310:二人三脚
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1778年2月15日
フランス ヴェルサイユ宮殿
「どうですか……?」
「うん、暖かいよ……やはり寒い時は熱いコーヒーを飲むのが一番だ」
「お砂糖とミルクもありますよ?」
「いや、今日はブラックコーヒーで飲みたい気分なんだ。これが身体に一番良いと聞いたからね……アントワネットはどうする?」
「そうですね……それではミルクを入れて頂きますわ」
コップに注がれているコーヒーをアントワネットと一緒に飲む。
……。
今日のコーヒーは普段よりも苦い……。
今後の事を想えば、このコーヒーの苦みも良い教訓になるのだろうか……。
ここ最近無理をし過ぎた事を彼女に怒られたこともあって、当面は彼女が業務を補佐する形となったのだ。
フランスに嫁いでから勉強を一緒に頑張ってきた賜物でもある。
本当に、勉強をしてきて良かったなぁ……と最近思うようになった。
むしろかえってアントワネットに気を遣ってしまっているので、彼女の負担にならないように俺も息を抜く時は抜かないといけないね……。
「……風邪も良くなってよかったよ」
「ええ、下手をしたら労咳になっていたかもしれないとおしゃっておりましたからね……本当にお気を付けてくださいね?」
「おっしゃる通りです……はい……」
9月中旬に、俺は風邪を引いた。
熱っぽくて、しばらく安静にしていれば大丈夫だろうと思っていたのだが、10月下旬頃まで体調不良と熱、だるさが続いてしまったので、大いに焦った。
一か月近く体調不良で苦しむ経験はそうそうない。
肺炎や結核を患ってでもしたら死んでしまう世界だというのに、風邪を引いて本当にひやひやしてしまった。
「ですから!オーギュスト様は一人で何でも抱えてしまう癖は止めたほうがいいのです!これからテレーズやジョセフが大きくなるというのに!もし何かあったらどうするのですか!」
「……ごめんなさい……おっしゃる通りです……」
寝込んでから3日目にアントワネットがやってきて、万が一飛沫感染してはいけないので柵越しに会話をしたのだが、その際に今までで一番怒られてしまった。
直ぐにブリジットがなあなあで納めてくれたのだが、彼女の言っている事も一理あるし、風邪で寝込んでしまう前は完徹状態がかなり続いていた……。
これではテレジア女大公陛下に聞かれたら怒られてしまうね……。
だけど、俺はアントワネットが怒ってくれて嬉しかった。
母親に怒られているようで……最後は涙ながらに声がかすれてしまっていた。
俺のことを心配してくれて怒っている彼女が涙ながらに訴える声は俺の心にダイレクトに響いた。
ハウザーをはじめとする閣僚たちには、重要承認以外の全てを任せることにした。
この人生において二度目の長期休暇を取得してしまった……それでも重要承認には俺のサインが必要なので半分テレワークをしているような気分でもあった。
「うーむ、すこし強めの薬を出しましょう。ヤナギの樹皮を煎じたものが解熱効果がありますから、そちらと一緒に服用をしてください」
「それ以外にもだるさを治す為に外気浴も身体が冷えない程度に10分程度行ったほうがよろしいかと……」
「念の為、当面は入浴を控えて身体を拭く程度にしておきましょう」
熱が中々下がらないという事で、焦ったのは王室お抱えの専門医達であった。
抗生物質や抗ワクチン剤なんて大層立派なモノはないので、王室お抱えの薬剤師とサンソン兄貴が監修してくれたハーブや大黄、ヤナギの樹皮などを調合した解熱薬を飲んで安静し、通常業務はハウザーなどの政府の重鎮が代行を務めた。
どうしても国王の承認が必要な予算や資料だけは、身体を起こして一時間だけサインをしたり資料を見たりした。
アントワネットから絶対安静にしてください!と強く警告されていたので、彼女の言いつけを守った所存だ。
というか、決められた仕事以外の事をしていないかチェックしに度々ランバル公妃なども見に来ていたので、余程心配していたのだろう。
