189:新しい命
アントワネットの部屋の前に到着すると既にドアは閉ざされており、ドアの前には守衛とルイーズ・マリー夫人が立っていた。
夫人の顔色は芳しくはない……。
思っていたよりも状況が悪いのかもしれない。
「陛下!お待ちしておりました」
「ルイーズ・マリー夫人か……アントワネットの容態は?」
「ええ、主治医のお医者様から陛下にお伝えするようにと言われております。どうか、落ち着いて聞いてください」
落ち着いて聞いてください……か……。
まだ妊娠8か月前後……良く見積もっても35週前後だからちょっとイカンな……ちょっと早産だわコレ。
現代なら早産をしても集中治療室で過ごせば助かる見込みは高くなるが、そんな立派な装置すらないこの時代の医療技術水準で行くと……うん、赤ん坊の免疫力と忍耐力に任せるしかないな。
破水したとなれば……アントワネットの事を考えれば出産させるしかないし、このまま無理にお腹の中に押し込んでおくわけにもいかないだろう。
ルイーズ・マリー夫人は重々しくも、部屋の中で何が起こっているのか話してくれた。
「現在、王妃様はお医者様の指示で出産に向けた準備を進めております。出適正時期よりも早い段階での出産となりますので、今は面会謝絶で出産の邪魔にならないようにお願い致します」
「分かった。面会は出産してからだな……」
「はい、お医者様からは出産後は母子共に絶対安静を心掛けるようにとの事でございます」
「そうか……今のところアントワネットの様子はどうだ?痛がっていたりはしていないか?」
「今のところは吐気程度であり、意識もハッキリとしております。それに、お医者様や助産師の方々が付き添っております。きっと無事に出産なさいますよ」
「ああ、ありがとう……ランバル公妃の姿が見えないが……彼女はアントワネットと一緒かい?」
「はい、お傍に寄り添っておりますので……」
ランバル公妃はアントワネットと一緒にいるようだ。
年上の彼女が支えてくれると心強い。
アントワネットは出産という女性にとって一番痛みを伴う激しい戦闘を繰り広げているんだ。
俺も駆け付けて行きたいのは山々だが、史実のようにビックリして失神なんて事態になれば赤ん坊にとってもリスク大だ。
ここはドアを開けたい気持ちを抑えて、部屋の前でアントワネットの無事を祈るしかない。
「今はアントワネットが子供の為に懸命に戦っているんだ……俺が割り込んで行くべき時ではないな……守衛、椅子を……椅子を持って来てくれるかい?ルイーズ・マリー夫人が座る椅子を至急持って来て欲しい」
「ハッ!かしこまりました。陛下のお椅子もお持ちいたします」
「ああ、ありがとう。そうしてくれ……」
椅子を二つ用意してもらい、部屋の前でルイーズ・マリー夫人と一緒に座ってアントワネットの出産を待つことになった。
今はただ、アントワネットと生まれてくる子供が無事であってほしいと願うばかり。
陣痛が起きているのだろうか……部屋からはアントワネットの苦しそうな声が時折聞こえてくる。
「うわぁっ……うぅぅ……」
「大丈夫ですよ王妃様、ゆっくり、ゆっくり息を吸ってくださいね~」
「うぅぅん……すぅぅぅ……はぁぁぁぁ……」
「ええ、その調子、その調子ですよ~」
助産師さんの的確なアドバイスに従ってアントワネットは呼吸を整えているようだ。
さすがフランス王室だけでなく貴族の出産にも立ち会ってきたベテランの助産師は指示が上手い。
助産師さんの声と主治医の声が聞こえているので、今のところは問題ないようだ。
しかし、俺としてはどうしてもこういった場面では不安になってしまう。
(アントワネットは無事かな……腹の中にいる赤ちゃんも無事に産まれるかな……)
妻を持った旦那が分娩室前でウロウロしたがる気持ちを俺は今、痛烈に実感している。
十字架があれば握りしめていたい、そんな気分だ。
