232:モーツァルト
ブルボン宮殿に到着し、一年前にここで『第一回:国際フランス服飾見本市』を開いていた事を思い出す。
アントワネットと二人で仕事と遊びを両立して買い物を楽しんだ。
あの時購入したオーストリア製のドレスをアントワネットは今着用しているのだ。
真珠をベースにした白色のドレス。
それでいて上品で気品も溢れている。
実に良い。
ランバル公妃やルイーズ・マリー夫人もオシャレなドレスに身を包み、かく言う俺も新装してもらった服を身につけている。
馬車から降りて向かったのは音楽の間である。
スペースはそれほど広くはないが、限られた人達によるコンサート会場と言っても過言ではない。
大体20人ぐらいが入れそうだな。
小学校の一クラス分か……。
今回の音楽会は実のところ、ハウザー達が俺たちの団欒の為にわざわざ開いてくれたらしく、実質的な参加者は俺たちしかいない。
つまり貸切状態というわけだ。
テーブルに椅子が並べられており、音楽を鑑賞しながらお菓子なども食べれるようにしていたのだ。
「音楽鑑賞会とはいえ、今回は俺達だけなのか……」
「ええ、流石にブルボン宮殿にはヴェルサイユ宮殿のような大きなオペラ劇場はありませんから……それに、陛下には静かで、心安らぐようにのどかな時間をお過ごしなさいますようにとハウザー様が手配してくれたようです」
「成程ね……でもピアノもあるし、これを聴きながらゆっくりするのもいいかもね。オペラ劇場だと人の目も気にしなきゃいけないし……」
「そうですね……こうしてゆったりしながら音楽鑑賞会をするのもいいですわね。テレーズ、ちゃんと良い子にしているんですよ?」
椅子に座ってゆったりと音楽家がやってくるのを待っている。
スゴイ音楽家がやってくるとは聞いているが、誰なのかまでは聞いていない。
着いてからお楽しみくださいとハウザー達は言っていたのだが、有名な音楽家って誰だ?
うーん、この時代はバロック音楽や古典派音楽の全盛期だからそれとなく名前が挙がる人物なのかな?
それとも俺が知っている人物なのだろうか?
座っていると、宮殿の職員と思われる男性二名が音楽の間に入ってきた。
俺達に一礼をしてから、ピアノの調整を行っているようだ。
「しばしお待ちくださいませ」と頭を下げてからピアノ線を見ながら音程の調整などをしている。
少しばかり難儀そうな顔をした演奏者と見られる男性が、ついてきたもう一人の男に小声で囁くように言った。
「……これからやってくる音楽家の先生は随分と厳しい先生だぞ。生半端な調整は許されないから気を引き締めていけよ」
「……ああっ、ってもう陛下がいらしているではないか!早めに済ませないと……」
「……大丈夫だ。まだ演奏は始まっていないし、これは最終調整だ。しっかりやらないと俺達がクビになるんだぞ……」
「ああ、分かっている。分かっているって……」
うーむ、小声で話しているとはいえ、結構職員も大変な作業をしているんだな。
特に楽器の最終調整と言っているので、あのピアノも調整を済ませるように指示を出されたのだろう。
真剣な表情でピアノを調整している職員を陰ながら応援していると、そろそろ演奏予定の時間になる頃になって職員たちはピアノの調整を済ませて退室し、それから僅か一分後に音楽家がやってきたのである。
小柄であるが、きりっとした顔立ちとまん丸い目が特徴的な人だった。
……で、音楽家の名前を聞いて俺はビックリしてしまった。
音楽の授業では必ず一度は名前が挙がり、彼の作曲した曲は後世……俺のいた現代でもテレビCMなどで使われていたりする。
名前を知らない人はいないだろう。
「お初にお目にかかります。今回の音楽鑑賞会で曲を披露するヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトと申します。本日はブルボン宮殿において国王陛下の御前で音楽鑑賞会を開かせて頂けたことに大変深く感謝しております。何卒宜しくお願い致します」
そう、モーツァルトである。
アントワネットは小さい頃に一度シェーンブルン宮殿で会っている筈で、モーツァルトから「君が大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる!」とプロポーズした事で知られている。
アントワネットも名前を聞いてビクンとしていたので多分コレは知っていますねぇ……。
彼は小さい頃から音楽の才能に目覚めており、ローマ教皇から勲章を授かるぐらいだ。
割と下ネタトークが大好きだったとか、色んな逸話が残っている人物なので、そんな彼の生演奏を聴けるなんてこれほどまでにスゴイ事があるだろうか?