ランバル公妃に気になっている人が出来たという話を以前アントワネットから伺っていたが、直接会ってそれとなく話題を振ってみた所、どうやら平民出身の資産家の男性と仲良くなったそうだ。
この男性は改革派に属しており、改革派主催の会議で会っているうちに親密な関係になったのだという。
ただ、ランバル公妃の場合は旦那と結婚するも、旦那が女遊びが原因で性病を患って死ぬというとんでもない結果を残しているので、結婚に関しては及び腰だ。
今はまだ無理だとしても法改正なり、キリスト教関係者に何とか働きかけて結婚ができなくてもせめて養子等の抜け穴を使って結ばせることも画策中だ。
と、こんな感じにとにかく安静に、午前9時に起床して朝ごはんを食べてからはひたすらに読書をしているか、アントワネットや子供たちの様子を聞いたり、政治・経済状況を聞いて確認をしたりして、午後9時までには就寝するというスタイルを取った。
おかげで10月上旬には熱も引いて11月になる頃には体調不良も無くなって快復したのだ。
「それにしても陛下がお元気になって何よりでございます。予後も安定しているので今日から順次業務を再開してもいい頃合いでしょう」
「ああ、ありがとうサンソン……おかげで良くなったよ」
「いえいえ、ですがまた徹夜をしてしまいますとせっかく良くなったのが台無しになってしまいますから、当面は忙しくても夜の11時までには就寝してくださいますようお願い致します」
体調不良の原因は恐らく過労と、新市民政府論の状況の確認整理などをして時間がかかってしまったことだろう。
職員や大臣、閣僚にも無理をせずに休む時はしっかりと休むようにと改めて通知を送り、2カ月ぶりに執務室で業務をする際の喜びはこれまで以上に気持ちがいいものであった。
さらに、この頃からアントワネットが傍で支えてくれるようになったのだ。
今まで以上に献身的になったのと、業務をサポートしてくれるようになったのは本当に有難いことであった。
「アントワネット……無理はしていないかい?」
「大丈夫ですよ!それに、オーギュスト様お一人でお仕事を抱えてしまうと無理をしてしまいますから……私が補佐をして支えてあげますの!」
「……本当にありがとう……」
「いえ、だって私達は家族ですもの。大切な人を支えるのは家族の務めですわ」
何かと最近はアントワネットが育児の面で助けを求めることもあったので、二人で相談しながらテレーズやジョセフの事について話し合い、教育方針や育児の事についても話す事になった。
なんだか、夫婦揃って執務をするというのは斬新だけど、アントワネットの視点から捉えた物事を述べてくれるのは凄く有難いのだ。
彼女は物事はハッキリと述べてくれるし、意見も伺うと自分の意見をきちんと言ってくれる。
そのおかげで年末から1月までの業務はこれまで以上にスムーズに行うことが出来たのだ。
さて、そんな感じで今年最重要イベントの一つを実行に移す時がやって来たのだ。
「陛下、お待たせ致しました……こちらが公文書の原本になります……」
「いよいよ来たな……机の上に置いてもらえるか?」
「はい、只今……!」
分厚く、厳重な鍵付きの箱に納まっている公文書……。
後世の歴史研究学者たちがどのような気分でのぞき込むのだろうか……。
ロマンを感じて見て貰えればいいかもしれない。
「さてと……いよいよこの問題に取り組む時が来たか……」
「ついに……始まるのですね……」
「そうだ……これがヨーロッパが団結した証……それと同時に団結の踏み台として犠牲になる者達に対する執行サインを書く……何とも言えない気分だね……」
公文書……それはフランスの目と鼻の先で起こっているイギリス内戦に関するものだ。
今日の午後4時から開かれる国王出席の国事会議において、フランスがロンドン国民平等政府に対して治安維持と難民発生の責任を問い、欧州協定機構加盟国と連携してウェールズ、イングランド解放に向けた反革命戦争に対して実行命令を下す……。
その実行命令が下された証明として用意された公文書なのだ……。