30:カフェ会議
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西暦1770年7月3日
フランス王国 パリ
『国王陛下不予!!!王太子殿下が国王としての任を務める!!!』
『突き付けられた短剣、国王陛下重傷』
『ヴェルサイユ宮殿に赤い雨が降り注ぐ、デュ・バリー夫人暗殺される』
これはパリ市内の至る所にある新聞の見出しだ。
パリ市内もこの話題がトップニュースとして連日報道されている。
国民からしてみれば政治的安定を望んでいるご時勢であるのに、国王が実の娘に暗殺されかけたというのだから話題にならないはずがない。
巷ではヴェルサイユの赤い雨事件と呼ばれているほどであった。
直ぐに王太子であるオーギュストが国王不予の為に一時的に国王代理として国の任を請け負うことになったのだ。
パリ市内のあちこちのカフェではそこそこ裕福な第三身分者(平民)の人たちが集まってこの話題を口々に伝えていた。
カフェ側としては大繁盛していて構わないのだが、第三身分者達にとって使用人や随行員などを大事にしているというオーギュストの噂を聞きつけているので、彼が国王代理として勤められるかどうかの議論へと発展していった。
「王太子殿下が国王代理として委任されたようだが……王太子殿下はまだ15歳だぞ?!ちゃんと出来るのだろうか?俺としては心配だよ。齢的に幼すぎる……せめて歳があと2歳から4歳あれば……」
「おいおい、少なくとも周りの貴族や王室関係者がサポートしてくれるからそこまで問題ないのではないんじゃないか?」
「だってアデライード様が乱心して国王陛下を殺そうとしたんだぞ!!ヴェルサイユは大混乱だったと聞く、いずれ政変にでもなれば内戦になるんじゃないかな……」
「内戦だって……?そんなことになればパリはどうなるんだ?」
「だからまだそうなると決まったわけじゃないだろ!間違った考えを真に受けたらパニックになるぞ!!」
パリ市民としては貧困層への食料の停止や、政治的不安定化による金融恐慌を恐れていた。
既にルイ15世の統治下では債務不履行を起こして経済を暴落させたことが度々あった。
そうしたこともあって多くの投資家がフランスの債券を買うのを渋るぐらいに信用されていなかったのだ。
暗い話なら足りるほどある。
代わりに都市部の市民が知りたがっていたのは政治情勢がどうなっているのかであった。
「……で、聞くがヴェルサイユでは今どうなっているのだ……お前は知っているか?」
「いや、国王陛下に代わってと王太子様が代理を務めるという事しか知らん。誰か中の様子を知っている者はいるか?」
「……俺の甥がヴェルサイユ宮殿で働いているから今日入りたての新鮮な情報を持っているぞ」
「なんだと?!詳しく話してくれ!!!」
「お、俺にも!!!」
自身の甥がヴェルサイユ宮殿で働いているという男の周りを数十人の男達が取り囲んだ。
テーブルをくっ付けてまで話を聞こうとしている。
その光景をみていたカフェの店員だけでなく店長も思わず聞き入ってしまうほどであった。
それだけにヴェルサイユ宮殿の話題は人々の注目を集めているのだ。
「それで……甥っ子さんはヴェルサイユ宮殿のどこで働いているんだ?」
「厨房係さ、そこで第三料理班長として毎日宮殿で王室や貴族の方々へ料理を提供しているよ。主にデザート類を作るのが専門だがね。とにかく昨日はすさまじかったそうだ」
「事件があったからか?」
「それもあるが、オーギュスト王太子殿下が指揮を取って的確に事態の収拾に向けて動いていたそうだ。なんでも厨房にわざわざ赴いて”これから暫くの間、鏡の間で大勢の人と食事をすることになりますので田舎料理でもいいのでとにかく量が多い料理を出してほしい”と注文してきたそうだぞ」
「量が多い料理……?それはどういう事だ?」
「鏡の間で大勢の人達と作業しているのさ。そこで王太子殿下は身分関係なく同じ料理を召し上がっているのだそうだ。つまり一度に沢山の人たちが食べられる分用意して欲しいのだと」
オーギュストは使用人や随行員だけでなく、守衛や憲兵たちにも同じ料理を出すように振る舞ったのだ。
その為宮殿内では急遽大量の食料が必要になり、買い出しの者たちが大忙しだったのだという。
男の甥もその中の一人だ。