胸の鼓動がどんどんと高くなっているし、心配な気分とこの場ではどうすることもできないもどかしさがこみ上げてきてしまう。
思わず涙がこぼれ落ちてしまったほどだ。
「陛下……!」
「すまない、どうしてももどかしさを感じてしまってね……すまない……」
イカンな……どうも涙もろくなってしまっている。
ハンカチで涙を拭いてみたのはいいのだが、次から次へと涙が出てくる。
本来であれば立ち会うのが筋なのだろうが、今アントワネットは女の戦いで俺が行ったとしても周りに足手まといだ。
ここで待っているしかない。
待っている間に、意外な人物から声を掛けられた。
俺と1つしか歳が離れていない上に、容姿に関しては俺よりも太っちょな感じの青年だ。
「兄さん、ここにいたのですか?」
「……!スタニスラスか……」
「王妃様のご出産が近いと聞いてやって来たんですが……何かあったのですか?」
「ああ……先程アントワネットは破水をしてな……急遽緊急出産を行うことになったんだ」
「それは……まさに大変な時というわけですね……」
「そうだ、俺としてもなんとかしてやりたいんだが……生憎、この通り面会謝絶だ。立っているのも何だし、椅子を直ぐに持ってこさせよう。守衛、すまないがスタニスラスの椅子も頼む」
「ハッ、直ちに持って参ります」
スタニスラスは俺の弟であり、史実ではナポレオンが敗れた後に復活した王政によりルイ18世……アンドラ大公としてフランス国王となった人物である。
転生した直後は仲はあまりよろしく無かったのだが、アデライード達に利用されそうになった事や、兄弟仲が不仲だと今後の王政に悪影響を及ぼすと考えた俺は、スタニスラスの上昇志向をプラス方面に役立てようとそれなりの役職を与えたのだ。
役職は『外交部貴族担当部門責任者』というものであり、主に外交関連に携わる仕事だ。
「ところで、仕事の方は順調か?」
「ええ、兄さんのアドバイスのお陰で仕事も上手くいっていますよ。最近は中立派の貴族も大人しいですからね。仕事もはかどります」
「無理をしてはいけないからな……何か困った事があれば遠慮なく俺に相談しなさい」
「はい、ありがとうございます」
元々口達者でもあったスタニスラスだが感受性が高いこともあり、諜報度の高い仕事は任せられないが、その一方でビジネスにおける交渉術などを学んでから、諸外国の貴族などとの会談を執り行っている。
割と中立派の貴族などの相手を手懐ける事が出来ている上に、彼らの動向なども逐一報告してくれるようになり、兄としてもスタニスラスが物事を定めることが出来るようになったのは幸運な事であった。
友好関係の構築という意味合いもあるが、真の狙いとしては史実ではアントワネットを嫌うあまり、ルイ16世の執り行った政治に尽く反対して謀略などを巡らせるほどであり、結果から述べればスタニスラスが行った行動によって革命派が勢いを増してしまう要因にもなった。
うーん……これはいけないよね。
そこで兄弟として……少なくとも血を分けた肉親として、俺は一昨年に腹を割ってスタニスラスに話を打ち明けたのだ。
兄として弟の良い面を持ち上げようと雄弁さを生かした上で外交関係の大命を任せたのだ。
勿論、この時にスタニスラスの補佐として国土管理局でも選りすぐりの職員を派遣させているが、スタニスラスが史実のように兄に対する不信と対立を避けるべく、スタニスラスへの助言や定期的な彼の行動報告を行うスパイでもある。
つまり、スタニスラスの行動は俺にお見通しではあるが、同時に彼が熱心に仕事をしていて成果を出しているというのもまた事実である。
(これだけ仲が良ければ史実のような事にはならないだろう……そうさ……きっと良くなるよ……)
これからきっと良くなる。
そう前向きな希望を抱いているうちに、部屋で大きな動きがあった。
突然、大きな産声が部屋に響き渡ったのであった。