255:汽車は走る
蒸気機関車に掛けられていた天幕が降ろされる。
黒いカラーリングで車体は塗装されており、車体の側面に大きな歯車が取り付けられており、ゆっくりと回ると蒸気機関車もそれに続いて動き出した。
これまでにも1/2スケールの機関車を走らせた事があるが、ここまで大きな蒸気機関車を走らせるのは初の試みのようだ。
勿論試験走行は幾度もテストしたそうなので、恐らくは問題ないだろう。
「おぉ!これが蒸気機関車かぁ!」
「煙突から蒸気を吐きながら動いているぞ!」
蒸気機関車を初めて見た人達は歓声を挙げながら驚いた様子で見ていた。
馬車などで動く乗り物はあっても、そうした生き物を使わずに動き出す乗り物を見た事がないからだ。
まだ蒸気機関車としても本当に最初期である事から、速度などもそれ程速くはない。
現代の電車や車に比較してしまうと鈍足扱いになってしまうだろう。
それでも、この時代では数百キロの荷物を牽引できる革新的な乗り物が産み出された事もあり、まさに新しい文明の利器を人々が目撃した歴史的瞬間でもあるのだ。
蒸気機関車の実用性を証明する為に、後ろには荷台も設置されており、この荷台にはワインを満載した樽を2つ積載している。
重さは一つの樽につき約220キロ、二つ合わせて400キロ超の重さのある樽を積んで走らせている。
というのも牽引する能力があると証明する為に行われており、蒸気機関車が完走後には樽に入っているワインを開けて皆で乾杯するという手筈だ。
当初はもっと積載する予定だったのだが、部品が破損していたこともあって万が一脱線等をすればいけないという理由で、積載量を減らして実践する事となった。
帽子を被った中年男性がカフェのテラスからコーヒーの入ったコップを片手に持ってまじまじと見つめており、子供を連れた男性は、子供を肩車して走りだしていく蒸気機関車を見せている。
若い女性達はオシャレな服装をしながら蒸気機関車をまじまじと見つめて、何やらキャッキャッと談話までしている。
今日からしばらくの間は蒸気機関車の話題で持ち切りになるのは間違いない。
そんな絶賛注目されている蒸気機関車を操縦しているのはキュニョー中佐だ。
すごくうれしそうな顔をしながらしっかりとハンドル操作ならぬレバーを操作して蒸気機関車の速度を調整している。
かなりレバーが重たいのか、両手を使ってレバーを握りしめて調整をしているのだ。
(キュニョー中佐にとっては表舞台でこうして堂々と活躍できるから本人にとっても嬉しい事なんだろうねぇ……すごい笑顔で走らせているね)
まだまだ改善や改良を重ねるべきところもあるが、一先ずは史実より十年以上先取りして蒸気機関車を発明・誕生させた国家として歴史にその名を刻むであろう。
あとでキュニョー中佐には恩賞と昇格してあげようかな。
既に大尉から少佐、中佐と二階級ステップアップしているけど、今回の功績は人類史に残る偉大な功績だからね。
軍部にもしっかりと口添えしておこう。
蒸気機関車はレールに沿って動いている。
歯車はしっかりと回っているし、機関車としての基礎は既に出来上がっているので問題なく進むだろう。
仮設駅まで無事に到着できれば蒸気機関車の実用性を国内外に示すことが出来る上に、フランス科学アカデミーとしても大きくPRも出来るはずだ。
動いていく蒸気機関車を見て、仮設駅に到着する予定の蒸気機関車を追いかける事になる。
こんなことは滅多にできる事ではないからね。
ただ、群衆の数も凄く多いので、事故を起こさないようにゆっくり動くことになるだろう。
安全の為に馬車に乗って車列を組んで走行するプランとなっている。
「アントワネット、この光景は歴史に残るぞ……人類史にとって偉大な1ページを刻む事になるよ」
「そうですね……以前オーギュスト様が仰っていた科学の時代が来ると……それがこうして動いているのを見ると、感極まりますねぇ……」
「そうだね、予定では1キロ先の仮設駅までの走行をするから、馬車に乗って追いかけてみようか」
「はいっ!」
キュニョー中佐が動かしている蒸気機関車の速度は約5キロ前後、ちょっと早歩きで歩くぐらいの速度だ。
人々は蒸気機関車が動くのに合わせて追いかけるように走りだしていく。