振る舞う料理などを予め身分別に振り分けていたのだが、それが出来なかったので出したのだという。
宮廷料理人としては豪華絢爛で贅沢尽くしな高級食材だけの料理を作っていただけに、オーギュストの注文は大きな衝撃でもあった。
だが同時に、危機的状況下に置かれていることを理解した料理人たちは暖かく、そして一度に沢山作れて大勢の人が食べれるように、胡椒をまぶした牛肉を煮込んだビーフシチューを身分関係なく平等に振る舞ったのだそうだ。
「王太子殿下は立派な人だよ、自分だけ特別扱いではなくみんなで食べれる料理を出すように注文したんだぞ?こんな非常時でも王室に限っては特別扱いで別の料理を出すのが普通らしいが、王太子殿下は身分関係なく同じ大鍋で作られたシチューを召し上がったんだ」
「なんと……そんなことがあったんですか」
「甥っ子曰く……王太子殿下は時々アントワネット妃と共に厨房にやってきてデザートを一緒に作っているそうだ。少なくとも厨房では穏やかに接しているそうだ」
今回の事件もあってか守衛は人員を総動員して厳戒態勢にあたっている。
この話の裏側では守衛が厨房で監視を行い、毒物混入がないか製造過程で何人かの毒味係によるチェックが欠かさずに行っていた。
製造過程で毒見を行い、検査して問題がない場合にのみ料理が提供されるようになっているという。
勿論、そうした人物こそ現れなかったが毒味係は今度こそ王太子様の身に何かあったら各自に首が飛んでしまう事を恐れて慎重に、かつ仕事に抜かりなく励むようになっていたのだ。
「確か王太子殿下はアントワネット妃とヴェルサイユ宮殿の中庭でピクニックを楽しんでおられると聞いた事があるぞ。そこで自分達で作った軽食を持ってきて食べているとか……」
「その噂は事実だ。この間はイングランド風のクッキーを焼いていたらしいぞ」
「なんと!!!その話も是非!!!」
元は転生者であるオーギュストがアントワネットと幸せに暮らしたいが為に始めたお菓子作り、それがこうした意外な形で外でも評判になっていった。
王太子の性格と行動が第三身分の人々にとっては理想の夫や優しい男性像に見えたのだろう。
そして何よりも不安だった人々に対してオーギュストが行ったのは、フランス全土の新聞社に投書を行って記事をなるべく目立つ場所に記載して欲しいというものであった。
「おい!さっき到着した夕刊に王太子様の書いた記事が載っているぞ!」
「本当か?!見せてくれ!!」
「えっと……『この度宮殿内での事件によってフランス国民に不安を与えてしまい、王室の一員として深く謝罪したい。事件の解決に向けて王太子である私が責任を持って国民の皆様に納得できるように事件の全貌を明らかにし、今後の再発防止に向けた努力を進めていく所存です ルイ・オーギュストより』……お、王太子様が謝罪文を出すとは……」
オーギュストが新聞の文面で行ったのは謝罪と再発防止の提示であった。
事件の発端であるアデライードが凶行に及んだこと。
またヴェルサイユ宮殿でのセキュリティ対策が不十分であったことなどを挙げて、これらへの対策を即座に行うというものであった。
「思っていたよりも王太子殿下は人々の事を考えているのですね……」
「ああ、王太子殿下ならきっと大丈夫だろう」
「しっかり者だし、おまけに正直者とはねぇ……」
国民の意見に応えるように一連の事件の影響を受けて宮殿内の立ち入り禁止区画や持ち物検査などを実施すると共に、宮殿内における人員整理や閣僚の調整などを急ピッチで行った。
そして国民に向けたメッセージを事件発生の2日後から毎日フランス全土に送り、ヴェルサイユ内における情勢を書き記したうえで事態が沈静化するように具体策を提示しながら改善状況などを書き連ねた。
その後はパリ以外の都市にも情報が流れていき、オーギュストの評価は上々で国王代理としても十分に活躍できるだろうという意見が占める様になった。
さらにオーギュストは使える人材をフルに活用して事の収拾を全力で行い、報道関係者に根回しを行った結果、新聞各社はオーギュストの行動を称賛した上で王太子なら大丈夫だろうという風潮が生まれていく。
ヴェルサイユやパリ周辺、そして地方都市を含めて一連の騒動は二週間ほどで鎮静化へと向かっていったのであった。




