279:国民平等軍
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1777年1月10日
フランス ダンケルク
去年新設されたばかりのフランス陸軍沿岸防衛隊の兵士二人組が、厚い服を重ね着しながら夜間の巡回警備に当たっている。
油に火を灯したカンテラを片手に、寒さに身体を震わせながら歩いていた。
「うぅ……さ、寒い……ただでさえ気温が低いのに、この風も相まって身体が凍みるよ」
「あとちょっとで休憩の時間だ……あと一か所巡回すれば配給の大麦パンと肉入りのコンソメスープにありつけるぞ……それまでの辛抱だ」
「ああ、分かっているよ。それにしても本当にイギリス人が可哀そうだな……あんな状態でやってきたんじゃ毛布がいくつあっても足りないよ」
「全くだ。色々と言われてはいたけど、正直ここまで酷いとはね……」
彼らが目にしているのは『亡命者・難民申請受付所』と書かれた建物の前に、大勢のイギリス人がおしくらまんじゅうをするように建物に沿って並んでいたのだ。
フランスの沿岸部でも同様の事が起こっており、特にドーバー海峡を挟んで最もイギリスに近いこの場所には大勢の亡命・難民と化したイギリス人が押し寄せていた。
彼らは着の身着のままロンドンから脱出してきた一般市民であり、他の地域への避難も拒否された為、仕方なくこの港町に身を寄せていたのである。
当初は国が用意したダンケルクにも収容施設があったのだが12月の末に満杯になってしまった事で、別の市町村や諸外国など第三国を経由してそちらに向かう者も多くいる。
しかしながら、このダンケルクに留まる者も多い。
着の身着のままで脱出した者の中には密航代として財産を手放してしまった者が多くおり、素泊まり専用の簡易宿泊所の料金でさえ払えずにいるのだ。
地元の教会やフランス軍が主導して、炊き出しや毛布、簡易トイレなどを配布しているが、亡命・難民申請希望者の数は増えるばかりだ。
「最初は富裕層の人達が船から降りてきたけど……ここ最近は平民層が多く逃げてきているんだなぁ……」
「そりゃ金持ち連中なら真っ先に逃げだすだろ?この間の月刊誌『アレ・デ・マス(フランス語で【大衆の味方】)』の国王陛下直筆の特集コラムに書かれていたけど、戦争時に多くの難民が生じるのは戦争が始まった直後ではなく、ある程度時間が経過した頃が多いって……11月ぐらいからイギリスで不穏な騒ぎがあって以来、1月から急激に増えていくじゃないか」
「反乱を起こしている連中だっけか?何でも平民以外が持っている富を強制的に接収して再分配しようとしているみたいだしな……噂じゃ、大聖堂や貴族の屋敷が襲われて略奪されたり、処刑場として再利用されているらしいぞ」
一般市民によるロンドンからの脱出は、まさに炎上した大船からの脱出劇でもあった。
ロンドン動乱が大きくなり、政府のコントロール下を離れた一部の政治家や弱小貴族が革命勢力に合流し、自分達とは否定的な考え方を持つグループの攻撃を開始したのだ。
新市民政府論の中でも語られていた急進的な論調に同意または共感した者達が集まり、身分の階級は関係なく平等であるべきという思想の下で一致団結し反国王、反政府、反宗教を謳いながら自分達を陥れているとしている者達に容赦なく攻撃を加えた。
「政治家や王族だけじゃなくて宗教までも攻撃するとはな……仮にも自分達の信仰している教義までも否定しているのか?」
「宗教が慈善活動じゃなくて汚職に力を入れているっていう噂を基に襲撃しているみたいだぞ。ほら、一昨年ぐらいにロアン枢機卿が武器を密造して横流しをしていたり、未成年者への暴行で死刑になっただろ?あれと似たような事件がイギリスでもあったそうだぞ」
「そうなのか……ただでさえ国民が不況に喘いでいる時にそんな事をすれば信用も失うのも無理ないわな……」
「おまけにそうした富裕層を襲撃して、彼らの資産を貧困層に配っているらしいぞ。だから貧困層は彼らを支持しているし、資産のある連中は真っ先に逃げだそうとしているってわけだ」
「なるほど、通りで直ぐに富裕層が逃げだしたわけだ」
新市民政府論を信じている彼らは自分達が平民層の救世主であるとし【国民平等軍】を自称し12月6日に結成。
それまで冷遇されていた階級社会からの脱却を目指すという建前を使って、各地の警察署や軍の武器保管庫などを襲撃、これらから略奪した武器を手に取ってイギリス各所で蜂起を起こした。
