167:悪人正機
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1774年2月1日
眠りから目を覚ませばアントワネットの吐息が聞こえてくる。
その吐息に安心感を抱きながら目を覚ます。
時刻は午前6時……まだ起床時間よりも1時間ほど早い。
本来ならアントワネットともう少しベッドの中で一緒にいたいのだが、生憎と情報が飛び込んできたので彼女を起こさないようにそっとベッドから抜け出して報告を受け取るのだ。
報告をしてくれているのは空気を読んでくれている召使いの人達だ。
重大な報告などは寝ている間に、国土管理局から通知用として置いてあるコップをそっと置いておくように伝えている。
このコップは色で区別されており、銀のコップであれば国王である俺に渡すべき報告がある印であり、金のコップであれば重大報告につき、起床次第お伝えする案件であるという目印にもなっている。
寝ている時も、ロウソクの交換などにやってくる係の者がそっと置いてくれているのだ。
勿論、召使いの人達がどんな報告なのか詳細までは聞いていない。
企業秘密を守る……現代の言葉でいえばコンプライアンスを守るべく、朝4時頃にロウソクの火の確認をしてくれる際に部屋に入る際に国土管理局の職員からコップを置くようにだけ指示を受けて、それを粛々と守って実行しているのだ。
さて、起きたら金のコップが置いてあったので重大報告があるのだろう。
寝室に設置されている伝声管を通じて、国土管理局の宿直員に報告を受けたい旨を伝えると、宿直員は当直者に連絡を行い、報告を持ってくる。
その間に俺は寝間着の上に人前に出ても大丈夫な上着を羽織って当直者と面会するのだ。
今日の当直者はジャンヌであった。
まだ若く、同僚のアンソニーとは婚約関係にある女性だ。
彼女にはクラクフ共和国関係に関する情報収集を依頼しているが、かなり進捗があったようでその報告をしてきたのだ。
少々目にクマが出来ているので仕事で寝不足なのかもしれない。
「陛下、おはようございます。朝早くに申し訳ございません」
「おはよう、いいんだ。むしろ仮眠をしている所申し訳ないね……重大報告があると聞いたが、どんな報告だい?」
「それはですね……一先ず応接室までお越しください。極めて重大かつ今後の国政に関わる内容となりますので……」
「成程……確かにそれは重大だ。分かった、大トリアノン宮殿に場所を移そう」
寝ているアントワネットを起こさないように寝室のドアの前で警備している守衛に任せて、俺はジャンヌの説明を受けるべく応接室へと向かった。
ボストン暴動事件で使用された銃に関する重大情報が入り、現在ロアン枢機卿に対する捜査網を広げている最中だ。
防諜対策としてこの応接室が使われている。
インテリアも必要最小限のものだけで、人が隠れるようなスペースの無い場所だ。
隣の部屋も国土管理局側の職員が言質などを取る為にいるが、あくまでも限られた職員にしか知らされていない極秘情報だ。
知っている人も限られているし、その部屋に入るためには複雑な鍵を使っているドアを開錠しなければならない。
「まず、王国内務公安部が入手した情報を基に精査した結果……フランス国内で武器密輸案件に関わっていた人物が浮上し、裏取りでほぼ黒だと判明しました……ですが、この人物は地域でかなりの影響力を持っている為、正式に逮捕するには更なる物的証拠が必要になってきます」
「……やはりそれなりに地位を持っている人物か……ちなみに誰かね?」
「はっ、ロアン枢機卿です」
「……なんだと?ロアン枢機卿だと!」
思わず俺は驚いて椅子から立ち上がってしまった。
あのロアン枢機卿がやってくれたのだ。
不特定多数の女性と性的関係を持ち、それでいて権力を行使するようなクズな人間。
ここまでなら最低な奴として宮廷から離していれば大丈夫だったが、事件に関与しているとなればそうもいかない。
お前は女の胸や尻だけでは物足りず命を奪う行為にまで加担したのかと怒鳴りたくなったほどだ。
「ロアン枢機卿……あの女に目が無くて万年発情期の異名を持つあのロアン枢機卿か?この事件に関わっているのは?」
「ええ、少なくともクラクフ共和国の設立にロアン枢機卿が関与している裏付けも取れております。軍の青年団として元々フランス軍に来ていたコシチュシュコ少佐が証言してくれたのです。1771年からロアン枢機卿率いる組織から複数回に渡ってポーランドにフランス製の武器を送っていたそうです」
