170:他人を売る
このお話には宗教に関する題材が使われております。
ご了承の上、お読みください。
「人身売買……つまり、アフリカ大陸で行っていた奴隷貿易のような事をポルトガルが日本でしていたのですか?」
「そうだね……ポルトガルの国王はこの事を憂慮して割と早めに禁止にしたようなんだ。それでも日本にはヨーロッパ人が入ってきた際に宗教関係者が多くやってきてキリスト教の布教活動を行っていたんだ。それが脅威としてみなされたんだよ」
「脅威……ですか、しかし奴隷貿易を止めたにも関わらず、なぜ日本は貿易関係を閉ざすような行為に走ったのでしょうか?かなり疑問に思ったのですが……」
「ええ、確かにオランダにだけ開かれているというのもある意味妙な気がしてなりません」
「ふむ……アントワネットもコンドルセ侯爵も日本が鎖国に踏み切るまでの歴史を知らないみたいだから、この際教えておくね」
なぜ日本が鎖国体制に移行してしまったのか?
それには当時の価値観による奴隷貿易と宗教の相違があったから起こってしまったのだ。
アントワネットもコンドルセ侯爵もそこに疑問を抱いているようであった。
なんで奴隷貿易を廃止にしても日本はオランダ以外の欧州諸国と関係を絶ってしまったのかと……。
談話がてら、日本史の授業といきましょうか。
こうして話をしていると、周りの人々も自然と集まって話を聞いてくれるからね。
「ポルトガル……まぁ、我々フランスも他人の事は言えないのだがね……今から二百年前、日本が内戦中に九州地方の大名がキリスト教に改宗したんだ。彼らをキリスト教に改宗させたのは教皇の右腕とも称されたイエズス会……名前は皆も知っているだろう?」
「ええ、前教皇が保護して教皇領と周辺国との間で亀裂が走った原因となった……神の教えではなく教皇への忠誠を重視していた事を敵視されていたと言われている者達ですね」
「そうだ。日本で彼らが行っていた布教活動は純粋にキリスト教の布教でもあったが、同時に政治中枢部へ信者を取り込む事によって日本の情報を入手することにあったと言われているんだ。あと元々日本で信仰されていた神道や仏教といった宗教では多神教が主で、我々が信仰しているキリスト教のような一神教ではないのだよ。それが原因で不幸が生じてしまったんだ」
「えっと……オーギュスト様、日本では沢山神様がいるという考え方があるのですか?」
「そうなんだよね。川や山、そして海や空にも神様が存在しているという考え方があるんだ。幸運をもたらしてくれる神様がいれば災いを引き起こす神様もいる……そうした神々は祖先の行いなどにも影響しているのではないかと彼らは考えているんだ」
「つまり……我々のようにイエス様を信じているキリスト教とは違い、様々な物や生き物に神様が宿っていると考えている日本人の方々から見れば、そうした神様の扱いも違うという事ですね……」
「そう、そこが致命的とも言える程に宗教的誤差が生じてしまった原因でもあるんだ……イエズス会の人々も日本の人々も……一つの神のみを信じるか、それとも多くの神様がいるという考え方を信じるか……これだけでも相当のずれが起こってしまったんだよ」
当時の日本で信仰されていた宗教は仏教と神道であり、特に祖先の行いを重んじる事が日本では大事とされていた時代である。
キリスト教の布教活動にやって来た彼らを悩ませたのは、日本人に根付いていた多神教の影響もあって彼らが予想していたよりもキリスト教が普及しなかったのだ。
(大名のトップを中心に入信させたけどあまり普及しないなぁ……それじゃあ、熱心な大名に”要請”して信者を増やそう!これならいいだろう!)
