236:ブラダマンテ
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1775年10月13日
フランス ロリアン海軍軍港
今日、このロリアン海軍軍港から出航を予定しているシャルルマーニュ級フリゲート艦「ブラダマンテ」は重要な積荷をフランス政府から直々に預かっており、水兵たちもその荷物を慎重に取り扱っていた。
アジアの大国である清国の台湾基隆獲得の交渉に向かう為に、護衛のフリゲート艦5隻と共に清国を目指すのだ。
フランス王国直々の使節団も乗り込む予定だ。
この使節団派遣で重大な任務を任されたのはフランス海軍軍人のラ・ペルーズ准将。
史実では日本のすぐ近くまでやってきて宗谷海峡を通過した初のヨーロッパ人という事もあり、その功績を称えて宗谷海峡は海外ではラ・ペルーズ海峡という名称が与えられている。
元々冒険をするのが好きな彼は、この重大任務を任せるのが適任だと判断したルイ16世によって『使節団派遣艦隊の総指揮官』という大命を受けたのだ。
艦隊の旗艦である「ブラダマンテ」は使節団の代表を迎え、今後の予定の打ち合わせを行っている最中であった。
「ラ・ペルーズ准将殿、船の積荷の積込作業はあと1時間程で完了致します。午後2時には全艦の出航準備が完了致します」
「報告ご苦労。だがもし船に不具合があったら真っ先に知らせてほしい。長距離航海になるから船に亀裂が入っていたりでもしたら洋上で難破してしまうからな……陛下からも不具合があればすぐに報告せよとの厳命されている。時間がかかってもいいから最終点検を怠らないようにな」
「ハッ、水兵たちに徹底しておきます!」
ブラダマンテ艦長のアンリ・モラン中佐はラ・ペルーズに報告を行い、ラ・ペルーズは報告を把握した上で最終点検をしっかり行うように厳命する。
ブラダマンテだけではなく、他の船にも同じように命令を行う。
命令は行き届いており、水兵たちは文句を言わずにしっかりと点検作業を行っていた。
それを見ていた使節団代表のラモワニョン・ド・マルゼルブは、ラ・ペルーズを褒めた。
「しっかりと管理が行き届いておりますな。私が出版統制局長を勤めていた頃は部下の扱いに苦労しておりましたよ……全く、羨ましい限りです」
「いえ、私も七年戦争の頃は中々癖のある部下の扱いに苦労しました。こうして指示や管理ができるのも陛下のお陰ですよ」
「……と申しますと?」
「見た目は地味かもしれませんが、一昨年までに大規模な軍事改革が行われたのですよ。組織体制を一部見直して『報告の厳守』『それに対する正当な評価と報酬』『嘘を言わない』……この三つを重視するようになってから組織の不祥事が大幅に減ったのですよ。今までは報告を誤魔化したり、嘘をついて過小評価するといった不正があったのです」
これはルイ16世の中の人が転生前に曲がりなりにもブラック企業に所属していた事に由来する。
不正や横流し、いじめなどが横行する原因はどの組織にもありえる隠蔽体質が原因であると考え、軍隊でもそうした行為を無くすために【報告・連絡・相談】のホウレンソウだけでなく、不備や欠陥に気が付いて報告した兵士への評価や報酬などを行い、虚偽の報告をした者への処罰などを軍の教義に定めたのだ。
不正や不当行為を許せば規律が乱れて内部がブラック化してしまうという、彼自身が身をもって知っている事でもあったのでこの方針は軍隊のみならず他の組織にも適用される事になる。
さらに、兵士達のメンタル管理も考えて医師によるカウンセリングも定期的に実施するようにしてから兵士の問題行動やいじめも目に見えて減ったのだ。
陸海軍で行われた『報告に関する指導教育』では、コンドルセ侯爵が主体となって軍隊の環境改善を行い、しっかりとミスや問題を報告した者に対しては『褒める』、不正確または虚偽の報告をした者には『指導』を行うことが盛り込まれた。
この教育を受けた佐官クラスの軍人は尉官クラスの軍人に同様の指導を行い、指導を受けた尉官クラスの軍人が下士官に教育を行い、全軍の末端兵士まで教育を徹底させたのだ。
「つまり……教育を徹底させてミスなどを発見次第速やかに報告するようにしたというわけですね」
「はい、今まででしたらそうしたミスや間違いは懲罰や叱責の対象になっておりましたが、かえって隠蔽して逆効果になるという判断で、減点方式から加点方式に切り替えたのですよ。ミスや問題でも早期に発見できれば被害を最小限に食い止めることが出来ますし、何よりも末端の兵士達の間で起こっていた問題も少しずつですが改善してきたのです」
「ほぉ~……これも陛下の賜物ですな」