モーツァルトの生演奏をこうしたほぼプライベートみたいなところで聴けるなんてなんと贅沢なんだ!
天才だし、音楽の才能に関しては後世でも評価されているので、どんな演奏を奏でてくれるのか凄く楽しみだ。
モーツァルトは一礼をしてからピアノの前に設置された椅子に座って、演奏を始めた。
最初はオーソドックスなバロック音楽からであった。
彼の奏でるピアノは実に心地よかった。
天才を謳われるだけあってか、ピアノから奏でる一つ一つの音色が意志を持っているように感じた。
演奏して15分が経過して、最初の曲が終了する。
それから少しだけ手を休めてから次の曲に移り変わった。
彼の演奏を目の前で聴いていると、どこからか心地よい風が流れてくるように感じた。
壮大にして優雅である。
目を瞑ればモーツァルトが奏でる音楽の舞台になった場所が浮かんでくる。
何とも凄い事だ。
モーツァルトは顔色一つ変えずに黙々と演奏に励んでいる。
アントワネットやランバル公妃、ルイーズ・マリー夫人はピアノの音色に聞き入ってリラックスしている。
テレーズに至っては目と口を開けてポカーンとしている。
かなり気になって没頭しているのだろう。
モーツァルトの独奏はさらに続く。
一度も指を休めることなく、ひたすらにピアノから奏でる音色。
天才を通り越して人類史と音楽史にその名を刻んだ音楽家が演奏する音は、今まで聞いた事のあるクラシック音楽を圧倒的に凌駕している。
絶妙な音程の調整もそうだが、音を操って人が心地よいと感じる魔法をかけているんじゃないかと思うほどに、ただただ凄まじいものであった。
よく楽器の演奏が得意な人は音程などを外さないと聞いた事があるが、モーツァルトに関しては音程を外すことはないばかりか、音色をより美しく迫力のある感じを出すことができるんだ。
(これがモーツァルトの演奏か……噂ではその音色を聞いた者はどんな演奏の天才でもモーツァルトの前では敵う者はいない……故に、宮廷音楽家たちは彼の悪評を流して職を追い出されないようにしたとか言われていたけど、確かにこれだけスゴイ演奏が出来るのであれば尚更だよな……)
モーツァルトは絶対音感を持っているだけでなく、突出した音楽家としての才能を持って演奏を行っていたという。
目の前で演奏している彼の奏でるピアノの音色を聴けば、その才能を認めなければならない。
手に持っている紅茶を飲むのも出来なくなるぐらいに俺達は聞き入っている。
それだけにモーツァルトの演奏は冗談抜きで今まで聴いてきた音楽の常識を打破できるだけのことはある。
あっという間に時間だけが過ぎていく。
時間にして1時間ぶっ通しで演奏したモーツァルトは、休憩を挟むとして15分ほど休息を行うようだ。
「それではこれより15分ほど休憩のお時間となります。何かあれば遠慮なく私にお申し付けください」
15分間の休憩時間。
音楽鑑賞では15分ほどの休息時間があるのだ。
そりゃ何時間もぶっ通しで演奏をするのはキツイものがある。
休憩も大事なのだ。
テレーズは演奏が止んだことでソワソワし始めている。
俺とアントワネットがテレーズを宥める。
そして再び15分が経過するとモーツァルトは演奏を再開し、とてもとても貴重で素晴らしい時間を過ごしたのであった。




