192:北アメリカ連合州
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1774年7月20日
アメリカ大陸、イギリス植民地ボストン
フランスではルイ16世の第一子が産まれた事でお祭り騒ぎとなっていたが、ここボストンでは植民地人によるイギリス軍狩りが行われている真っ最中であった。
ボストンの市街地は民兵によって制圧されており、大規模な戦闘が発生した7月4日以降、ボストンの広場には首を斬り落とされたイギリス兵の死体が無残に散乱していた。
その死体は人としての尊厳を失う程に破壊されており、死体を頬張りにハゲタカなどの猛禽類が群がっている。
死臭と腐敗臭が混ざり合った最悪の広場の周りに立てかけられた看板には『イギリス軍をアメリカから追い出せ!』というスローガンが掲げられていた。
「おい、郊外の納屋に隠れていたイギリス軍の兵士が農民に殺されたらしいぞ。斧で足を斬り落とされて鍬で身体中を刺されて絶命したらしい」
「またか……でも殺せば殺した分金が入るからな……誰だって好き好んでイギリス軍の兵隊を匿ったりしないさ」
「余程国王の靴にキスをしたい英国王党派か、お人好しじゃなければやらないわ……ああ、早くあいつらをここから追い出せば自由になれるんだ」
「全くだ。俺たちはイギリスの奴隷じゃない。植民地人だといって税金ばかり吹っ掛けて搾り取ろうとするふざけた連中だ。あいつらがいなくなればいいんだよ」
「おーい!この通りにバリケード設置するから手伝ってくれ!」
「ああ、今行くよ。それじゃあまた後で」
「うん、終わったら一杯やろう」
街中ではイギリス軍に蜂起した民兵に味方している住民たちが、道にバリケードを築き上げてイギリス軍の逆侵攻に備えている。
ボストンを占拠していたイギリス軍はもういない。
7月4日に発生した民兵の反乱によって、この街は完全にイギリスからの独立を目指しているマサチューセッツ植民地民兵組織によって占拠されているのだ。
民兵たちは植民地政府公認の兵士である。
彼らの大部分は地元住民で編成されており、顔見知りが多くいたのであった。
そんな彼らを迎え入れている住民たちを求心力を損なわないように、民兵組織は途轍もないほどに甘い飴を渡していたのであった。
「はいっ……今日も一日、お疲れ様でした!今日はボストン西部郊外で行われた掃討戦において、ジョージ二等兵が農園の納屋に潜伏していたイギリス兵3名を発見、抵抗した彼らを迅速に処置致しました。彼の功績を讃えて二等兵から一等兵に昇進すると共に、特別手当を支給致します」
「おお!やったなジョージ!」
「ははっ、今日はついていただけさ」
「また、情報提供を行ってくれた住民に対して金一封と、一か月の配給優先権を贈呈致します」
「やったー!」
「ハハハッ!正義の味方に貢献できて何よりだ!」
民兵に新規入隊をした者や民兵の味方をしている者たちには様々な特典が振る舞われた。
新規入隊者には家族に優先的な食料配給や、戦果に見合う報酬が約束された。
民兵と協力してボストン各地に点在しているイギリス軍部隊の動向を逐一報告していた馬車の運搬会社社員らに対しては、接収したイギリス資本の銀行から少なくない金銭と、高級酒が贈られた。
また、イギリス軍将兵相手に娼婦として赴いて植民地地域の軍事情報を盗み出した女性たちについては、それ相応の金銭報酬が支払われ、こうした成功報酬と民兵組織が目指しているイギリスへの抵抗運動に対する求心力は日に日に高まっている。
それに対してイギリス軍やイギリスの行動を支持している英国王党派の血色は日数を追うごとに悪化の一途をたどっていた。
ボストン、ケベックの反乱の報が伝わると周辺地域に抵抗運動が拡散し、イギリス軍の歩哨や巡回部隊を民兵が狙撃したり奇襲攻撃を仕掛けてきたため、各地のイギリス軍は損害を被った。
その中でもボストンはイギリス軍の被害が大きく、ボストンを占拠し駐屯していたイギリス軍約4000名の兵士のうち、民兵や住民によって殺害されたイギリス軍兵士の数は3400名に及ぶ。
残りの600名は命からがら脱出できたか、民兵に降伏したかの二択であった。
軍属だけでもこれだけの被害だが、民間に至ってはより悲惨な光景が繰り広げられた。
「や、やめろぉ!俺たちにこんなことをしてタダで済むと思っているのか!考え直せ!」
「うるせぇ!王党派のお前らがイギリス軍に密告したせいで……娘が……娘が俺の前でイギリス兵に乱暴されたんだぞ!あいつら……植民地人だから何をしてもいいと笑って娘を痛めつけた挙句、娘はショックで精神がおかしくなってしまったんだ……それで奴らを捕まえて尋問したらお前が喋ったと言っていたんだ!お前たち裏切り者は娘が受けた扱いよりもっと酷い事をしてやる!覚悟しろ!」
「ひぃっ!だ、誰か助けてくれーっ!」
反乱が起こった数週間前から、王党派に属していた市民達がイギリス兵に民兵や民兵の協力者を密告し、民兵やその家族、住民の協力者の一部を逮捕させてたり、イギリス兵による私的制裁が行われていた事が明るみになったのだ。