子供だけではなく大人たちも目を輝かせながら蒸気機関車を追いかけていく。
レールが敷設された道路に沿った道には人々が詰めかけており、建物にも蒸気機関車を一目見ようと手を振ったりして声援を掛けている人も少なくない。
ノロノロと動いているかもしれないが、これでも馬を使わずに走る乗り物としてはかなり早いだろう。
帆船やスキーといった風や坂を下る力で動かす乗り物以外では、恐らくこの乗り物が最速なのかもしれない。
俺とアントワネットは護衛のジョセフ達と共に、馬車に乗って車列を組んで蒸気機関車を追いかける。
普段俺達の馬車の移動を行っている御者さんも、蒸気機関車を追いかけるというこれまでにない経験をしていることもあってか、普段よりも嬉しそうな表情をしている。
凄くわかるよ~その気持ち。
新しいモノとかこれまでにない画期的なモノを目の当たりにした際には誰だって目を輝かせるものだ。
「それにしてもスゴイ人だなぁ……街中に作ってみたけど、今後はレールに入らないように柵なども強化して作っておいた方がいいね」
「そうですね……よく見ると柵を乗り越えて蒸気機関車を追いかけている人もチラホラいらっしゃいますねぇ……」
「うーん……アレはちょっと危険だねぇ、もうちょっと柵も高くしておくか……」
街中に線路を敷設した事も相まって、柵を乗り越えて蒸気機関車を追いかけている人も少なからずいた。
現代で特別な理由がないにもかかわらず線路に踏み入って写真を撮る輩が多くいるが、確実に危険行為になってしまうので危ないし、万が一事故が起これば過失責任は撮影者に降りかかるのだ。
今回はそんな事はないように思えるが、それでも危ないのでまた対策を練らないといけないようだ。
将来鉄道が運用された際に線路内への立ち入りが問題になると思うので、今後に備えて後で言っておくか。
「仮設駅まであとどのぐらいなのでしょうか?」
「そうだねぇ……だいたいあと半分ぐらいじゃないかな?この調子だともう10分から20分ぐらいで到着すると思うよ。そこで積荷のワインを開けて完走記念として皆で乾杯する予定さ」
仮設駅まであと数分。
道に沿って線路を敷設したのでほぼ直進して進むようになっている。
元々道幅もそれなりに広い道路であったので、敷設作業も楽で費用もそれ程嵩まずに済んだ。
ただし、道路の対面側に行くまでに時間を要する事になってしまうので、将来的には陸橋等を作って対面側に通じる道を作らないといけない。
鉄道の人員・物資運搬の本格的な実用化に向けてやるべき事や改善点なども多く見つかったが、それでも将来に向けた投資だと思えば安い出費でもある。
「あら、あれが仮設駅ですね!思っていたよりも早くに着きましたわ」
「そうだね。早歩きぐらいの速さとはいえ、荷台にはワインの樽を積んでいるから相当重い筈だよ。これで重い荷物を運べる証明になればみんな蒸気機関車の事をスゴイと認識するはずだ……。あと、ワインのつまみにアントワネットの大好きな生ハムも用意させたから乾杯したら一緒に食べようか」
「はいっ!」
時間にして20分ほどで目的地として設定した仮設駅に到着した。
思っていたよりも少し早かったように感じる。
仮設駅に蒸気機関車が到着すると、楽器を持った音楽隊がラッパなどを吹いて演奏をしており、人々も蒸気機関車が到着すると大歓声をもって迎えられた。
祝砲が打ち上げられてパリ中大騒ぎだ。
蒸気機関車を背景にして、馬車から降りた俺とアントワネットが改めてキュニョー中佐や製作に協力したフランス科学アカデミーのメンバーに賞状を手渡ししてから、積荷であるワインを開けてグラスに注ぐ。
気がつけば近くの料理店や酒店の店主たちがワインを開けてきて、皆にも配ってきている。
道行く人々も国王夫妻と一緒にワインを乾杯できる事はめったにないと思っているようで、俺は周囲の人達がグラスを片手に持っているのを確認してから俺は叫んだ。
「今日、こうして無事に蒸気機関車が走り切った事を祝し、これより乾杯の音頭を取らせていただく。では諸君、この日を祝して乾杯!」
「「「乾杯!」」」
乾杯という掛け声と同時に、人々は美酒を飲みながらこの日を祝った。
傍にいるアントワネットも目を輝かせて蒸気機関車を見ながらワインを飲んでいる。
口にした赤ワインはいつになく美味しく感じた。