スコットランド・ウェールズの蜂起は早期に鎮圧されたが、イングランドではロンドンを含めた南部一帯を制圧下に置くことに成功し、現在一般市民や思想転身した陸軍兵士など合わせて5万人の戦力を確保することが出来たのだ。
彼らが謳っているスローガンは実に単純明快であった。
【我々から高額の税を搾取し、たらふく私腹を肥やしている平民の敵である大貴族や国王、それに尽き従う税を免除されている富裕層は敵であり、我々平民からは良心的な値段で税を要求する!そして我々が政府を樹立し、皆が支持をしてくれた暁には人々に職とパンを分け与える事を約束する!】
このスローガンは新大陸動乱とそれに伴う経済的不況によって貧困層らの支持を取り付けた。
パンを買う事すらままならない債務者がいる一方で、庶民の平均月収に匹敵する金額を使った豪勢な晩餐を毎日楽しんでいる者も多かった。
新大陸で敗北し、手ひどくやられたうえに政治的・経済的混乱によってイギリスでは急速な格差社会が生まれていた。
増え続ける債務者や貧困層に対して、政府が行ったのは【努力せよ】という言葉だけであった。
そうした積もりに積もった不満が爆発し、立ち上がった国民平等軍。
蜂起を起こし占領下になったロンドンの各地区から選出された代表者達から多数決で選ばれた人物がリーダーとなって軍及び行政の指揮を握っている。
そのリーダーになっているのは、オックスフォード大学で法学部を専攻していた一学生だ。
本来の歴史では中流階級出身であり、特に歴史の教科書で名前を記されることなく法律事務所を開いて平穏な人生を歩むはずだった人間である。
しかし、歴史が変わったことで彼の人生も大きく変わってしまい、結果的に彼は新市民政府論の影響を大きく受けた。
結果、このイギリスで起こっている動乱を内戦へと拡大させてしまう程の力を有する事になったのだ。
『人々に必要なのは堕落した政治体制の一掃です!そのためにも、我々の行動は必要不可欠でもあるのです!今こそ立ち上がり、我々の正義ある行動を示す時なのです!我々に協力してくれた議員や貴族の方は快く支援をしてくれております!この国民平等軍こそがブリテン島を豊かにする証であると理解してくれるはずです!平民を守り、そして平等になれる法律を作ることこそが我々に課せられた使命でもあるのです!』
1月4日に陥落したロンドンの議会場で、その学生は声高らかに演説を行い、後に国民平等宣言書という形で占領下に置かれた地域で身分階級の平等化が行われたのである。
しかしながら、彼らは敵とみなした者には容赦ない制裁を加えていた。
新大陸の植民地人から拷問などを受けて捕虜になって帰国した兵士が国民平等軍に参加すると、彼らから受けた仕打ちをそのまま新しい敵となった者にぶつけたのだ。
「国民平等軍の連中は植民地仕込みのやり方で殺しをしているらしいからな……普通に串刺しにされるよりも恐ろしい殺し方をするとか……だから国民平等軍が語っている”敵”に少しでも心当たりのある連中は逃げてきているってわけさ」
「……それにしても、数週間前に、こんなに亡命・難民希望者が沢山来るとは思わなかったなぁ……」
「ああ、それに宗派は違えどイギリス国教会の神父さんまでいるぐらいだ……先週は貴族連中が多くて職員が対応に苦労したそうだぞ」
「ほう、どんな苦労を?」
「それがな……『あくまでも一時的な亡命であり、正式には心はまだイギリスにある!』とか言って亡命申請欄の概要欄に名前を書くのを渋ったんだよ。一時亡命申請にしても職員が対応に困って、色々と頓智噛ませてきたからパリからやってきた調査員から叱られたそうだったとね」
「それは難儀な奴だったな……全く、困ったものだよ」
兵士はやれやれと呟いていたが、彼ら国民平等軍が反乱を起こした理由も何となく分かってしまうのだ。
フランスではルイ16世がブルボンの改革を主導したことで綱紀粛正が図られて、貴族や聖職者などで不正や不穏な事を行う輩はほとんどいなくなった。
しかし、他の国では既存利益を守るために改革に反対したり、平民層への取り立てを強化している所もある。
いつの日か、イギリスのように他の場所でも新市民政府論に同調した輩が反乱を起こすのではないか?
その時、フランスも彼らと同じような考え方を持った連中が反乱を起こすのではないか……という不安が過り、配給食である大麦パンと肉入りのコンソメスープを食べて、その不安をかき消すのであった。