291:パリ宣言(後編)
「我が国だけでありません……改革を実行し、成功している国がある。それがオーストリアだ」
その言葉を発すると会議に集まっているメンバーは一斉にヨーゼフ陛下の方に視線を向ける。
ヨーゼフ陛下は「おっと、やってくれたな!」といった感じの熱い視線で俺のメンタルを溶かそうとしてくるが、実際にブルボンの改革を見習ってオーストリアで実施されているウィーン改革は成功を納めており、周辺国では仏墺同盟によってもたらされたのは軍事的な同盟だけでなく、政治改革までもたらしたと評されているようだ。
中々こちらとしても気分はイイね!
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「ヨーゼフ陛下との間で許可を取り、ウィーン改革についても記した資料は55ページから87ページの33ページに渡って掲載されている。ブルボンの改革をベースとしたウィーン改革は既存の政治体制において弱点であった貴族、聖職者への対策も施した。勿論、反発はあったがオーストリアでは改革に成功しているのだ。これほどまでに説得力のある事があるだろうか?」
実際に、ウィーン改革で行われた政策の数々のうち、事前に打ち合わせをした際に公開してもいいものをピックアップして資料に載せているのだ。
これもブルボンの改革と同様だ。
そして、欧州諸国会議で必要不可欠なのは改革が達成できるまでの国民のガス抜きや、革命阻止のための宣伝機関の設立である事も説明を行った。
「国民の意志を完全に従わせることは不可能だ。誰しもが何かにつけて不満を抱くことは仕方のないこと。しかしながら、完全な抑えつけを行えばたちまち火薬を詰め込んだ箱に松明を投げ込むような事が起きるだろう。そのためにも、平民の税率の引き下げや課税撤廃、貴族や聖職者が有している特権行使の廃止。改革を順次どのようにやっているかを示す宣伝機関の設立も急務だ……あなた達はどうお考えか……聞かせて欲しい」
「私から……よろしいですかな?」
まず最初に手を挙げたのはハインリヒ・フォン・プロイセンであった。
資料を持って28ページを指す。
そのページに書かれていることは【社会改革で不可欠な条件】について異議を申したいようであった。
「こちらの28ページに記載されている”国王を含めた王族は、国を担う主権者として国民に無理強いを強制せずに政治を行う”とありますが、具体的に王族を含めてどのように改革をするおつもりか……お聞かせいただければ幸いです」
「まず、私もそうですが国王や皇帝というのは国の元首であり、実権を握って手腕を振るうことが許されている者達です。名君であれば財政を立て直したり、質素倹約に励むでしょう。逆に愚王であれば税を厳しく取り立てておきながら贅沢三昧な日々を過ごす……私の祖父ならば愚王に当てはまるでしょうね」
「ッ……?!」
ここで自虐ともいえる発言をしたことでハインリヒはビックリした様子で見ていた。
そりゃ前任者はちょっとダメでしたとこの場で言い切ってしまうのは滅多にないことだ。
ましてや王であれば尚更だ。
では名君や大王と呼ばれるような尊敬されたり、強靭な財政を築き上げた人はどんなことをしたのか?
答えは実に簡単だ。
「愚王にならないようにするには、貴族や聖職者だけではなく平民の声を聞くことです。特に中産階級……平民でもそこそこ裕福な層というのは彼らの中でも知識人が多くおります。教養もあり、才能もある人が多い。そうした人達ほど国の政治を注視しているのです」
「つまり……ルイ16世陛下が仰っているのは、そうした中産階級の平民層の支持を集めなければ国の長が務まらないという事ですか?」
「端的に言えばその通りです。しかしながら、そこに付け加えるとするならば……貴族や聖職者との折り合い調整や、貧困層への支援などを行わないと、彼らの不満は高まります。故に、今後は宮殿方式ともいえる貴族の上流階級者だけで開かれるサロンよりも、平民層を交えて彼らの意見を伺う機会を与えるやり方に変えなければならないのです。革命思想を信仰している者達は、上流階級が剣の矛先を自分達に向けることを何よりも好機と捉えるのです」
革命が起きるのは、基本的に平民層による政治体制への鬱憤や怒りが頂点に達した時に発生する。
社会情勢が不安定化した時なんかが一番の好機だ。
政府転覆を行い、既存体制の打倒を目指して行う事を革命と呼ぶ。
そして体制側のやってきた事全てを否定し、自分達が正しいのだと吹き込んで事実を上書きする……。
東洋でも西洋でも革命のやり方に関しては変わらない。
革命は無垢な市民を扇動し、煽るだけ煽っておいて混乱を生じさせた隙を突いて権力を乗っ取るのだ。
それが古今東西、オーソドックスなやり方である。
「陛下、私からも一ついいですか?」
「勿論ですヨーゼフ陛下、何なりと」
「貴族階級者は全て裕福ではないが、一部の特権階級者が好き勝手に政治を掌握して平民の意向を無視するような事になればイギリスのような内戦になるとお考えですか?」
「はい、そう考えております。イギリスの場合は敗戦後に国内の経済状況の改善ができず、却って責任問題を巡って政治的に大混乱が生じてしまいました。そのような情勢下の中で新市民政府論を信仰する者達に曲がりなりにも平民層が共感し【支持】を得てしまったのです」
だが平民層の不満を抑えることができれば、彼らは革命を起こそうという気にはならない。
革命の弱点とは、支持してくれる国民がいなければ短期間で終息するという事だ。
軍事クーデターはともかくとして、60~70年代に吹き荒れた学生運動や、それに伴う過激派による企業や国家機関へのテロ攻撃は国民からの支持を失うことになった。
