313:希望的観測
「……よし、これで今日の分の仕事は終わりだ!」
「お疲れ様です!思っていた以上に早く片付けることができましたね」
「これもアントワネットのおかげだよ!ありがとう」
アントワネットと一緒に仕事をしたお陰でだいぶ仕事が進んだ。
途中でお昼と午後のティータイム、トイレ休憩を除いてずっと仕事だった。
普段仕事をしているよりも随分と早く終えることができたのは良かった。
これ以上アントワネットだけでなく、他の人にも迷惑をかけるわけにはいかないからね。
仕事が終わればテレーズやジョセフ達のいる部屋で団欒の時間だ。
夕飯を家族で過ごしながら食べる。
勿論のことながら、経費節約と健康を意識して食べれる分だけ用意させるようにしている。
今まではバイキング方式で出していたのだが、それで食べきれなかった料理などは全て使用人の人が安く買い取って夕飯にしたりしていたそうだ。
もうテレーズも自分の事をしっかりと言える年頃に成長したようだ。
子供の成長って暖かく見守りたいよね。
普段から子供と接していると分かるのだが、最近妙にテレーズが俺のことを神妙そうな目で見る事が多くなった。
どこか気に掛けているような……それでいて、何か言いたげにしているが、上手く言えないでいるようだ。
「……テレーズ、どうかしたのかい?」
「いえ……特に何もありませんわ……」
「そうか、もし何かあったら言いなさい」
今は言いたい事を言わない年頃なのかもしれない。
無理に話を聞きだそうとするのはよした方がいいだろう。
ただ、ここ最近妙にテレーズが大人しいというか……駄々をこねることがめっきりと無くなってしまったのだ。
そればかりか、生まれたばかりのジョセフの事を気に掛けて、お世話したいと申し出てきたので、きっと年長のお姉ちゃんとしてしっかりしていることを俺達に見せたいのかもしれない。
「よし、テレーズ……そろそろ寝る時間だからベッドで寝るかい?」
「はい、お部屋で寝かせて頂きますわ……それではおやすみなさい。お父様、お母様」
「ああ、おやすみ」
「おやすみなさいテレーズ」
「さてと……ジョセフも眠ったことだし、乳母さんに預けるとしようか」
「ええ、ゆっくりとお渡しすれば大丈夫ですわ」
最近では子供の寝かしつけも上手くなってきたものだ。
テレーズの時は30分近く掛かったのがジョセフだと10分程度で寝かしつけをする事が出来る。
赤ちゃんだとどうしても2~3時間ごとにローテーションでおしめを交換したり母乳を欲しがって夜泣きをしたりするものだ。
王室だと3歳ぐらいまでは乳母さんが赤ん坊のお乳やおしめの交換などを手伝い、4歳ぐらいから部屋を割り当てて、そっちで暮らすようにするという。
先月まで同じ部屋で寝ていたのだが、テレーズも一人部屋で寝たいと申し出たので、防諜面でもしっかりしている部屋を選んで寝ることになっている。
テレーズとジョセフが部屋から去り、今はアントワネットと二人っきりだ。
「最近テレーズは大人しくなりましたねぇ~」
「そうだね、物をねだったりやりたい事をしたいと駄々をこねることも無くなったからね……やっぱりジョセフが生まれてから随分と変わったような気がするよ」
「きっと姉として振る舞いたいのでしょうか……私は兄弟姉妹の中でも下の方でしたからずっと周りの人に甘えっぱなしでしたから……」
「あー……なんか分かるわ……やっぱり人に甘えたい時に、心を許せる相手がいるだけでも救われるような気がするんだよね……辛い時とか……」
「そうですわね……オーギュスト様は小さい時はどうされていたのですか?」
「俺かい……?俺は……そうだなぁ……どうしていたっけ……」
ルイ16世の母親と父親は良好な関係を築いていたが、二人とも病気で若くしてこの世を去っている。
おまけに、父親に至っては最愛の妻が難産で第一子の出産直後に産褥熱等の合併症により死亡するという憂いな目に遭っている。
