302:黒2
ノーフォーク市長との会談を終えると、リーゼロッテは迎えの馬車に乗り込む。
来るときに第三恩赦連隊が火を放った港湾施設を見ていると、今イギリスで起こっているであろう内戦はこれ以上の凄惨なものなのだろうと彼女は考える。
こちらは植民地支配からの独立戦争であり、内戦ではないが戦争によって王党派や資本家イギリス人、それに大勢のイギリス軍人が処刑された。
大木の枝先に吊るされているのは男だけではなく、女性や子供の姿もあった。
重税を背負わせて、たらふく私服を肥やしていた宗主国への怒りが爆発した結果である。
リーゼロッテも、遠目ながらその光景を目の当たりにしており、暴走した民衆が引き起こす恐ろしさというものが如何に危ない事か実感しているのだ。
(互いに憎しみあって、恨み合う……負の連鎖が積み重なった結果生まれたのが植民地の独立と、本国での内乱ね……つくづくフランスで起きなくて良かったと思うわ。……いや、本国ではないにしろサン=ドマングで起こっていたわね。あの時も後始末が大変だった記憶があるわ……)
数年前にサン=ドマングにおいて発生した大命叛逆事件において、ポリニャック伯爵夫人がビジネスで関わっていた農園でも、暴力的な白人経営者によって虐待を受けていた奴隷のムラートが、我慢の限界に達して経営者をカカオの栽培で使う刃物で襲って殺害する事件も起きている。
尤も、この事件は国王の大命に対して叛逆の意思を持った奴隷制継続派の事業者であり、派遣された海軍部隊の鎮圧対象となっていた事、また事情聴取の際に周囲からも問題のある人物であったという証言もあって、殺害したムラートの者達が罪に問われることはなかった。
黒薔薇は、この大命叛逆事件の際にポリニャック伯爵夫人と深く関わりを持っていた関係者の処分を行っており、当時のサン=ドマングの行政府トップの補佐官として奴隷制継続派であったエミール・フェリーレを泥酔させたうえで殺害し、あたかも自分でナイフで首を切ったように見せかけて、同じく商売仇であったイギリス人商人のジェームズ・バーバリーに罪をなすりつけることに成功している。
もし、この場所で起こった惨事がフランスでも起これば、あの輝かしいパリも光が映らない廃墟と化してしまうのだろう。
「復興事業……独立を勝ち取って士気も高い。おまけに自国内だけで経済を回していけるだけの資源と資本がある……本当に北米連合国は『豊か』な国の集まりね……」
彼女は北米連合国を羨ましいとすら感じていた。
何故なら、もう既に工場などが湯水の湧いて出てくるように次から次へと建設されていき、機械や蒸気機関なども夜通しで作られているからだ。
外交工作の一環として、フランスから盗んだ蒸気機関をコピーし、本家と比べたら質こそ悪いものの使える代物を量産できる体制を整えたほどだ。
『経済躍進政策』
北米連合国はまだ出来たばかりの新興国家である。
しかしながら、イギリスからの投資などを受けていたこともあって港湾施設やその周辺の都市部は発展していたのもまた事実。
イギリス向けに輸出されていた工業製品を、自国内に優先的に回して自国完結型の経済体制を確立させることによって、輸出に頼らない方式をワシントンらが提案したのだ。
まだまだ未開発の土地が多くあり、農場や宿泊場なども建設が進められている。
おまけにイギリス軍から離反した領邦諸国やプロイセン王国出身の兵士の中にも、北米連合国に残留を希望する者達が多くおり、彼らの働き口も兼ねて道路建設や復興施設の建設、それから技術者などについては手当や給料を優遇するなどして取り込むことに成功していたのだ。
かくして、北米連合国は外見から見れば、ヨーロッパよりも急速な発展スピードであることには間違いないのだ。
ワシントンと個人的な密約を交わしているラグーン共同組合は、強力な後ろ盾がある事を利用して好き勝手にやろうとはしなかった。
あくまでも裏方に徹底し、ポリニャック伯爵夫人から言われた通りに、北米大陸での表仕事を粛々と進める事のみに専念していたからだ。
とはいえ、そのポリニャック伯爵夫人主催のパーティーで起こった毒物混入事件を巡り、リーゼロッテは決断を迫られていた。
彼女の側近であり、黒薔薇の仕事をこなしている数少ない女性工作員の一人であるカミーユ・コレットにフランスからの便りが来ていないか尋ねた。
「……ところで、フランスからの情報は入ってきましたか?」
「はっ、先程ノーフォークに到着した船から速達便で来ておりました。こちらの封書に入っております……ご確認ください」
「!……あの方から直接来たのね……」
コレットにフランスの状況を尋ねると、彼女は封蝋されている手紙を差し出した。
差出人はリーゼロッテの真の主ともいうべきポリニャック伯爵夫人からであった。
今現在、パリで護衛と言う名の軟禁状態に置かれており、以前よりも自由な活動は出来なくなっている。
勿論のことながら、こうして手紙を書いて送ること自体がリスクを孕んでいる。
それを承知の上で手紙を直接送っているという事は、それだけポリニャック伯爵夫人が重大な決断を下したという事なのだろう。
手紙を開けると、以下の言葉が綴られていた。
~ ラグーン共同組合代表者へ ~
リーゼロッテ、ご機嫌は如何しら?
