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1775年9月10日
フランス メーヌ地方 ル・マン
現代では自動車レースとして最難関である24時間耐久レースが開催される場所として有名であり、日本の自動車メーカーも挙ってレースに参加する事で知られているル・マンだが、自動車が発明される前までは織物業の街として栄えていた。
当然ながら地方都市として栄えていた事もあり、人口も14万人前後とナントとパリなどを結ぶ区間の中間都市として、都市部を移動する間に宿泊する街としても賑わっていた。
最近ではブルボンの改革によってフランスに移住してきたユダヤ人や一世紀ぶりに戻ってきたプロテスタント(ユグノー)派の元フランス人が再移住を行い、再びこのル・マンでは求人情報が飛び交い、多くの出稼ぎ労働者がやってきているのであった。
そんなル・マンにおいて、大きな事件が国土管理局に舞い込んできた。
王国内務公安部の調査員によって、この街で製造が開始された最新鋭の紡績機と蒸気機関装置の幾つかが盗まれるという事件が発生したのだ。
9月1日から2日までの間にル・マンで新設された三ヶ所の製糸工場で複数の紡績機や動力源となる蒸気機関が盗まれたと警察に通報があり、これらの盗難が単なる窃盗ではなく組織的な犯罪ではないかと睨んだ公安部職員が馬を飛ばして国土管理局本部に通達し、国土管理局から直々に調査職員が派遣されたのだ。
盗まれた紡績機や蒸気機関は一つや二つではなく、大掛かりな動力を使う事で知られている水力紡績機であり、蒸気機関は水力紡績機の動力源の代わりとしてフランス科学アカデミーによって改良が施された試作品であり試験運用も兼ねてこのル・マンの製糸工場で運用が始まったばかりであった。
紡績機と蒸気機関の重量も重く用途を理解していなければ盗む対象にならないものだ。
宝石や貴金属の類であればこれらの物品が盗まれることはまだ理解できるが、水力紡績機といった産業の基盤になるものが大規模な盗難被害に遭う事を考えれば、これらの機械の価値を理解している者でないと説明がつかないのだ。
『フランスで研究や開発がされている技術を盗む為に、外国勢力やそれに準ずる組織が盗みを行ったのではないか?』
『水力紡績機に試作の蒸気機関……やはり価値の分かる者が盗んだと言っても過言ではないだろう』
まだまだ蒸気機関や紡績機による製糸の生産が本格化に向けた準備を行っている真っ只中に起こった事件であったために、通常の捜査ではなく国家もしくはそれに準ずる組織による犯行の可能性が高いとして国土管理局が動いたのだ。
盗まれた時間帯は9月1日の夜から翌2日の早朝にかけて複数台が盗まれており、被害総額は10万リーブル以上だという。
原因と主犯の捜査解明と、犯行グループが組織的に行われている可能性が高いとして国土管理局からはジャンヌとアンソニーが派遣されて現場指揮を取っていたのであった。
「盗まれたのは水力を動力源に使う紡績機と補助を行う試作蒸気機関か……合計24台、うち紡績機が21台に試作蒸気機関が3台か……それも各工場からごっそりと盗まれるなんて……これは外部犯の可能性が高いな」
「でも水力紡績機以外にも蒸気機関の試作品が盗まれたのは内情を知っていないと無理じゃないかしら?内部にも数名協力者がいたと考えたほうが無難だわね」
「だとすれば工場長を含めた作業員全員に聴取を行わないといけないな……根気のいる作業になりそうだ……」
ジャンヌとアンソニーの両名は現場指揮官として、まずは工場長を含めた作業員全員の聴取から始めた。
怪しい人物を探すよりも試作蒸気機関を知っている者のほうが数が限られている。
各工場長や現場監督官など18人に加えて作業員として工場に勤務している130人……。
合計148人の工場関係者が現地警察の元で聞き取り調査を行う事にしたが、ここでアンソニーが部下から受け取った報告書の中に不審な点に気が付いたのだ。
「ん?三ヶ所の製糸工場のうち、8月31日までに13人の作業員が相次いで工場から退職しているのか?何かあったのか?」
「ええ、労咳を患ってしまい健康上の理由で退職した一人を除いて残りの12人は何でも新大陸に移住すると周囲の人間に語っていたそうです。それぞれ家族を引き連れて9月3日の海洋貨物便で向かったとの事です」
「……どうも引っかかるな……この12人のプロフィールなども調べることはできるか?」
「ええ、五時間もあれば可能です。直ぐに資料をお持ちいたします」
気掛かりだとアンソニーは感じ取っていた。
工場勤務という決して楽ではないがその分賃金も他の業種に比べて高く、人気の職種であるにも関わらず移住しなければならない事態があったのだ。
それも1人だけではなく12人が一斉に退職した為に、アンソニーはモヤモヤしていた。
その不吉なモヤモヤは視覚化されて現れて始めた。
夕刻になって各作業員のプロフィール情報が届き、アンソニーがそれを目を通すと思わず立ちくらみが起こった程であった。
ジャンヌを呼び出して渡された情報を共有する。
「……ジャンヌ、これを見てくれ。ここ数日に一斉に退職した12人の作業員のプロフィールだ。これらの内容を内訳をよく見て欲しい……」
「何々……12人の作業員で”オルレアン家に仕えていた者”が4人もいたですって!」