1770年に転生する5年前に父親が、3年前に再婚相手の母親を失っているルイ16世は甘えたくても両親に甘えることが出来なかった。
……まるで転生前の俺と同じみたいだ。
両親が早死して、祖父母の家で育った俺……授業参観の際には爺ちゃんが見に来てくれたっけ。
俺を育ててくれた祖父母にはもう会えないだろう。
祖父は小さいころからヘビースモーカーだったこともあって、転生前に右の肺にガンが見つかって放射線治療を続けていたっけ。
もしかしたら、転生後にガンで死んでしまったのかもしれない。
だからあれ程タバコはもう吸うなと言っていたにも関わらず、祖母に隠れて吸っていたみたいだ。
全く……頑固だから困ったものだ。
ルイ15世もルイ16世からしてみれば祖父に該当する存在だからなぁ……。
両親もおらず……祖父は頑固者か……。
ははっ……うん、いけないねぇ……涙が出てきちゃったよ。
「す、すみませんオーギュスト様!」
「いや、大丈夫だ……大丈夫だよアントワネット……ちょっと昔の事を思い出して泣いてしまっただけさ……」
そう、昔の思い出だ。
電化製品に囲まれていた前世の記憶……。
このルイ16世の身体に転移なり憑依した人間が思い出として残っている記憶と、ルイ16世が経験した記憶が残っている……。
二つの記憶が入り乱れているが、いつしかこの状態になれてしまっていた。
そう、慣れるものだ。
この状況でもね。
ルイ16世が経験したと思われる記憶をほじくり返してアントワネットに子供の頃の記憶を語った。
「両親に関しては……甘えようとしていた時もあったけど、躾に厳しい人だったからね……父親が亡くなってからショックで母親もしばらくは打ちひしがれて……3年後に亡くなったよ。母親は亡き父親に会いたがっていたよ。臨終の時も……あの人に会いたい、お墓は父親の隣に立てて頂戴って……最後まで父親の事を愛していたんだよ」
「……」
「その時、俺は思ったんだ……誰かを深く愛しすぎてしまうと……失った時の悲しみの方が強くなってしまうのではないかって……だから、怖かったんだ……他人と深い関係になってしまうのが……母親を亡くしてから、私は籠るようになって時計や錠前作りに没頭するようになった……それが内向的な性格と言われるようになった由来でもあるのさ……」
ルイ16世が内向的な性格だったのには、両親の死が絡んでいたのではないかと言われていた。
二人の妻から愛された父親は病に倒れ、後を追うように母親も死んだ。
子供ながらルイ16世は悟ったのだ。
誰かを愛してしまうと、別れの辛さが途轍もなく苦しいと……。
仏教には愛別離苦という言葉がある。
親や兄弟、伴侶との別れの苦しみは人生で味わう苦しみの中でも重たい苦しみの一つに数えられている。
前世でも、そしてこの世界でも……両親という生みの親を早くに亡くしている事を踏まえれば……その苦しみから少しでも遠ざけたかったのではないだろうか。
「……ごめんね、寝る前にこんな話をしてしまって……」
「いえ、むしろ私のほうこそ……オーギュスト様がお辛い想いをしていらしたのですね……」
「だけど、今は幸せだよ……アントワネットに出会えたお陰で全てが変わった。世界を見る目も変わったからね……だから、俺は死ぬまで君と出会えた事を誇りにしたいんだ……」
「……私もです。私もオーギュスト様と出会えたことで自分を変える事ができました。こうして幸せな日々を送ることができるのもオーギュスト様のお陰です。本当に……誇りにしたいのです」
アントワネットは俺の胸の辺りにギュッと顔を寄せて来た……。
ああ、俺は幸せな男だ……。
ぎゅーっ……と、俺はアントワネットを抱きしめた。
抱きしめたいのだ。
今は……生きている事を実感したくなったのだ。
これからもっと厳しい日々になるだろう。
ラキ火山が大噴火を起こすまでには革命思想との戦いに勝たなければならない。
……それまでに、問題を片付けよう。
これ以上、誰も辛い想いをさせたくない。