義で預けられていた銀行には20万リーブルと少なくない現金が預けられていたことが発覚。
警察の尋問によって、ロンドン国民平等政府などから援助を受けていたことが判明した。
それも、逮捕があと三日遅かったらル・アーブルにて大規模な攻撃計画を実行に移すところだった。
ル・アーブルにある海軍基地や港湾施設近辺で営業している飲食店向けに納品されている飲み物に遅延性の毒物を混入させようという念入りな計画の全貌が、捜査をしているうちに明らかになったのだ。
ルイ16世は国民への不信感を和らげるために、この事実を噓偽りなく包み隠さず報告した。
また、セルゲイ少尉がポリニャック伯爵夫人から暗殺委託を依頼されてセルゲイ少尉に忠実な部下らがパリやサン=ドマング、ロンドンといった都市部で自殺に見せかけた事件を行っていたとする自供がなされた。
それに合わせてポリニャック伯爵夫人も容疑者として6月18日に警察機関が集めた犯行証拠と共にバスティーユ牢獄に収監された。
『偽憲兵事件の首謀者逮捕!犯人は新市民政府論を信仰していたか?』
『政府は一連の事件を受けて国民を守る為に、近日中に新しい警察機関を設立し、捜査機関を統合化させて情報収集能力の向上を目的としている模様』
『ポリニャック伯爵夫人、事件に関わっていた容疑で取り調べの為にバスティーユ牢獄に収監される』
『宮殿の一大勢力の瓦解。ポリニャック伯爵夫人を失った中立派は、各派閥に分裂した模様』
一連の事件で起こった出来事は二週間も経たずにフランス全土に波紋を広げた。
明るいニュースよりもこうした暗いニュースのほうが人々に与えるインパクトは大きい。
ポリニャック伯爵夫人という象徴的存在が収監されたことにより、中立派の立場はバラバラになってしまった。
フランス国内の有力な貴族や裕福な平民も中立派に属して事業をしていたこともあり、これらの事業がストップして経済の低迷や停止への懸念が一時的に高まった。
……が、ポリニャック伯爵夫人の収監と同時に政府が経済措置法を施行して混乱を最小限に食い止めることに成功した。
経済措置法とは、中立派が実行していた事業権利に関する帳簿の提出や、帳簿と実際に銀行などに貸付られた資金が届出通りに運用されているか強制的に開示請求を行って調べるというものであった。
彼らがやましい事をしていなければ問題ない。
しかし、中立派に属していた貴族などには、決して表には出せないような裏金による資金運用が行われていたことが調査の結果、判明したのだ。
おまけに、裏金の金額や関わっていた人物も決して少なくはなかった。
もちろん、これをそのまま公表すれば金融市場を中心に経済的パニックが起こり、経済恐慌状態に陥る可能性が大いにあった。
それ故に、司法取引によって罪を軽減する代わりに、中立派が所有している株式や事業の収益内容といったものを全て包み隠さず提示し、正直に罪を認めた者は逮捕や牢獄への収監を免れる代わりに、政府から追加課税の違反金や違反行為に応じた資金・株式の没収(名目上は譲渡)が行われた。
この提案を中立派の議員や貴族が承諾した背景には、金塊公爵事件の際に高等法院に介入してオルレアン家を事実上瓦解させるほどに、苛烈ともいえる綱紀粛正をルイ16世が主導して図ったことがあるからだ。
裁判所での自殺もさることながら、オルレアン派に関わっていた貴族が処刑、または私財没収のうえ刑務所へ無期刑で収監されたことも大きい。
それまで金の力で司法を黙らせていた者達ですら、ルイ16世の前では通用しなかった。
むしろ、そうした金の力で解決し司法を腐敗させようとした人間ほど死刑宣告を受けるリスクを高めるだけであった。
中立派はルイ16世の苛烈な場面も目撃している。
一時的な損失を承知の上で、資金や株式の譲渡で済むのならそれでいいと挙って自白した。
特に、中立派で発言権が大きかった貴族や富裕層らが帳簿で不正な案件などを自白したことによって、その違反金は雪だるまのようにどんどんと膨れ上がっていった。
『中立派筆頭株主らが株式を売却、複数の会社は国営企業に譲渡か』
『委託された会社の総資産額は時価4800万リーブルにも及ぶ模様。譲渡された企業は「王立セーヌ建設」や「国営産業開発機構」といった大手国営企業傘下に入る。取引金額は非公開に……』
『株式市場では国営企業に投資が加速、安定した企業実績も踏まえた上で長期経営戦略を評価して外国企業よりも国内企業の株価が上昇』
逮捕されて名誉も金も何もかも無くしてしまうよりは、遥かにマシな選択肢を提示したのだ。
ルイ16世としては、今後のことを考えて一斉逮捕も検討した。
……が、ネッケル財務長官とコンドルセ公爵が提出した試算では逮捕したことによって生じるであろう経済的損失があまりにも大きかったこともあり、逮捕は断念したのだ。
「……逮捕は流石に無理だったが、これらの資金は有効活用させてもらうぞ」
代わりに、少なくない資産や株式を押収し、これらの資産を債務の返還や株式を国営企業に移譲ないし譲渡させることによって中立派が運営していた大部分の事業をタダ同然で手に入れたのだ。
殆どの中立派に属していた者たちは、この司法取引に応じて各自が『自主的』な追加課税の報告と株式を国営企業に委託することで罪を償うことが出来たのだ。
そうしたこともあってか、国営企業は莫大な資金と株式を手に入れることになった。
中立派が所有していた会社や事業所、買収したばかりの青龍やサン=ドマングのバナナ・コーヒー農場まで……その数は実に40社以上にも及ぶ。
資金は貧困対策や、生活支援者に向けたアプローチにも繋がった。
特に、イギリスからの難民や亡命者に保護費用として一律に給付金を支給させることが出来たのだ。
もちろんのことながら、ルイ16世は新たに事業を受け継いだ国営企業の幹部を含めて不正行為がないように国営企業の代表者に注意喚起を行って釘を刺した。
ミスが起こったらすぐに申告すれば罪に問わない。
ただし、重大なミスが起こったことが発覚したにもかかわらず誤魔化して隠したり、不正を続けていた場合には容赦なく罰した。
「分からない事をその場で聞くのは恥じる事ではない。恥じるべき事とは、ミスを隠してしらを切ったり、不正を続けて信頼を傷つける行為である」
しかしながら、経済を優先させるために中立派の逮捕に踏み切れなかった事を、ルイ16世は残念に思っていた。
勿論のことながら、ルイ16世は転生者だ。
故に政治的な意見を無視して策を強行して経済を崩壊させるようなことはあってはならないと思っている為に、心の中でモヤモヤとした嫌な感じを抱えることになってしまう。
ポリニャック伯爵夫人を牢獄に収監し、集中的な取り調べも行っているが、彼女は裁判では弁護士立会いの下で全てを話すと言っている。
万が一にセルゲイ少尉の証言が嘘である可能性も考慮して、弁護士立会いの下での公開裁判に踏み切ろうとしている。
歴史は荒波のように大きく揺らいで激動の時代となっている。
しかし、その流れは止まることは無い。
ルイ16世はその荒波の中を突き進むしかないのだ。
ヨーロッパ地域を巻き込んでいる荒波は、さらに激しさを増してゆくのであった。