259:仏印交渉
初めてインド料理をアントワネットが目にした時の感想が「えぇ……(ドン引き)」だったと書かれていたので初投稿です。
参考資料も載せておきます。
マイソール王国からの使節団がヴェルサイユ宮殿にやってきたのは午後1時ごろであった。
盛大に音楽隊を使ってはるばるインドからやってきた使節団たちを出迎える。
遠くから見てもインドの人達だなと分かるのは、彼らの身につけている衣装もさることながら、頭にターバンを巻いている事だ。
中東諸国でもターバンは巻くことはあるけれど、やはりあのターバンを被っている中でもインド人は凄くしっくりくるなと個人的に心の中で思うのだ。
ちなみに麦わら帽子ほどではないが、国王クラスの偉い人になるとターバンも長っぽい感じになるそうだよ。
使節団代表の人が前に出てきて膝をつく。
王への謁見をする際にはこれが礼儀なのだが、やはり使節団代表ということもあって綺麗に膝をついてしっかりと目を見て流暢なフランス語で挨拶を交わす。
彼こそがマイソール王国の使節団代表であるモハメド・デルウィーシュ・カーンだ。
「ルイ16世陛下、お初にお目にかかります。使節団代表のモハメド・デルウィーシュ・カーンです。この度は盛大なお出迎えに感謝しております」
「いえいえ、こちらこそよろしく!モハメド・デルウィーシュ・カーン……遠路はるばるフランスにようこそ!我々は君たちを歓迎するよ!」
モハメド・デルウィーシュ・カーン……。
彼は史実でも1788年にフランスを訪問しており、その時にアントワネットとも謁見した事のある人物だ。
ちなみにその時にインド人使節団と会食したアントワネットは友人と一緒にお昼を取った上で、インド式の食作法を体験したそうだが……彼女曰く凄く印象に残ったようだ。
曰く、インドでは基本的に手を使って食事を取るのでフォークなどを使わないのだ。
使節団の人達からしたら普段通りの作法で食べていただけだが、アントワネットからしたらとんでもなくたまげた食べ方だったのだ。
勿論、これに関してはインドでは右手は清潔なもの、左手は不潔なものを掴む時に使うルールがあるので、インドでは手づかみで食べる事は日常茶飯事。
決して彼らの生活風習などを批判や中傷する意図はない事を明記しておく。
アントワネットからしたらかなり強烈に印象に残ったようで彼女は結構ビックリした上で、あれはちょっと……と書き残している。
やはりその光景と使節団一行が食べていたスパイスが強烈だったらしく、あの時の事は(悪い意味で)未だに覚えていると遺した手紙も現代に現存していた筈。
インドといえばスパイスだしね、うん。
カレーとダンスに関しては凄いもんね、あと現代だとIT関係でも躍進していたな。
マイソール王国の使節団をおもてなしする為にカレー粉などを厳選して晩餐会で提供するつもりだ。
勿論カレーに付けると最高に旨いナンもセットでね!
使節団代表とは和気あいあいとした雰囲気で、歓迎ムードで出迎えている。
そういえばモハメド・デルウィーシュ・カーンってフランスに来るのは初めてだっけ?
ヨーロッパ言語でも日本語以上に発音が難しいと言われているフランス語をつっかえたりせずスラスラと喋っているので相当フランス語を勉強したのだろう。
ちょっと気になったのでさりげなく聞いてみる。
「そういえばフランスに来るのは初めてかい?」
「はい、直接こうして訪れるのは初めてです。正直な話、とても緊張しております」
「おお、そうか……いやはや、それだけフランス語をしっかりと喋れるようなら大丈夫だよ!フランス語は何処で習ったんだい?」
「フランス人の軍事顧問の方からフランス語について学んできました。軍事だけでなく教養も凄まじく出来た方でしたから、殿下の外国語の講師もなさっております」
「おぉ、そうだったのか……マイソール王国は国力増強に力を注いでいると聞いているが、教育にも力を入れているのだね」
「はいっ、我らの君主が国家方針として定めております。文字を扱える者が少なかったのを嘆いて教育の充実化にお力を注いでおりますから……文字を学び、学を育てる事こそが国を豊にする事でもあると仰っております」
デルウィーシュは自信と誇りを持ってフランス語を学んだ経緯と君主について語ってくれた。
フランスを始めとしたヨーロッパ方面から軍事顧問を雇い、国家や軍隊の近代化を推し進めており、特に教育分野においては村単位で学校の建設と教員の育成に力を入れているそうだ。
明治時代に日本が文明開化して他国の水準に追いつくことができたのも、子供たちが寺小屋などを通して教育を学ぶ土壌があったからこそだ。
やはりマイソール王国の君主であるハイダル・アリーは名君として呼ばれるだけの事はある。
「ふむ、マイソール王国とは良き関係を築けそうだ……では、豊穣の間でより詳しい話をしようか」
「はいっ、何卒宜しくお願い致します」
そんな使節団の面々を集めた部屋は豊穣の間だ。
元々この部屋はルイ14世の統治時代から王室や大貴族を招待するのに使われている。
某骨董品鑑定番組に出展したら億単位の価格になりそうな唐時代の陶器や、ヨーロッパ方面から集めた美術品の数々が展示されている部屋でもある。
基本的にこの部屋でルイ14世は「俺の持っているコレクションスゴイだろー大会」……曰く、自慢話をするのによく使用していたそうだ。
お前は某国民的アニメに出てくる金持ち自慢坊ちゃまかな?
