172:ジャレットの受難
ロアン枢機卿捕縛RTAを始めようと思うので初投稿です
★ ★ ★
1774年2月7日
マドレーヌ寺院では未完成ながらも、多額の寄付金が集まった事で寺院の建設が再スタートを切り出すことができそうだ。
その為、寺院では大勢のキリスト教の信者や、各地からやってきた司祭などが集まって建設が無事に終えるように祈りを捧げていた最中であった。
その中の一人で、聖女マドレーヌに祈りを捧げているのはパリ産業新聞社でも女性記者としてパリを中心に知名度を上げているジャレット・パトリシアだった。
彼女が参列しているのは個人的な信仰理由もあるが、何よりも教皇国から派遣された司教枢機卿を取材するという仕事も兼ねていたのだ。
「……皆さん、こうして多額の寄付が集まったのは皆さんのお陰です。きっと、神様も皆様の善良な行いに感謝している事でしょう……誠にありがとうございます。」
教皇国から派遣されてきた司教枢機卿は謝意を述べている。
近年教皇国は周辺諸国から行き過ぎた教皇崇拝によって遠ざけられており、煙たがれている存在であった。
フランスでは『金塊公爵事件』の際に、オルレアン派の複数の取り巻き司祭が婦女暴行事件に関わっていた事件が露呈して以来、司祭を含んだ聖職者についてのスキャンダルが時折センセーショナルに伝えられるようになっていたのだ。
しかしながら、教皇国は威信回復の為に各国の指導者へ説明や布教活動を行い、その失われた信頼を取り戻そうとしている。
司教枢機卿がマドレーヌ寺院にやってきたのも、そうした信頼回復の為の行動の一つでもあった。
ちなみに司教枢機卿というのは教皇の次に偉い人物であり、教皇国における宗教的指導者のトップ3に入る人物でもある。
「それでは皆様……マドレーヌ寺院の完成を祈り、聖女様に……そして主に祈りを捧げましょう……」
全員が目をつぶって祈りを捧げる。
この祈りは重要なものであり、参加している者達は神に無事に寺院が完成するように祈りを捧げている。
寺院の前に設置された椅子に座りながら祈りを捧げる人々。
そんな信仰深い人々を見ながら、集められた修道院長や地域代表の枢機卿らも祈りを捧げる。
ただ……その中の一人に祈りではなく、自身の欲望と保身、そしてこの神聖な儀式を出会いの場として使う為に神に祈りを行っている不届き者がいた。
(ああ……どうか、今日も素敵な女性とめぐり逢いますように……フフフ、そして信仰深い女性と密接に神の教えを説くのです……身体を使ってね)
何を隠そうロアン枢機卿である。
既に彼が関与していたと疑われる犯罪、ないし関与が確定した犯罪は15件に及ぶ。
もう彼には逃げ場などない筈なのだ。
彼自身も捜査の手が及んでいることは、スポンサーを通じて承知していた筈である。
しかし、彼には絶対的な自信があったのだ。
自分は如何なる理由があっても有罪にはならない。
仮に逮捕されても信仰深い裁判官を買収するなり、自分自身と悪魔の取引を行った司法官を使って仮釈放をすればよいと……。
さらに自分の身分を使えばそうした事をチャラにする事も可能だ。
上級国民である自分なら、罪に問われても他人のせいにすればいい。
身代りを使えば極刑にはならないのだ。
そうした私利私欲に塗れ、権力と己の淫欲の海に溺れるような人間失格という言葉が相応しいロアン枢機卿に一人の男が近づいてくる。
このマドレーヌ寺院から数百メートル離れた教会に属している神父であった。
気難しいそうな堅物の雰囲気を醸し出している神父はロアン枢機卿の耳元で囁いた。
「ロアン枢機卿……お取込み中失礼いたします……緊急の要件が入りましたのでお伝え致します」
「ええ、大丈夫ですよ。如何したのです?」
「はっ、先程パリ警察と憲兵隊がノートルダム大聖堂に入り込んだ模様です……至急お知らせするようにとの指示でやってまいりました……」
「何……憲兵隊がノートルダム大聖堂に?それは本当ですか?」
「はっ、大聖堂に大砲や鉄砲などの武器が保管されたという情報を基に強制捜査が行われているそうです。それに……」
「それに……?」
「その事件に関わったとされるロアン枢機卿を見つけ次第、直ちに捕縛して出頭させるようにとの指示が全警察と憲兵隊に出されたそうです……こちらがその指示書です」
神父は警察官から貰ったとされる指令書をロアン枢機卿に渡した。
そこにはロアン枢機卿が密輸事件の第一級首謀者として記載されており、関与した事件などが詳細に記されていた。
また、ロアン枢機卿を捕縛した者には賞金5000リーブル……現代日本の円レートにして約2500万円相当の懸賞金が懸けられていると知らされると、ロアン枢機卿の顔から常に兼ね備えていた余裕という二文字の漢字は消え失せた。
出頭命令であれば大人しく従っていたかもしれないが、捕縛命令となれば話は別だ。
もう有罪は確定されているも同然であり、憲兵隊……警察が上層部から逮捕をしても良いというゴーサインである。
この時点でロアン枢機卿が取るべき行動は一つしかない。
それは一刻も早くこの場から『逃げる』事であった。
「ご安心を、私はロアン枢機卿を信じております。こちらで馬車を用意致しましたので……その馬車に乗ってここから一刻も早く離れて下さい」
「……分かった。感謝するぞ……君はどこの教会の者だ?」
「『貧民救済教会』のセドリックと申します……」
「ありがとうセドリック君、君の恩は忘れないよ……」
「ええ……神様は何時でもロアン枢機卿をお守りしてくれるはずです……」
ロアン枢機卿はセドリック神父にそう言うと、直ぐに席を離れる。
周りの神父や司祭がロアン枢機卿に何かあったのかと尋ねるが、そんな言葉はお構いなしに大事な式典を後にする。
式典で枢機卿が途中退席するなど前代未聞の事態だ。
辺りがざわつく中、ジャレットは只事ではない事が起こったと記者の直感が冴える。
(他の司祭もてんやわんやと慌てているという事は……ロアン枢機卿の身に関わる出来事があったのかしら?)
