249:ラグーン共同組合
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1776年4月19日
北アメリカ連合州軍占領地域 ニューヨーク
東海岸でも開発が進められていたニューヨークでは、北アメリカ連合州軍向けの軍事物資が次々と民間の運搬船を動員して積み込み作業が行われていた。
軍事物資はイギリス軍から鹵獲したブラウン・ベスやロアン枢機卿などがボストン暴動事件の際に密輸したモデル1773等といったマスケット銃が主流だ。
設計図の図面だけでなく、新大陸にいる植民地軍向けの装備品として生産されていた工房が接収された為に、一日に20から30挺もの銃が作られているのだ。
それも、銃の研磨過程で蒸気機関を使用しているので製造効率が上がっている。
ニューヨークにある『カナージー工房』の応接室では工房主任の中年男性と、これまた気品の高そうなロココ様式の服を身に纏った女性が話し合いをしていた。
これらの蒸気機関を武器工房で取り揃えたのも、女性のお陰でもあるのだ。
主任はお礼と言わんばかりに、イギリス系資本銀行から接収した金貨の山を女性に手渡しで贈った。
「本当にリーゼロッテ様のお陰でわが社はニューヨークでも一大企業として成長することが出来ました。大量の蒸気機関を揃えて下さったお陰です。これはそのお礼でございます。どうぞ受け取ってください」
「ありがとうございます。ラッセル主任、私としてもあなた達が頑張ってくれるからこそ利益を出しているのですよ。もうじき戦争も終わりそうですし、戦争が終われば武器ではなく別の物を売り出すのも考える事をお忘れないように」
「勿論でございます。リーゼロッテ様の指示があってこそのわが社ですから。戦争が終われば製造のノウハウを生かして郊外向けの農業用の道具などを製造・販売する予定です」
「しっかりと見据えてやっているのですね、大変よろしいですわ。この金貨を直ぐに持っていなさい」
「はっ……!精進致します!」
リーゼロッテは主任から渡された金貨を受け取り、金貨を数え終えると傍に立っている部下に預ける。
金の含有量が多いので価値としては十分にある。
ギニー金貨は現在イギリスで流通している金貨であり、ポンドよりもほんのわずかだが価値があるのでギニー金貨を支払うのがマナーとなっている。
ラッセル主任が支払ったギニー金貨の総数は300枚。
それ相応の価値のある金額であり、袖の下に潜り込ませる賄賂としては多い方である。
賄賂というよりも、このカナージー工房に投資と蒸気機関を送った見返りであるといっても過言ではない。
「これで我が工房は暫くは安泰ですよ。武器以外にも作れるようになるので願ったり叶ったりです」
「今後ともラッセル主任とは長いお付き合いになりそうですね。ラグーン共同組合としても今後も関係を維持していきたいと思っております」
リーゼロッテはポリニャック伯爵夫人の命令を受けて、彼女が組織化した裏稼業専門チームである黒薔薇の頭領として新大陸に赴いていた。
ル・マンではオルレアン家と繋がりのあった技術者をスカウトし、蒸気機関や紡績機を盗みだすことに成功するという快挙も成し遂げている。
勿論、技術者には黒薔薇に関する事は秘匿しており、ビジネスパートナーとしての表立った仕事を行う時に使っているのは「ラグーン共同組合」という名目で行っているのだ。
技術者は組合に属しているが、黒薔薇については知らないのだ。
これはロアン枢機卿の起こした事件の反省から、世間体で顔を利かせるためにも秘密を知っている者を限定し、情報漏洩をさせないように工夫を凝らしているのだ。
世の中には知らないままのほうが幸せという言葉もある。
ラグーン共同組合の代表者としてリーゼロッテは就任しており、黒薔薇を知っているのは古参のメンバーとリーゼロッテの護衛を任されている部下の男だけだ。