中には婦女暴行事件や、過度な取り調べで未成年者への虐待、暴行による死亡事件の記録が流出し、それを知った住民は怒り狂い農具などを武器にして立ち上がったのだ。
当初は民兵組織が交渉の為にイギリス兵や王党派市民への報復攻撃を止めようとしたのだが、彼らの怒りの矛先が民兵に向かうことを恐れて、民兵組織黙認の元で虐殺を始めたのだ。
虐殺は七日間に渡って行われ、民衆に投降したイギリス兵や日頃からグレートブリテンの旗を家の前に掲げていた者、またイギリスとの取引を行って利益を儲けていた者達が虐殺の対象となり、報復が治まるまで街を占拠した民兵組織ですら手出しが出来ない状態だった。
これらの虐殺事件……『イングランドの草刈り場』が終結したのは7月15日であった。
イングランドの草刈り場と呼ばれた住民による虐殺は植民地民兵組織が占拠した各都市で1週間に渡って続き、植民地政府代表者たちが大慌てで駆け付けて中止を命じるまで、占拠した都市部でイギリス軍や王党派の市民合わせて5700名以上が植民地政府の正式な裁判無しに住民の手で処刑されていたのだ。
住民たちは度重なる増税などのストレスが積み重なり、そうしたイギリスへの蓄積されていた不満が一気に噴出したことによって集団虐殺へと走ったのだ。
この虐殺劇は、住民たちの反英国感情が如何に高ぶっていた事を示す指標にもなっている。
惨劇を迎えたこの報復は都市部で大きな傷跡となって現れることになる。
現場で後処理を行っていた民兵たちは、その凄惨な現場を見せつけられた。
「イングランド銀行ボストン支店……ロンドン貿易工商・ボストン支局……全てドアは破壊されていますね……幾つか建物は焼き討ちまでされています」
「ああ、それに見てみろ。建物の二階から吊るされている死体を……」
「うっ……あれって……まだ子供では?」
「ああ、この店の店主だった子供のやつだな……いくらイギリス人だからって、子供にまで手を出すだなんて……いくら何でもこれは酷すぎる……」
「でも、イギリス軍だって俺たち植民地人に暴行や私的制裁をしていたんだ……これでチャラだろ?」
イギリス王党派に属していた商店や銀行は住民の焼き討ちや略奪行為の対象となり、各地で十数名を超える犠牲者と数十軒にも及ぶ建物が放火された。
また、王党派の中でも財を成していた富裕層に至っては、税金をむしり取るイギリス政府の手先で私服を肥やした不届き者というレッテルを張られて、住民たちによる強制的な私財没収や家財の略奪が正当化されて行われたのだ。
彼らに降伏し、素直に財産を渡した英国王党派の者たちは助命を許された為に幸運であった。
ネーデルランドやプロイセン王国出身の傭兵を雇い、屋敷で戦った者達は皆、最後は凄惨な死体になるまで鏖殺された。
植民地人である彼らはイギリスに抑圧され続けていた。
同じ白人種でも、植民地人と欧州人とでは扱いは丸っきり違っていた。
見下され、増税に嘆き、そして搾取をされ続けていた。
それが一気に噴出した事により住民は暴走したのだ。
略奪・暴行・放火行為もイギリス軍や英国王党派が平然と住民に行っていたからと正当化し、略奪した物資や資金を住民たちは進んで植民地民兵組織に寄付という形で還元され、その資金を使って新たな兵士を募集するという循環機関が誕生したのである。
駐屯していたイギリス軍の傍若無人な振る舞いもさることながら、植民地の州の代表者たちとの取り決めで、植民地人とイギリス本国との平和的な解決へのプロセスが完全に破綻し、各地で結成されていた独立派によって戦いの火蓋が切られていた。
予定よりも早めて大陸会議と称し、6月26日から開催されていた各植民地の代表者の連絡会議の場で住民によるイギリス軍並びに英国王党派への虐殺行為の報を知らされた代議員のジョージ・ワシントンは、顔を蒼白にして報告を寄こした部下に二回尋ねた。
「……それは確かかね?本当に誤報では無いのだな?」
「はっ……残念ながら……抑圧されていた不満が一気に噴出し、最悪の展開になったそうです……」
「そうか……これでは、どのみちイギリスとの全面戦争は避けられそうにないな……各植民地政府がバラバラに動いていてはイギリスに各個撃破される。大陸の各民兵組織を統合化させるんだ。遅くても二ヶ月以内に完了せねばなるまい」
大陸会議はそのまま対イギリス戦争への参加を余儀なくされた。
もはや植民地の民兵ですら手こずる程に住民たちによる反英感情が高ぶっていたからである。
民兵組織が決起した地域では、こうした虐殺行為が多発してしまったこともあり、植民地の民兵と住民を守る為に植民地政府が蜂起を決意した。
蜂起した植民地は「北アメリカ連合州」という名称で行動を開始する。
イギリス軍の兵士だけでなく英国寄りの市民までが虐殺されたと知ったからには、植民地の住民がイギリス軍の報復対象となるのは目に見えて明らかであったからだ。
史実とは違う様相を呈している独立戦争は、世界のパワーバランスをも変化させていくのであった。




