173:ファッションナブル
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1774年4月10日
人間の汚点みたいな男が逮捕されてから二ヶ月が経過した。
あの男はまだ自分は無罪だと陳情しているが、その陳情は信じるに値しない。
彼の本拠地であるストラスブール大聖堂、その周囲にあるカトリック教会、及び各武器工房を捜査機関が強制捜査を行った所、フランス政府から認可されていない武器が次々と見つかったのだ。
それもボストン暴動事件で使われたモデル1773だけでなく、軍で決められた工房でしか製造されていないはずの大砲やその大砲に詰め込む砲弾が発見されたのだ。
モデル1773「P型」だけでもストラスブール大聖堂の地下で100挺発見されており、相当数の密造銃が製造されていた事を物語っている。
他のモデルや旧式を含めれば数千挺にも及ぶ膨大な数の武器が生産されていたことになるのだ。
捜査機関が現場に踏み込んだ時、それらの武器は行き場が無い子供や老人たちがノルマを課せられて懸命に作っていたという。
『ちょっとでも休んでいると殴られるんだ……軍曹さんに殴られちゃうんだ……だから僕たちは食事と寝るとき以外は休めないよ……』
捜査機関が保護した少年はそう語っていたと報告書では記されている。
表向きは貧民救済と職業訓練の一環として受け入れていたらしいが、実態としては武器を密造してその密造に逃げ場のない孤児や身寄りのない弱者をこき使うという、闇金漫画で登場するようなダークヒーロー主人公がやりそうな事を平然とやってのけている。
どこまでクズなのよと思うかもしれないが、さらに続きがある。
この場を統括していたのはかつてフランス軍に属していた元軍人だったのだ。
彼らは階級が最下位の者で上等兵、最上位の者で少尉の位を授かっていた者までいたのだ。
素行の悪さからフランス陸軍を不名誉除隊した複数の軍人をロアン枢機卿は雇い入れて、武器の製造を指示していたという。
しかも、子供たちへの暴行は日常茶飯事であり、中には望まない妊娠をした少女もいたという。
武器の密造と密輸はかれこれ3年以上に渡って行われたらしく、総額10万リーブル以上もの利益があったといわれている。
これらの利益の大部分はロアン枢機卿が握り、武器などを作っている子供たちなどには全くといっていいほどに還元されなかった。
利益で儲けた金は教皇国へ自分の地位向上を図る為に寄付金として送金していたり、気に入った女へのプレゼント代や、自宅の改装費、対立していた同じ宗教関係者を陥れる為の工作費用などに充てていたという。
ロアン枢機卿は全てこれらに関して関与を否定しているが、どうあがいても有罪である事には変わらないのだ。
既に逮捕した元軍人の男達も揃って証言している。
『武器密造・密輸の指示は全てロアン枢機卿によって行われた』
その報告書の内容を全て見通した後、俺はかなり怒った。
史実における首飾り事件で政治の中枢から外したから大丈夫だろうと安心していた自分に怒ったのだ。
ロアン枢機卿は別の形でこのような事件を引き起こしてしまった……。
まぁ、これだけ証言が揃っていればロアン枢機卿は破滅するし、どの道死罪は免れない。
ロアン枢機卿が保有していた財産は一時的に国土管理局が脱税行為を兼ねていた罪状を述べた上で差し押さえている。
かなり膨大な財産という事もあり、これらの財産は貧困層の経済支援費用や教育費用の足しにさせてもらう。
しかし、ロアン枢機卿が逮捕されたのはいいんだが……。
どうも黒幕はもう一人いるらしい。
彼と共謀して武器などを売りさばいていた人物……。
女性のようだが、まだその尻尾は掴めていない。
顔を隠して話をしていたらしいが、ロアン枢機卿曰く金儲けの話には彼女の指示があったとされている。
仮に、その女性が事件に関わっていたとしたら……恐らく貴族か武器密輸に関与していた商人だろう。
もー、仕事を増やすのはよしてほしい。
新しいキャラクターを出すと脳の整理が追いつかない。
でもロアン枢機卿自身がかなりの女好きみたいだしな……。
嘘を言っている可能性もあったが、元軍人の男達もその女性を見たと言っているから間違いなく、第三者による関与によって武器密造・密輸が行われていたのは確かだ。
それに、モデル1773もその女性が用意してきた代物らしい……。
となれば、女性の身近な人物は軍関係者かそれなりに武器に詳しい人物……あるいは持ち出してもお咎めない人物という事になる。
あるいは女性がメッセンジャーとしての使いか……。
どのみち、顔を隠していたようだし向こう側は複数の女性で対応していたという話もある。
リンゴの果汁を絞りだすのは快感だが、こうした犯人捜しのための絞りだしというは凄まじく骨が折れる作業だ。
イギリス側には犯人であるロアン枢機卿に関する情報を渡しているし、裁判などもフランス側に任せるというお墨付きをもらったのだ。
それだけイギリス側に信頼させる事に成功したという事だ。
外交関係の改善も図る事ができたし、イギリスとは当面の間は大丈夫だろう。