「いやはや……それにしてもフランスで改良された蒸気機関はイギリスの蒸気機関よりもパワーがあっていいですねぇ……試しにと思って購入したら思っていた以上に活躍していますよ」
「そうです。フランスでは王立科学アカデミーが日々改良品などを作り上げておりますし、民間向けとして蒸気機関がいくつも作られているものです。こうして軍事物資製造の為に使うとより武器を大量に生産するのに向いているでしょう?」
「ええ、今まで手作業で行っていた部分も蒸気機関を使って製造するだけで手間が省けた工程もあります。今までの作業より楽になりましたので、こちらとしても武器の製造ノウハウを取得できるので有り難いですよ」
「今は軍だけじゃなくて民兵や自警団組織も欲しがっているんですもの。利益が出ている時にどんどん作って売っておいた方が稼げますからね。ただし、やり過ぎては過剰の在庫を抱えてしまうことにもなりますから注意してくださいね」
何事にもやり過ぎには注意だ。
現にロアン枢機卿が派手に動いたせいで身を滅ぼしたのだから。
故に、リーゼロッテは慎重にボロが出ないように行動を徹底させていた。
あくまでもラグーン共同組合としての仕事は、もうじき出来上がるであろう独立国家の軍事産業や経済界とのパイプラインの構築であり、表立った活動としては蒸気を使った機械などを輸入や現地生産、機械の整備などを担当している。
しかし、裏の顔はそうではない。
リーゼロッテの雇い主であるポリニャック伯爵夫人によって新大陸での政界における人脈づくりでもあるからだ。
共同組合という肩書も、在米フランス人やその子孫が疑いなく入りやすいようにするための方便であり、北アメリカ連合州内の影響力が強まれば政界も無視できない勢力になるからだ。
現に北アメリカ連合州軍のリーダーを担っているジョージ・ワシントンも黒薔薇の事を把握しており、代理人を使って秘密裏にだが1775年4月に接触を図っているのだ。
そして、黒薔薇はワシントンに対してイギリスが防御を固めている都市のうち二つを年末までに陥落させておくと宣言し、成功した暁には政府直々に『ラグーン共同組合』の国内活動を保護するようにとの密約を交わしていた。
黒薔薇は策略と証拠隠滅の為の手段は優れていた。
ニューヨークとセント・ジョンで領邦軍が一斉蜂起を起こし、イギリス連合軍を瓦解させたのも黒薔薇による策謀が成功したからだ。
貿易商を装ってイギリス軍支配地域に潜入し、戦局が悪化して不満を燻らせていた領邦軍の指揮官に成りすまして夜に蜂起を嗾ける。
夜だと現代のように灯りがそこまでないので野外だと顔が識別しにくく、何人もサクラを動員して嗾けると面白い具合に一人、また一人と扇動に賛同して不満が噴き出すと同時に、兵士達が蜂起を起こしたのだ。
この結果を見たジョージ・ワシントンは驚き、同時に黒薔薇への資金の供与を行うようになる。
都市を二つも開放するきっかけを作り、かつ北アメリカ連合州軍はほぼ無傷で占領できたからだ。
大陸の戦争においてほぼ決定的な一撃を加える事に成功した事で、黒薔薇の実力を再認識させられたのだ。
資金に関しては申し分ないが、ポリニャック伯爵夫人曰く関係構築が最優先なのだ。
(ただ、フランスでは諜報対策も厳重だから動きにくいのよね……ここでは諜報も緩いから今のうちに北アメリカ連合州軍への工作も行って、我々がやりやすいようにするのが一番ね……)
アメリカでの動乱、それに続く独立戦争はポリニャック伯爵夫人配下の黒薔薇によって戦局を左右する活躍を見せた。
派手な戦いではなく頭脳戦を駆使したと言っても過言ではない。
ポリニャック伯爵夫人に雇われて、何不自由なく暮らしてきたリーゼロッテが恩返しするためにも、もっと政界との繋がりを深く持たなければならない。
カナージー工房を出た後で、リーゼロッテは港で次々と最前線向けに積みこまれていく武器を見ながらつぶやく。
「あれは金儲けの為の道具じゃない……我々黒薔薇が……ひいてはポリニャック伯爵夫人とそのご家族、ラグーン共同組合が大陸で影響力を持ち、繁栄する為のツールよ……」