理由は単純明快、一般市民を犠牲にした集団の仲間だと胸を張って言えるわけないからだ。
そんな奴らが政府打倒への支持をしてくれと言ってきたら、ふざけるなの一言で済んでしまう。
早い話が、革命が成功するには自国民の大多数である平民層もとい一般市民からの支持を得られるかどうかに掛かっている。
ここで話を要約して一気に畳みかけよう。
「国民の大部分は平民層だ。それはどこの国でも同じであり、我が国では2500万人が平民層に属しておる。一方で王族や貴族、そして聖職者は全部合わせても60万人程度……つまり、全体の1割にも満たない支持層のためだけに、9割以上もの平民層の意見を無視したり、蔑ろにするやり方はあってはならない……フランスでは平民層にも政治や経済改革の為に積極的に参加するように呼びかけている。平民層の支持を得られれば、王政打倒運動が国内に入って来ても、そうした考え方に影響を受けるのはごくわずか……したがって、これまでよりも階級格差を是正する動きを行い、歩み寄る姿勢を見せなければ平民層の支持を失うだろう」
フランス革命が成功してしまったのは、ルイ16世が貴族や聖職者の意見に逆らえなかったという事もあるが、何よりも議会に振り回されて法案審議なども妨害を受けたり、予め決めていた内容を撤回したり変更を余儀なくされたというエピソードも残っている。
そうした国会に相当する三部会でのゴタゴタと社会情勢の不安定化で革命が発生し、一気に噴火したのだ。
今のイギリスのような状況も、まさにフランス革命で起こった出来事をなぞらえているような状態である。
「革命を防ぐためには、各ヨーロッパ諸国が格差是正と、農奴といった奴隷階級の身分を廃止にして平民層に統一するといった事が必要だ。これからの時代は、貴族ではなく人口が多い平民層の発言権や行動力も増していくだろう。であれば、革命の芽となる不正、汚職、混乱の三つを正していかないとどうにもならない」
不正や汚職、混乱が続けば国内情勢の不安定化は一層強まる。
であれば、それを無くす取り組みを作った改革案を皆が真似をすればいい。
「フランス、そしてオーストリアでは平民層の支持を得ることに成功している。また、この新市民政府論に伴う情勢不安を抑えるためにも、過去の恨みを捨てろとまでは言わないが、今はここにいる欧州諸国の代表者達の国が無くなる程に混迷を極めるのは避けたい。ここにいる誰しもがそう思っているはずだ」
周囲を見渡すと、どうやらみんなそう考えているようだ。
新市民政府論が国内に入り込んでいるというのもあるが、やはり情勢不安になるのだけは避けたい。
よし、あとひと押しして欧州諸国を一つにまとめようじゃないか。
「そこで我がフランスは当面の間は侵略された場合を除いて戦争を起こさず、革命阻止の為にも互いに連携して情報を共有し、必要に応じて同盟国以外にも身分階級による格差是正と社会秩序の安定化を図れるように協力し、協力体制を担う国家間の枠組みを超えた組織……欧州協定機構の発足を今この場において宣言する。私と同じ考えで組織に加入する意向があるなら賛同を願いたい」
俺は高らかに宣言する。
この宣言は対革命宣言であると同時に、階級による著しい身分差別を無くし、平民層の保障などを充実させるというものだ。
それが欧州協定機構だ。
早い話が革命を起こされるぐらいなら自分達から変えていき、各国と足並みを揃えてやっていこうという組織だ。
それをフランスが先陣をきって宣言したのだ。
俺の宣言の後にヨーゼフ陛下が起立して賛同してくれた。
「……オーストリアもフランスと同様に、宣言に賛同する。それと同時に各国が協力して連絡を担う事務局の設置を要請願いたい」
「分かりました。欧州協定機構の連絡事務所などは優先的に設置場所などを策定致します」
ヨーゼフ陛下の要請はごもっともだ。
方針が決まっていても中心として動く事務所が必要だ。
ヨーゼフ陛下の顔を立てるためにもオーストリアに総本部を設置したほうがいいかな。
ヨーロッパの中心部に位置するし、あとは他の国が賛同するかどうかだ。
「クラクフ共和国政府としては、宣言に同意し欧州協定機構の参加を希望する」
「スウェーデンも同様に宣言を尊重し、新組織への加入を申し込みたいです」
「スペインも同感です。ヨーロッパの危機を皆で乗り越えましょう」
最初にクラクフとスウェーデン、スペインが宣言を尊重し、欧州協定機構に賛同する意向を示した。
それに続くようにポルトガルとデンマーク=ノルウェー王国、トスカーナが加わり、あっという間に7か国が加盟してくれた。
「領邦としては、欧州情勢不安定化が懸念される為に、一時的な参加に留まる事を留意願いたい」
「プロイセンとしても同感だ。あくまでも一時的な協力関係であれば協力しましょう」
「ロシアも同じです。我が国の情勢では資金は満足に歳出できないので、ひとまず参加だけはさせて頂きます」
「同じく、ポーランドも……」
領邦やプロイセン、ロシア、ポーランドは渋々ながらも宣言を採択し、すでに反乱や革命分子による活動が見られている為に、欧州協定機構への参加を表明する。
欧州協定機構の発足と同時に俺を含めた代表者達のサインが連なっていく。
イギリス代表として参加しているマンスフィールド伯爵も、政府代理として協力に留まるが名を連ねてくれた。
1777年2月20日、午後3時15分。
革命阻止のための協力関係の構築を目的として、欧州協定機構が欧州列強各国の合意の元で発足した。
平民層への保障の拡大などを謳い、暮らしを向上させる事と革命阻止を掲げ、利害関係を一旦置いた上で欧州がまとまった記念すべき日となった。
パリのブルボン宮殿で行われた事から、ヨーロッパ各国からパリ宣言と呼ばれるようになるのは、少し後の話である。