あまりにも気合入れて豪華絢爛に仕立て上げようとするから戦費足りなくなったんだろ!と言いたくなるが、後世では結果的に世界遺産に登録されたので、文化的価値としては高いようだ。
まぁ、それは人類史にとって文化遺産として語り継ぐのが出来たのは良いにしても財政的な面ではまるっきりだめだ。
そのせいで俺の代になっても負債だらけという凄まじき赤字経営。
史実でルイ16世が国王に就任した時ですら、もうちょっと緊急財政健全化法案とか提出しないといけないレベルだったのに、貴族や聖職者の反対意見に押されて大規模な経済改革が出来なかったのが革命の要因でもある。
なのでルイ16世が無能だったからではなく、ルイ14世とルイ15世の統治時代に積み重なった負債……借金がフランスの処理能力を超える勢いで増えすぎた事が原因でもあるのだ。
歴史家でもフランス革命を支持している教師や政治家とかはルイ16世の統治能力がいけなかったとか、アントワネットに浮気されるぐらいに魅力が無かったとか色々好き勝手に言うけど、彼一人だけに責任押し付けるのは良く無いよ……彼だって人間だし、革命で処刑される直前にもアントワネットの事を気に掛けていたぐらいだ。
ホント、自分が転生すれば嫌という程に今の気持ちが分かるようになるぞ。
最初に国の支出や収入の資料に目を通した時に、この国は国家ぐるみで自転車操業でもしていたのかなと白目を剥きたい気分だった。
極端な例だが、ルイ15世の統治時代に王冠に見合う豪華なダイヤモンドが欲しぃ!と考えたとある政府閣僚が周囲に根回し(脅迫や物理的手段を含む)して何百万リーブルという凄まじいクソデカダイヤモンドを買うぐらい財政の事なんて「まぁ、何とかなるでしょ(笑)」としか思っていないような行動ばかりしていたのだ。
ちなみにそのクソデカダイヤモンドを購入するように周囲を押し切って行動した人物こそオルレアン公であり、現在バスティーユ牢獄に終身刑として収監されているルイ・フィリップ1世の祖父だったりもする。
ルイ14世はフランスの権威をヨーロッパに知らしめた太陽王であると同時に財政をダメダメにしていった斜陽王でもある。
ついでルイ15世も政治よりも愛人と過ごす時間を大事にするタイプの人間だったこともあり、戦争してはいけないぞとルイ14世が死に際に放った遺言も、摂政や閣僚の意見で戦争しても大丈夫だと思って戦争したらボロ負けするし……。
資料室でさりげなく調べたら亡くなる直前にルイ15世の摂政にこいつにだけは任せてはいけないと遺言でダメ出しされていたオルレアン公に対し、なんとよりにもよってオルレアン公が実質的な政府幹部のリーダーであったことも相まって裁判所などに裏工作してルイ15世の摂政に就任するといった具合にやりたい放題やっていたみたいだ……。
オルレアン家はフランス潰したいのかな?と小一時間愚痴ってしまったのは秘密だぞ。
……と、こんな感じで思い出話を回想していたら豊穣の間に到着した。
各国の王室や貴族、使節団や大使を招く際にはそういった自慢よりも会談や謁見の場として使わせてもらっている。
壁には額縁に凛々しく飾られたルイ14世並びにルイ15世の肖像画や宗教・政治的に重大な場面を描いたイラストが……天井には職人が年月をかけて描いた壁画なんかもあり、まるでファンタジー映画に登場しそうな部屋だと毎回入室するたびに思っていたりもする。
使節団の面々はこの部屋を見ると思わず目を丸くして辺りを見渡している。
デルウィーシュも凄い部屋に招待されたと思っているのだろうか。
少しばかり身体が震えているように感じた。
そんなマイソール王国の使節団と共に会談を開いたのであった。
参考資料
「ビジュアル選書 王妃 マリー・アントワネット」
編集 新人物往来社
発行者 杉本 惇
発行所 株式会社 新人物往来社 (2010)
『マリー・アントワネットは何を食べていたのか ~ヴェルサイユの食卓と生活~』
著者:ピエール=イヴ・ボルペール
訳者:ダコスタ吉村花子
出版:原書房
2019年6月21日 第1刷