勿論、この事に関しては同盟国であるオーストリア大公国のテレジア女大公陛下にもお伝えしている。
テレジア女大公陛下とは手紙でやり取りしたわけだが、色々と大変な時期故に無理だけはしないようにと釘を刺されてしまった。
『ルイ16世陛下、いつも娘のアントワネットがお世話になっております。ロアン枢機卿に関する事件では外交面で苦労をなさったようですね。ロアン枢機卿はオーストリアにいるときに、色々とトラブルになる事もございました……。陛下がイギリスとの交渉を担い、尽力を尽くして職務にあたっている事はアントワネットから伺っております。最近は春になって気温が落ち着いてきておりますが、お身体を無理して壊さないように。私からもオーストリアで何か支援が必要な事があれば何時でも仰ってください。我々も陛下の行っているブルボンの改革を真似て、本腰を入れた政治・経済改革を実行に移しております。これからは啓蒙主義ないし、陛下のような改革を見習うような動きが見られるでしょう。決して無理はしないでください。それから、もしアントワネットが子供を授かったら連絡をしてください。孫の肖像画が見れることを楽しみに待っております。ーオーストリア大公国 マリア・テレジア女大公より』
(さすが女大公陛下……。政治面だけではなく体調管理をしっかりとするように言っているね……ほんとこれもう事実上のお母さんでしょ……)
アントワネットの事が心配で何度も手紙を出している事実を見るに、テレジア女大公陛下は相当子供の面倒を見るのが好きなお人らしい。
最後の文章とか「孫の顔が見たい」ですって……。
孫の顔……うーん、これは急かしていますねぇ!
要は『子作りして元気な孫を産んでくれよぉ!孫の顔が見たいのよぉ!』って事でしょ、うん知っている。
ちゃんとした初夜を明かしてから半年経っているんだが……まだ子供が出来ていないんだ。
そりゃ毎晩愛し合っていますとも……。
何回戦も繰り広げているしね。
でも、もしかしたら体質的な事で出来ていないかもしれないし、今のところは様子見という感じだ。
女大公陛下と読んでしまうと不敬になるのであまり言わないが、やはりもう孫の顔をみたいと思っているのかもしれない。
確か出生が1717年頃だったはずだから……今年で57歳だ。
この時代の平均寿命を考えればそろそろお迎えが来てもおかしく無い。
なるべくアントワネットと相談して孫の顔を見せることができるように頑張りたいと思っている。
最近はアントワネットの食欲が旺盛になってきている感じがするんだよね。
夜の夜戦が激しくなってきた頃という事もあるかもしれないが……ここ一か月ぐらいからスープとかパンだけでなく、お肉も良く食べるようになった。
特に鶏肉を使ったサラダとかが大好きで、このところ二日に一回はあっさりとした食感の鶏むね肉を使ったチキンサラダを良く食べているんだ。
アントワネット曰く、どうしてもお腹が空いてしまうのでよく噛んでしっかり食べておりますとの事だ。
食欲が旺盛なのはいい事だ。
食べないよりはよっぽどいい。
俺ももっと食べるべきなのだが、どうしても転生前が小食だった影響もあって食事は少なくしているんだ。
だから相対的にアントワネットのほうが沢山食べているように見えるんだよね。
ちなみに鶏肉や乳製品を良く食べる女性は胸が大きくなるという話を聞いた事があったが……今のアントワネットの胸を見れば、その説はどうやら的を射ているようだ。
本当に最近胸を含めて、彼女の身体が大きくなったように肌を合わせて実感している。
テレジア女大公陛下もふくよかな体格だったと思うので、きっと遺伝的な体質もあるのかもしれない。
尤も、生まれつき病弱で背骨に関する先天性の障害を背負っていたと言われているマリア・アンナや、浪費家で夜遊び三昧した挙句、愛人達との性的乱交を繰り返した末に母親から勘当されてオーストリアへの帰国禁止処分が下されたマリア・アマーリアは憎悪をしていたと言われているけどね。
そう思えばアントワネットは実に恵まれたお母さんに出会えたよねって思うわ。
娘の為に毎月手紙出して調子を伺うなんて……まぁ、外交的な意味合いを持っているのもあるけど、それでも親として娘を想ってくれるお母さんがいてくれてアントワネットは幸せ者だよ。
俺?……この世界ではともかく、転生前は……母親の愛情を受けずに育っている。
俺が保育園に上がる前に、急性白血病を患いそのまま命を落としてしまった。
だから俺は母親というものがどんな感情を抱いて子供と接するのか、所謂愛情というものがどんなものなのか分からない。
せめて、アントワネットのような優しい人に抱きしめられて、子供が落ち着いていればそれでいいと思っている。
まぁ、今日はそのアントワネットが主役になってファッションショーをやる事になっているのだ。
目的は様々な人達との交友関係を構築する事がメインだ。
ただのファッションショーではなくイタリアやプロイセン、オーストリアなど遠方からわざわざ人が集まって行われる一大イベントなんだ。
国内外から人々がパリ市内にあるブルボン宮殿に集まってファッションショーを一週間に渡って参加する『第一回:国際フランス服飾見本市』が開催されるのであった。