ジャレットの直感は正しかった。
彼女は直ぐに手持ち鞄を持ってロアン枢機卿の跡を追った。
何か一大スキャンダルが起こったのではないかと彼女は考えたからだ。
ロアン枢機卿はマドレーヌ寺院の裏手に用意されていたセドリック神父が用意した馬車に乗り込んだ。
聖職者御用達の目立たない馬車であり、ささやかながら聖職者である事を示す十字架が馬車に刻まれている。
「あぁ……行ってしまったわ……」
ジャレットがロアン枢機卿と接触しようとした瞬間に、彼の乗った馬車は行ってしまったのだ。
これでは追いつけない、走って追いかけて行こうかと思ったその直後。
周囲に鈍い衝突音が響き渡った。
ハッとなったジャレットが見てみると、ロアン枢機卿の乗った馬車が他の馬車と追突していたのだ。
追突したロアン枢機卿の馬車は横転し、馬は足が折れてしまっている。
馬はヒヒーンと泣き叫んでいる。
足が折れてしまったのだ、馬にとって足が折れることは死に繋がる。
「うぅ……一体……一体何が……」
額から血を流しながら馬車の中から這いずり出てきたロアン枢機卿を待ち構えていたのは、剣や槍を構えた憲兵隊の姿であった。
ロアン枢機卿を取り囲んでいる憲兵隊の数はおよそ20人といった所だろうか。
その中の一人で、憲兵隊を指揮しているであろう勲章をいくつか身につけている将官がロアン枢機卿の前に立ちふさがった。
「ロアン枢機卿!!貴殿には『武器密造』と『諸外国への禁輸品密輸』の関与が確定し、本日午前9時をもってロアン枢機卿の宗教権限を停止し、逮捕する事が通達されました。これより貴殿を逮捕します!」
「ま、待ってくれ!私は無罪だぞ!そんな事は知らない!」
「残念だが貴方に拒否権はない。我々には聖職者だろうが貴族だろうが、警察ならび政府から罪状が出されている容疑者を逮捕する権利があります。勿論、貴方を我々憲兵隊が私刑にしたり殺害したりするような事はしません。憲兵隊の名誉にかけて……それに、裁判において無罪を主張する事も認められております。抗議の続きは裁判で行う事ですな……」
「は、離せ!私は枢機卿だぞ!誰だと思って……」
「ええ、分かっています。分かっているからこそ、貴方を逮捕します」
ロアン枢機卿は必死に抵抗しようとするも、屈強な憲兵隊には敵わない。
彼らはスイス人傭兵から転属してきた軍属だったり、フランス陸軍からスカウトされてきた人が多いのだ。
贅肉を肥やしているだけのロアン枢機卿が束になって襲ってきても容易に撃退するだろう。
喚き散らすロアン枢機卿はあっという間に捕縛され、そのまま憲兵隊の馬車に押し込まれるような形で載せられて去っていった。
「おいおい、一体何があったんだ?」
「ロアン枢機卿が逮捕されたんだ!この辺りでも偉い司祭さんだよ」
「司祭が?なんでまた……」
「何でも武器を密造していたとかで……こりゃ明日のパリは大騒ぎになるぜ……」
「皆さん、事故処理を行いますので下がってください!」
あっという間の出来事だ。
集まっていた野次馬達は呆然とその光景を見ており、馬車の事故処理としてやって来た警察官らが野次馬を散らすように指示を出していた。
その中でただ一人、野次馬とは違ってその出来事をインクに浸した羽ペンを使って必死に紙に書きあげているジャレットの姿があった。
(まさかロアン枢機卿が武器密造と禁輸品密輸に関わっていただなんて……こうしてはいられないわ。直ぐに新聞社に行って記事を書かないと……!)
こんな現場に居合わせる出来事は滅多にないだろう。
どの新聞社よりも早く、ロアン枢機卿が逮捕された事実を伝えなければならなかった。
彼女は興奮と衝撃がリミックスし、体中のアドレナリンが全開になりながら必死に筆を走らせた。
要点を纏めた上で、彼女は駆け足でパリ産業新聞社に向かい、編集長に事の発端を説明すると直ぐに活版印刷をフル稼働させて号外を刷る事になった。
ジャレットがこのロアン枢機卿の逮捕劇を詳細に記した『ロアン枢機卿逮捕の瞬間』は号外として夕方までに他の新聞社よりも正確な逮捕現場の様子を伝えた。
この号外は瞬く間に噂を耳にした人々が買い付けたことによって、飛ぶように売れていき活版印刷所では作業員が寝る間も惜しんでひたすらに号外を刷り続けた。
号外は多くの人々の目に留まり、パリ産業新聞社では過去三ヶ月で売れた新聞代に匹敵するほどの利益を一日で獲得するという記録的な一日となった。
安心しろ、ロアン枢機卿は直ぐには死なない(絶対死なないとは言っていない)
丸善に行って新たな近世~近代に関するフランスの資料……1万5千円分を投入致しましたので、次回はアントワネットのファッションにまつわる話を書こうと思います。
女性の読者の皆様方は期待しないでください。