273:沈痛のお正月
☆ ☆ ☆
1777年1月4日
日本で言う所の正月三が日も終わり、ヴェルサイユ宮殿では普段通りに職員が仕事に励んでくれている。
明けましておめでとう、今年もよろしく。
そんな労いの言葉をかけて人々を励ましている。
さて、本来であれば新年のイベント行事などをドンドンと行う時期なのだが、今年はそうも言ってられない。
「新年の行事が書類と睨めっことは……いやはや、何とも言えないな……色々と迷惑をかけてすまないねハウザー……新年早々手伝って貰って……」
「いえ、陛下のお役に立てれば幸いです。それに、我々としても希望者の中から有能な人材をヘッドハンティングできればフランスの利益になります。それにオーストリアやスウェーデンと協力しておりますからフランスだけがリスクを背負うのではなく分散して彼らへの移住を行うことが出来ます。なので焦らずに行いましょう」
「そうだね……ありがとう。ちょうど今こっちの申請書類への承諾サインを書き終えたところだ。次の分を持ってきてくれないか?」
「かしこまりました。少々お待ちください」
イギリス情勢が深刻な状況となり、12月7日にプランGB……イギリス脱出計画を発動させてフランス海軍の半数を動員し、イギリスからの避難民や亡命希望者を受け入れている真っ最中なのだ。
ハウザーが持ってきてくれた資料にはドーバー海峡からやってきたイギリス国民の人数が数値化されて記されている。
いずれも想定していた以上に押し寄せているので、各地の行政関係者に頭を下げて彼らへの一時的な居住場所を割り振っている最中だ。
そのお陰でご覧の通り、執務室で缶詰状態……持ってきた『イギリスで発生した動乱による難民及び亡命者への居住申請許可証明書』にサインをする日々だ。
ぼちぼち腱鞘炎になりそうで怖いよ!
「陛下、ダンケルクより追加の難民・亡命者の申請書類になります。合計で3800人分ございますが……よろしいでしょうか?」
「大丈夫だ。それにあまり港に長く留めておくと港町に負担が増えるからね。今日中にはこの3800人分の申請書類にサインをしておくよ。ダンケルクに到着した民間船は皆ロンドンからの避難民なのかね?」
「はい、いずれもそこそこ裕福な市民層が中心となって脱出を図っているそうです。次に商人やイングランド国教会の聖職者、少数ですが貴族も含まれております」
「脱出しているのはそれなりに身分が高い、もしくはお金を持っている人が多いってわけか……」
「すぐに脱出できるだけの資金を揃えることが出来るのは富裕層や聖職者、貴族ぐらいですからね……各所での動乱に乗じた反政府運動によってロンドンでは大規模な火災も起こり、地区ごとで革命支持派と王党派による戦闘が起こっているぐらいですから、既に内戦状態に陥っているものと推測されます」
12月4日、かねてよりイギリス国民の間で溜まっていた政治的混乱と経済不況の積み重ねによる鬱憤と反政府運動がより過激になり、新市民政府論を主張する学生を中心としたグループがとうとうロンドンに貯蔵されていた武器保管庫を襲撃し、保管庫の武器弾薬の類を持ち出してロンドンの行政府機関に火を放った。
それが合図と言わんばかりにロンドン各所の警察署や駐在所、軍関連施設でも火の手が上がり、ロンドンは大混乱と化している。
それよりも少し前にロンドンで活動しているデオンから、イギリス国内が内戦間際なのでエディンバラに国土管理局の支部を移転させて動向を探ると共に、革命勢力への調査も行うことを告げていた。
さらに彼女は一刻も早くプランGBを発動してほしいと嘆願をしてきたので、直ぐにプランGBを発動させてフランス海軍をイギリスに向かわせて在英フランス人や同盟国・友好国の民間人、科学者・技術者の避難を行ったのだ。
12月3日から12月13日の間に徴収した民間船を含めてのイギリス脱出作戦では述べ2300人に及ぶ在英フランス人や同盟国・友好国の国民と1300人のイギリス人を救出する事に成功した。
またイギリス人のうちリストに入れてあった技術者、聖職者、貴族、政治家、科学者の大部分をイギリスからフランスに脱出させることができた。
途中11日に大雨が直撃し、岸壁に接触して舵が壊れてしまい止む無く自沈することになった旧式の戦列艦1隻と衝突事故により船首が破損して沈没した輸送船2隻がフランスの出した損失であった。
