306:ランタン
ネッケルからの忠告もあって、彼が執務室から退出してからゆっくりと息を吐いた。
いや、ため息を吐いたと言った方がいいかもしれない。
今まで喉の奥に詰まっていたんじゃないかと思うぐらいに、大きなため息だった。
「はぁぁぁ~~~~っっっ……最近上手くいかないもんだねぇ……いや、むしろ今までが大きなイベントの連続だったからなぁ……どうしたものかね……まるでこれ以上政治などをすればするほど泥沼にはまっていくみたいじゃないか……」
そう、今の俺は漫画家や小説家が陥りやすいスランプ状態になっているのだ。
仕事がこれでは統治に関わるぞ……しっかりしろルイ16世!
俺自身がしっかりしないとダメなんだぞ!
というか、ネッケルに危うく史実のフランス革命の事話しそうになったのはマズイよね。
何とか切り抜けは出来たけど、勘の鋭いランバル公妃とかデオンが聴いていたら突っ込んできたかもしれない。
俺が未来人だってこと知ったらどうなるやら……。
「そうなんだよなぁ……気が緩みやすくなっているんだよなぁ……これで情報をうっかり流してしまったらかなりマズイよな……しっかりしないといけないなぁ……ホント、ちゃんとしなきゃ……」
そう、未来情報をうっかり喋ってしまい、それが原因で技術の躍進がドンドン進むのはマズイことだ。
未来知識は活用こそしているが、俺が発明しているのではなく、あくまでもこの時代でも実現可能な技術に投資や研究を推進しているだけだ。
手術前の石鹸を使った手洗いや、蒸気機関のライセンス生産による科学技術の向上に関しても、俺がこうしたほうがいい結果になるんじゃないかなぁ~?とアドバイスをして培っただけの結果だ。
俺一人でアレコレやってはい成功!……で済んだ事案ではない。
コップに水を一杯入れてから、ぐるぐると回してみる。
特に意味はない。
透明な液体がぐるぐる回っているだけだ。
(この時代のフランス人はポテンシャルが高い人が多いし、科学分野では間違いなく世界トップクラスだからなぁ……その土壌に肥料と水を与えただけだよ)
元々優秀な人物が多いこともあってか、割とその筋の有名な人を見つけることは出来たし、お陰で国力の底上げを行う事も出来た。
言わば、予めマークシート方式のテストで答えを理解しているような状態で事業を進めることが出来たといっても過言ではない。
それがここにきて、少しずつだが陰が見え始めているのもまた事実だ。
(さて、これからどうすればいい?可能な限り戦争しないのを方針にしていたが、もうロンドン革命政府によるイギリス本土制圧も目前だ……プロイセンや領邦を含めた多国籍軍でグレートブリテン島を制圧するべきか?それとも戦争をしないのであれば革命をあえて放置して、ヨーロッパ地域における『敵』をイギリスに定めて欧州各国を団結させる為に見逃した上で様子を見るべきか?)
俺は自衛戦争以外はしないとスウェーデン大使との会談の時にも述べていた。
そう、まだ自国領土は彼ら新市民政府論を主体とする革命思想には汚染されておらず、国民も俺の事を信頼してくれていることもあって、そうした本が見つかればどこで売っていたかを警察機関に教えてくれることが多い。
大抵は難民に混じっていた思想革命家が本を流通させようとしたケースが多く、未然に防いでくれているだけでもありがたいのだ。
「だけど……それは好景気と食糧事情が改善したからこそであって……ラキ火山が噴火したら、それもちゃぶ台返しのようにひっくり返ってしまうことだって考えられるんだし……早めに潰しておくべきだよなぁ……」
そう、本来であればあのような狂信的ともいえる平等思想ほど、考え方の違った意見を抹殺しようと圧力を掛けてくるヤバイ連中はいない。
彼らの言っている既存体制の打倒……完全に史実フランスで起こった資本主義革命と体制打破、国家転覆を行って乗っ取る行為だ。
悪政からの解放を謳ってはいるが、実際には既存体制を上書きする形で次の支配者となって民衆を圧政下に置く事をしている。
無茶な資金の分配などをしているので、長く続いた場合は経済そのものが持たないだろう。
しかし、侵略戦争を行って富を集めていくとすれば話は別だ。
奪えば奪う程、彼らは豊かになってゆく。
おまけに思想を武器にして地下組織を通じて裏ルートで流通させているので、摘発しても欧州各国には既に水面下で一定規模の勢力を保っていると言っても過言ではない。
国政に不満を持っている政府高官や地方都市のリーダーなどを使って勧誘させたりすれば、海外からの乗っ取り行為も可能になる。
プロイセンや領邦で、最近新市民政府論関連の逮捕者が多いのも、そうした口車に乗せられて革命をしようとしている人間がいるということだ。
今ですらそんな状態なのにラキ火山が大噴火して世界的な気温の低下が起こったらどうなるか……?