「まさに、陛下御自ら改革を指導なさったと伺っておりますので、こうした積み重ねによって軍の質も向上していったのです」
病は気からという言葉もあるように、組織が腐敗したり不正を起こしたりしてしまうのもそうした積み重ねによるものであると感じていたルイ16世によって組織改革は行われたのだ。
ブルボンの改革の中でもあまり目立ちにくい部分であったが、効果は絶大であった。
『包み隠さずに正直に話した者には罰を与えるな、勿論重大事故や事件が起こった際にはすぐに上官に報告し、その指示に従うように。また部隊内におけるイジメや暴行事件・不祥事が起こった時には隠蔽せずに直ちに報告を行う事』
フランス軍の教練として盛り込まれた事で、軍内部の雰囲気も変わっていった。
それを目の当たりにしたラ・ペルーズはしみじみと感想を述べたのであった。
「成程……これからは叱るのではなく、褒めることも重要になってくるのですね」
「コンドルセ侯爵閣下とお話した際に伺ったのですが、陛下は嘘が大嫌いだそうです。どんなにフランスや王室にとって辛い報告でも包み隠さずに述べるようにと厳命しているそうです」
「そうですな、それに陛下は私のような左遷された人間であっても、以前出版統制局長を勤めていた経歴をお認めくださり、使節団の代表に任命してくださったと伺いました……やはり、あのお方は普通の貴族や王族の方々とは違いますな」
「目の付け所が違いますね……財力や権力よりも誠実さや正直者を選ぶ……平民やユダヤ人だけでなく黒人の人も上層部に採用なさっているぐらいですから……開明的で新しい政治体制を望まれているやもしれません」
「いやはや……では尚更今回の清国との取引も頑張らないといけませんな……陛下が目指しているフランスが東洋に再進出して経済を促進させるためにも……陛下へのご恩返しの為に……」
「ええ、必ず成功させましょう」
マルゼルブは今回の使節団代表としての責務を果たすべく決意を固めた。
以前彼は出版統制局長を勤めており、百科全集や精神論といった思想哲学に関連する本の発行を認可していたが当時権力と権威が強かったキリスト教系の宗教的・政治的な圧力が加わってしまい発行が中止となり、同時期に身内の不祥事も重なった事で職も辞することとなり、表舞台からは追放されたも同然であった。
そんなマルゼルブに使節団代表としての白羽の矢が立ったのは今年の6月頃、アカデミーに所属していた彼の元に一通の手紙が届く。
手紙の差出人はなんと国王陛下であった。
彼の中立的立場を考慮し、出版統制局長時代の功績を讃えた上で使節団代表として清国に赴いて欲しいという。
最初は自分には大役すぎると辞退しようとしたのだが、ルイ16世との対面での会談をした際に圧力にも屈せずに百科全書などの本を出すことを擁護した事を讃え、交渉において必要な忍耐力を持っていると判断し、使節団代表の適任者として赴いて欲しいと頭を下げてお願いされたのだ。
流石に陛下自ら頭を下げてまでお願いされてしまっては断るわけにもいかず、事の成り行きで使節団代表として清国に赴くことになったのである。
既に左遷されてひっそりと暮らしていたマルゼルブにとって一世一代の出世のチャンスでもあったが、それ以上に陛下直々に頭を下げてまで頼まれた事で、出世よりも目的を成功させようとする意志のほうが強く心に響いたのだ。
さらに、百科全書やルソーのような開明的な思想などを受け入れて政治や経済に反映し、しっかりと実績を作っているルイ16世の役に立つのであれば、これ以上の名誉はない。
和やかな雰囲気の船内で、一時間前に報告をしてくれた水兵が再び報告をしにやってきた。
「全艦隊の最終点検終了!異常はありませんでした。准将殿、いつでも出航可能です!」
「ご苦労、では只今をもって清国に向けて航路を取る。各船に出航を命令せよ。」
「ハッ!」
「いよいよですね」
「ええ、これからが海軍としての見せ場です。マルゼルブ殿……これから清国まで二ヶ月以上の長い航路になります故、何か体調不良などがあった際には従士に直ぐにお知らせください」
「分かりました」
「それでは私は艦隊の指揮を取りに現場に行って参ります」
ラ・ペルーズはマルゼルブに敬礼して、艦隊の指揮を取りに現場に向かう。
これから長い航路を移動するにあたって水兵の体調管理などにも気を遣ったり、船体の管理なども細かくチェックを入れるのだ。
途中喜望峰やインド洋など大陸に沿って移動する為、オランダやイギリスの植民地やその影響下にある場所に立ち寄ることにもなる。
フランスの東洋進出を託された使節団が清国に赴き、そしてフランスに帰還するのは半年後の1776年4月頃になるだろう。
二人はフランスの為に一路清国へと舵取りを行い、向かっていったのであった。