海を渡った向こう側では上手くいっているようで何よりだわ。
仕事のほうは順調であれば、これまで通り変わらずに通常業務をこなして頂戴。
それから、こちらで起こった問題に関しては大丈夫よ。
なんと国王陛下直々の部隊が私を保護して下さっているのよ。
確かに建物から出られないのは苦痛だけど、街中に出歩いて死んでしまう可能性も無きにしも非ずな状況なら、ここに籠っていたほうが安全よ。
それに今はこうして部屋で出来る仕事をこなしたり、楽器を演奏したり読書をしたりして気を紛らわせていれば問題ないわ。
くれぐれもセルゲイ少尉を倒そうだなんて思ってフランスに来たら相手の思う壺よ。
セルゲイ少尉は思っていた以上にずる賢い上に、私の信頼を失墜させようと躍起になっているわ。
国王陛下も私の事について疑っている節があるわ。
もしセルゲイ少尉が捕まって、私達の事が露呈された場合に、私を奪還しようとこちらに戻ってきてはダメよ。
事が露呈したら私が全ての責任を負うわ。
貴女は万が一の事があった時に備えて、北米連合との関わりを維持して勢力を保っていなさい。
今はまだ大丈夫かもしれないけど、もしかしたら今後の情勢によってはフランスはイギリスの革命政府と戦争になるかもしれないわ。
そうなれば北米連合は必ず革命政府かフランスのどちらかに支援を送るはずだわ。
だから、その時に備えて港湾や軍事・兵器工廠施設などを監視して、大きな動きがあったら知らせて頂戴。
それが貴女に任せる使命よ。
それじゃあ、手紙の行数も残り少ないからここまでにしておくわ。
しっかりと仕事に励んで頂戴。
~ ポリニャック伯爵夫人より愛をこめて ~
ポリニャック伯爵夫人からの手紙を読んだリーゼロッテは、内側からこみ上げてくる悲しみと、ポリニャック伯爵夫人がリーゼロッテを想っている事を知り、感極まったのだ。
側近のコレットも事情を察したのか、しばらく馬車の中で黙ったままであった。
ポリニャック伯爵夫人からの手紙が無ければ、7月までにフランスに入国して黒薔薇が総力を挙げてセルゲイ少尉に報復を与えるつもりでいたのである。
「手紙を読んだわ……セルゲイ少尉はフランスの諜報機関が受け持つことになりそうですね……」
「では……我々は現状維持という事になりますか?」
「そういうことになりますわ。下手に動いて事が露呈するかもしれないし、私達が動けばラグーン共同組合としての顔を失う……ここはポリニャック伯爵夫人の指示通りに、普段通り表事業を優先的に進めていくようにします」
「畏まりました。他の者にも指示を徹底させます」
ポリニャック伯爵夫人直筆サインと、封蝋がされた手紙を受け取ったことにより、セルゲイ少尉の対処はフランスに任せる形となった。
下手に動くなと厳命されている上、ポリニャック伯爵夫人が死を遂げる事態になることだけは避けたい。
ポリニャック伯爵夫人からの手紙を受け取ったリーゼロッテは、ラグーン共同組合として表向きの事業を着々と進める方針を維持していくのであった。