そう考えるだけで寒気がしてきた。
まだ9月なのに妙に寒い……。
うぅ……なんか身体が寒い……。
「やばい……風邪を引いてしまったか……?」
おでこを触ると、妙に熱っぽい。
……やってしまったな。
恐らく風邪だろう。
色々とテンションも高かったし、考えていくうちに身体も酷使してしまったのかもしれない。
俺は呼び鈴を鳴らして、やってきた係の者にこう告げた。
「すまないが、料理総長に卵スープを作って部屋に持って来て欲しいと伝えてくれ……それともう一つ、どうやら風邪を引いてしまったようだ……ジョセフやテレーズ、アントワネットに風邪を移してはいけないから、当面はこちらの執務室で寝かせてもらう。アントワネットにそう伝えておいてくれないか?」
「畏まりました」
今の係の者はサン=ドマングで教育を受けてきた黒人女性だ。
サン=ドマング出身者がパリだけではなく、こうして政府中枢で働いているのも、ジョルジュのお陰だろう。
彼の活躍によって有色人種への偏見も少しだが減ってきた。
国王主導でそうした境遇改善の行動をしているので、これで彼らも少しは報われるんじゃないだろうか。
風邪の影響か、少しボーっとしてきた。
うーん、うたた寝したらいけないなぁ……。
コンコンとドアがノックされて、料理総長が心配そうな顔をしながら卵スープをもってきてくれた。
「陛下、お待たせいたしました。卵スープでございます……今夜の夕飯は鹿のジビエ料理にしようと思っておりましたが、お体の調子が優れないようでしたら野菜を中心にしたスープ料理をおつくりしようと思いますが、よろしいでしょうか?」
「ああ、ありがとう料理総長。では夕飯もスープ料理をお願いしようかな」
「かしこまりました、ではそのように致します」
料理総長は今夜の夕飯を変更してくれた。
流石に風邪気味になっている状態でジビエ料理を食べたら多分胃に負担がかかりそうだ。
料理総長が作ってくれた卵スープが胃に染みる……。
栄養価値もあるし、風邪気味の時は卵スープに限る。
スープを飲んでいると今後どうするか悩ましい。
(ああ……きっと史実のルイ16世もこんな感じで悩んでいたんだろうなぁ……今になって彼の複雑な気持ちが分かってきた様な気がする)
庶民層からの声と貴族や聖職者からの声に挟まれて行動に制約が掛かり、大きな成果を挙げることが出来なかった。
時代と政局に流されてしまった哀れな指導者……。
頑張れと言ってしまうと追い込んでしまうので、閣僚会合でベストな着地点を見出して戦争回避、もしダメだったとしても被害を最小限に食い止める方法を考えないといけない……。
欧州協定機構を作ってみたのはいいが、かえって自分自身への難易度を上げてしまったような気がする……。
HOBFのような、歴史シミュレーションゲームをしていた時、どうしていたか……。
卵スープをチビチビと飲みながら、思考がぐるぐると頭の中を駆け巡り、やがてゆっくりと意識が遠のいていったのであった。