「ああ、この4人のうち1人については金塊公爵事件の際に事件に深く関わっていたとして処刑されたレヴァン男爵の内縁の妻だった人物だ。名前はジュリー……レヴァン男爵夫人として何不自由ない生活をしていたが金塊公爵事件の際にレヴァン男爵が関与していた事もあって貴族としての地位や土地は取り上げられた、……が金塊公爵事件の際に妻やその家族は関与していなかったとして陛下の恩情と恩赦によって放免されている。パリ近郊に大きな屋敷を構えていたが没収され、2年前にここル・マンに引っ越してきたらしい」
「そうだったのね……でも、一人だけならまだしも、こんなにオルレアン家の関係者だった者がいるとなれば彼らが深く関与したのかしら?」
「可能性としては十分に高いだろう。あの事件では俺もジャンヌもそうだったが潜入調査と内偵で決定的な造反の証拠も出たしオルレアン家を潰したんだ。オルレアン家は少なくない資産や仲間がいた……彼らの大部分がオルレアン家を見限る形で離れて中立派に転向したり諸外国に移住したからね……ある意味、彼らは何らかの形で国に復讐をしたかったのかもしれないな……いや、でもまだ犯人だと決める証拠もないか……」
一連の金塊公爵事件の際に逮捕されたり処刑された者は全体の2%にも満たないが、オルレアン家の関係者はフランス国内では白い目で見られていた。
差別まではいかないまでも、私利私欲で金塊を蓄えて妻がいるにも関わらず愛人と淫欲に溺れていたルイ・フィリップ2世の悪行が目立って伝えられている事もあり、悪行に加担していた関係者とみなされるのだ。
彼らのトップに立っていた者や国家転覆に関わっていたとされた者は死刑や仮釈放なき終身刑に処されている。
しかし、悪事に加担していない者や、本人が加担していたとしても家族が関与していなければ、恩赦によって罪には問わないとルイ16世が直々に述べた。
下っ端や悪事に加担した者の家族、そしてオルレアン家との付き合いの深かった商人などはオルレアン家を離れて新しい雇い主の元に入ったり、住み慣れたパリを離れて地方都市や他国へ移住する者も少なく無かった。
レヴァン元男爵夫人は17歳になる娘を連れてル・マンに移住して住んでいたという。
「レヴァン元男爵夫人を含めてオルレアン家の関係者がここで働いていたとして……今になって紡績機や蒸気機関を盗む理由が見当たらないじゃないか……?」
「それもそうよね……仮に彼女達が盗んだとしても動機が分からないわ……」
「それもそうだ……理由が分からないんだ……聞けば辞めたレヴァン元男爵夫人を含めた12人は仕事の態度も良くて工場では頼りになる人物だったみたいだ。工場長も辞めるのを引き留めたそうだが、どうしても辞めなければならないと一点張りだったらしい」
気になるのは工場長が辞めるのを引き留めるほどに優秀だったことだ。
尚更給料も良くて辞める理由にはならないはずなのに、12人は一斉に退職した。直後に紡績機と蒸気機関が盗まれた。
彼らが犯人だとしても盗むその直前に辞める理由が分からないのだ。
頭を抱えるアンソニー、ジャンヌは彼らが新大陸に渡って行ったことを加味した上である仮説を打ち出した。
「ねぇアンソニー……もしかしたら彼女達引き抜かれたんじゃないかしら?」
「引き抜かれた……?」
「ええ、貨物便で新大陸に向かったそうだけど……まだ新大陸はイギリス討伐軍と北アメリカ連合州軍の内戦状態よ。イギリス軍は防戦に精一杯で風前の灯火と考えれば、北アメリカ連合州に向かう筈よ。貿易船なら中に機械を積んでいても不審に思われる事はないわ」
「北アメリカ連合州か……そういえば、陛下が集めた会合で内戦後の新大陸での貿易関係も方針を決めていたな……あっ!」
「ええ、現地で工場を作ってその製品を輸出する新しい貿易方式よ。その貿易に必須なのが蒸気機関を使った紡績機や製造機よ……」
「という事は……犯人はそれを知っていたのか?」
「多分違うと思うわ、陛下が改革派と国土管理局のメンバーを集めて緊急会合を行ったのが8月27日、今回の事件発生が9月1日……それにレヴァン元男爵夫人たちはそれよりも前に辞めているから恐らくその前から計画されていたものだと思うわ」
「すると陛下の考えた貿易方式を実施しようとする者がそれより前に計画し、盗んだ……という事か」
「その可能性が一番高いわね。北アメリカ連合州の上層部か……それに目を付けた組織がレヴァン元男爵夫人たちを唆して工場を稼働するのに必要な紡績機や蒸気機関を盗んだのではないかしら?彼女達は技術も優れていたみたいだし、扱い方も手慣れているわ。指導員としても役立つから盗んだ後でも彼女達は用済み処分されることなく、重宝されるでしょうね」
「何という事だ……もう船は大西洋のど真ん中にいるだろうし、なんとか証拠を集めて陛下にご報告しなければならないな……」
レヴァン元男爵夫人らが引き起こしたとされるこれらの紡績機・蒸気機関が盗難された事件以降、フランス各地の工場では警備員を雇い、物品の盗難が起きないように厳重な警備体制が敷かれることになった。
オルレアン家に仕えていたこともあってか『金塊達の悪足掻き』という身だしで新聞各社もセンセーショナルに報道していた。
そしてアンソニーとジャンヌは事件の証拠を集める為にしばしル・マンで現場の指揮と報告書との睨めっこを続けるのであった。