死者・行方不明者は49人、負傷者86人と少なからず損害を出したが、陸上では事前にイギリス側に通達を出していたこともあり、地上戦闘は奇跡的に起きなかったのが不幸中の幸いだった。
フランスに亡命したイギリス軍人曰く、大勢の市民が新市民政府論を信じており、尚且つ武力的な手段を使って革命を起こそうとする勢力がイギリス全土で蜂起を起こしているらしく、イングランドだけでなくウェールズやスコットランドでも襲撃事件が発生し、これもまた大勢の死傷者を出しているそうだ。
特に、ロンドンが滅茶苦茶なぐらいにカオス状態となっているので政府首脳部や王族関係者はバーミンガムを経由して王党派への支持を表明したエディンバラ城へ退避し、現在ロンドンは戦場と化しているそうだ。
「思っていたよりも状況が酷すぎるな……脱出した中でハウザーが気になった人は誰がいるのか?」
「はっ、付属の難民・亡命申請者のプロフィール資料154ページに書かれておりますジョージ・ニュージェント伯爵、次にジョージ・サックヴィル子爵です。ニュージェント伯爵は庶民院のホイッグ党議員であり、オックスフォード大学では優秀な成績で卒業しております。サックヴィル子爵は動乱直前まで商務庁長官を務めていた人物です。特に、サックヴィル子爵はかなり癖があり、内閣だけでなく軍部からも嫌われ者として有名ですね……」
「えっ……内閣だけじゃなくて軍部からも嫌われているって相当じゃないか?そのサックヴィルは何かやらかしていたのか?」
「七年戦争の時に軍指揮官として派遣された際に連合軍の現場指揮官との間で折り合いが悪く、いくつもの命令無視や独断専行……さらには横暴な対応をしていたらしく、評価はあまりよろしくありませんでした。実際に軍法会議で命令不服従の罪で有罪判決を受けて軍人としてのキャリアは降ろされておりますし、一昨年に商務長官に就任されるまではかなり議会でも冷遇されていたそうです」
「そんな人物がなんでよりにもよってフランスに来ることになったのか……本人から取り調べで何か言っていたかい?」
「事前の取り調べにおける報告では、混乱の最中にノース男爵の息のかかった者から襲撃を受けたと説明しているそうです」
ニュージェント伯爵はともかく、サックヴィル子爵に関してはハウザーからの説明を受けただけで「これはちょっと……」と思ってしまう。
しかしながら商務庁の長官として起用されるぐらいなのだから、それなりに実務では使えるという感じか……そんでも軍部や議会から嫌われ者って相当偏屈な人物なのかもしれない。
うーん、この人は曲者だろうからちょっと見極めてから採用検討しようかな。
「で、話を戻すけどこの3800人分を承認すれば今日までにどのくらいの人数を受け入れたことになるんだい?」
「合計で約5万人になります」
「5万人か……これ以上の受け入れは相当難儀するかもしれないなぁ……ただでさえ収容施設は一杯だし……」
「オーストリアやスウェーデンへの割振り分もあり、一時的に滞在する者を含めての数値ですが、それでも港町での受け入れはあと3万人が限度でしょうね……馬を使ってフランス各所に人数を割り振っておくべきでしょう」
今現在、ヴェルサイユ宮殿の国土管理局内に届けられている情報だけでも5万人の市民がダンケルクやカレー、ディエップといったイギリスから最寄りの港町に大勢でやってきている。
当然、それだけ人がやってくるとなれば足りないのはそうした人達を収容する施設や食料・医薬品の類だ。
イギリス大使のマンスフィールド伯爵が何度も申し訳なさそうに頭を下げて助けてくださいと懇願している姿を見ていると心が痛む。
とはいえ、こちらも慈善事業でやっているわけではないので『イギリス国内の動乱による避難民受け入れに関する条例』を制定し、彼らが動乱後にイギリスに戻る意思がある場合には速やかに収容施設から出る事や、避難民の中に過激な革命思想……新市民政府論を支持しているか等を確認している。
特に、新市民政府論はフランスではそこまで浸透はしていないが、イギリスでは不況と政治的混乱によってこの革命思想が強く支持を受けてしまっているのでこうした過激な思想が支持されないように防衛をしなければならないのだ。
そうして申請書類のページをめくってチェックをしていると、一人の人物が目に留まったのだ。