これに焦りを感じたのだろうか、キリスト教に帰属した九州キリシタン大名を味方に付けて、大規模な布教活動を行う。
特に肥前国(現長崎県)のキリシタン大名である大村純忠はキリスト教の布教を後押しして多くの領民をキリスト教に改宗させ、当時の日本人でキリスト教を信仰している人の半数が長崎県に集中していた事で知られている。
しかしながら、彼はかなり宗教に嵌りすぎた。
後世に残された資料からも異常とも言えるほどであり、結果的にその活動が豊臣秀吉や徳川家康などの政治上層部の目に留まり、キリスト教脅威論へと繋がってしまうのだ。
「日本にもそれなりの高い地位に就いていた大名がキリスト教の洗礼を受けたんだが……その人物は領民に対してもそれまで信仰していた神道や仏教を捨てて改宗するように迫り、従わない人を殺害したり既存の異教宗教施設を焼き払うなどの極端な政策を取ったんだ。挙句の果てに、親戚の人が埋葬されていた墓までも燃やしたと言われているんだよ」
「それで……日本人はキリスト教を警戒するようになったのですか?」
「結果論でいれば要因の一つになったと言われているね。おまけに、自分の意に反する領民を奴隷として売り飛ばして、その売り飛ばした金でポルトガル産の武器を購入していたとなれば……尚更警戒するようにもなるさ……」
そう、大村純忠は自身が信仰しているキリスト教以外の異教である神道や仏教の領民に対して強制的にキリスト教への改宗を迫り、これに反発した仏教・神道関係者を捕縛・殺害し、寺院や神社などを焼き払った上に自分の親族の墓すらも破壊した挙句、キリスト教への改宗を拒否した人々を奴隷として海外に売り飛ばす等の暴挙を行ったのだ。
戦国時代を舞台にしたゲームだと、大村純忠を選択してプレイすれば『神のご加護』によって改宗した兵士ユニットの攻撃力と防護力がアップする上に、南蛮貿易によって得られる利益によってポルトガルから最新鋭の武器を入手する事が可能なのだ。
うまくいけば九州の大名をコテンパンにして平定するぐらいに強い(但し島津家を除く)。
その反面上記のような歴史的事実を考慮してか仏教徒による一揆や神道を信仰していた部下の裏切りによって内戦が勃発するリスクが年月が過ぎるごとに上昇していくデメリットを持っている。
……と、転生前に知っていた情報を整理してもこれだけの事がポンポンと浮かんでくる。
こうした状況が続いたのと、当時のイエズス会日本担当の司祭コエリョが秀吉の要請を無視して軍艦などを作ってキリスト教に改宗した大名たちに武器・兵器の供与や秀吉率いる軍勢との戦争を望むように指示していたりと、上層部による好戦的な対応を取ってしまう。
……最終的に天草四郎率いる島原の乱が勃発したことにより、当時の日本ではキリスト教は危険な存在であると認識されてしまったのだ。
「結果的にポルトガル、スペインは日本の市場から追い出されたのさ。勿論イエズス会の宣教師の大部分はキリスト教の教えを守り、聖職者としての職務を全うした人間がいた事は確かだ。それでも、一部の上層部による独断専行と過激な宗教政策によって日本での活動が水泡に帰してしまった事は事実なんだ」
「……では、日本がオランダ以外の欧州諸国と貿易をしたがらないのは、そうした理由があるのですね」
「そうなんだコンドルセ侯爵、悲しいことだがね……鎖国を施行してからもう150年以上だけど、日本の幕府にとって欧州諸国の姿勢は”警戒”体制のままなんだ……」
キリスト教国家でもプロテスタント派であったオランダとイギリスが当時敵対していたポルトガルやスペインに代わり日本との貿易権利を獲得、結果的にカトリック派だった欧州諸国は締め出された……。
やがてオランダがヨーロッパで唯一かつ最大の貿易国となり、オランダを通じて日本や清国の情報が入ってくるというわけだ。
アントワネットやコンドルセ侯爵は、かなり神妙そうな顔をして顛末を聞いていたのであった。
「……そういった歴史があるから、日本は海外の窓口を絞って貿易をしているのさ……我が国はカトリック派が大半を占めているけど、そうした宗教の話を抜きにした上で交渉するのが最善だろう。既に国が開拓されていて、尚且つこれから発展の可能性を見せている国家である日本との貿易は、我が国にとっても大きな利点があるんだ」
「利点……あっ、もしかして日本に拠点を設けることでオランダに代わって貿易を広げる事ができるかもしれないという事ですね!」
「その通りだアントワネット!流石だね!フランスの目的はまだ他の欧州諸国が進出していないアジア地域に拠点を根付かせる事にあるんだよ」
アントワネットがほぼ満点回答をしてくれたので問題はないと思うが、実際にオランダは東南アジア諸国にも植民地を持っており、とりわけ彼らは日本の貿易を独占している状態だ。
イギリスもオランダ同様に貿易をしていたらしいが、経済的な理由から日本との貿易から撤退していたりもする。
イギリスの矛先が新大陸に向かっているのと、ロシアを含めた欧州諸国との貿易を模索している田沼意次……。
日本との貿易交渉が成功すれば、東アジアでも随一を誇る労働力と生産力を誇る国家を陣営に引き込むことができるかもしれない。
日仏合作……ないし、日本や清国、琉球との貿易が可能となれば、それまで欧州諸国ではあまり重要視されていなかったこれらの地域への進出によって、東アジア方面の利益を獲得することが出来るようになるだろう。
それに日本はこの時代フランスと同じぐらいの人口があるので、市場規模としてはほぼフランスと同じぐらいなのだ。
鎖国体制で内需経済で回しているだけで、海外との貿易を行えるようになれば日本はさらに発展を遂げることができるだろう。
海洋貿易国家日本……良い響きだ。
勿論、これらの国々に対してもフランス紳士らしく対応する事が求められている。
俺たちの東アジアへの開拓は始まったばかりなのだ……。