報告書を持ってきてくれた国土管理局のジャンヌの話を聞けば、ロアン枢機卿には独自の武器調達ルートがあるらしく、注文さえできれば武器を取り揃えてくれるらしいのだ。
つまるところ、武器商人紛いの商売を勝手にしていたわけだ。
おまけに、その武器もフランスの武器庫から持ち出された銃を違法に複製し、発注した組織や国に流しているというとんでもない情報だったのだ。
最初報告書を見た時に予想外すぎる人物が関わっていたので、思わず二度聞きしてしまったほどだ。
「聞くが……その情報は信ぴょう性が高いものだね?」
「はい、コシチュシュコ少佐の語っていた武器密輸案件の情報を照らし合わせると、辻褄が合います。それに去年だけでもロアン枢機卿は東部の自宅を大改装したり、教会施設の建設に多額の費用を支出している事が分かっております。些か羽振りが良すぎるかと……」
「何という事だ……神の教えを説くべき聖職者がそのような大それた事をしていたとはな……事実だとしたら奴の行っている行為は万死に値する!無論……しっかりと法の裁きを受けるべきだがな……いいか、絶対に奴は生かして捕まえるんだ。証拠現場を押さえて捕まえたら私に連絡しなさい」
「はい!必ずご報告に伺います」
正直ここまでドが付くほどのクズだったとは……。
アントワネット妃などを描いた作品では、フランス王室の権威を陥れた首飾り事件の首謀者であり、どこまでも最悪な男という印象だったが、今回の件で最悪を通り越して吐き気を催す程のどす黒い悪で満たされている人物だとつくづく実感している。
いや、確かに俺もあのロアン枢機卿が事件に関わっているとは予想外だったよ。
アントワネットにまとわりついたら嫌だし、史実のような首飾り事件みたいな重大事件起こされたらたまったもんじゃないので政界から追放する形でヴェルサイユから追い出したわけだけど……こんな事に首を突っ込んでいるとはな……歴史を変えているからその反動なのかもしれない。
国王の権限を使って暗殺チームを送って始末するのも一つの選択肢として浮上したが、それは控える事にした。
いや、パパパッと暗殺して終わりにしたほうがいいかもしれないが、今はイギリスからの捜査員を受け入れている最中でもある。
ここでロアン枢機卿が死亡したら事件は迷宮入りしてしまうだろうし、犯人だったとしても死体を突き出したら「フランスは責任回避の為に容疑者の口封じをした」と言われてしまう。
そうした事にならないように、徹底的に物的証拠を確保した上でロアン枢機卿を逮捕するべきだろう。
イギリスとフランスの合同捜査は上手くいっているし、予想よりもデオンがイギリス側でパイプ役として活躍している点が挙げられる。
この事件が終息に向かえば、彼……いや、彼女をヴェルサイユに迎え入れた上で労ってあげないとね。
現場の第一線で頑張っている人々を労うのがトップの務めでもある。
そうした初歩を忘れないように自分自身に言い聞かせるようにして、最重要人物となったロアン枢機卿の外堀をどしどし埋めていくことにしよう、
「……まぁ、今はロアン枢機卿が完全に黒である証拠と、ボストン暴動事件に関与している証拠さえそろえば問題ないという事だな?」
「はい、決め手ともいえる証拠を現在捜査部署を含めて全力で捜査に当たっております。今週の末までにはロアン枢機卿を逮捕する事ができるでしょう」
「クラクフに関与しているのであれば恐らくボストン暴動事件にも武器密輸案件に絡んでいる筈だ。後はイギリス側の捜査員との連携を絶対に怠らないように……」
「はい、肝に銘じております」
「よし。完全に奴が黒であると決め手になる確実な証拠を見つけ次第、私に持ってきなさい。……とりあえず今は疲れているみたいだし、少し休んで休息をとりなさい」
「はっ!お心遣いありがとうございます。では失礼致します!」
ジャンヌは敬礼をしてから応接室を去っていった。
忙しいだろうから少しぐらい寝ても罰は当たらないだろう。
うん、そうだと信じたい。
国土管理局は情報提供者であるコシチュシュコ少佐やクラクフ共和国側との協議をし、黒幕の尻尾を掴んだ。
クラクフ共和国軍所属のコシチュシュコ少佐が情報提供をしてくれたが、ロアン枢機卿は本当にとんでもないやつだな……。
ちゃんと公の場で……それも法廷に出てキッチリと裁くつもりだから、そのためにも訴訟の準備をしないとね。
さて、……今日はヴェルサイユ宮殿で親睦会が開催される日だ。
親睦会とは、フランスにおける改革派による会合だ。
全国から二千名以上の人達が集まってくる重大イベントでもある。
今から寝室に戻れば30分ほどまだ寝れるだろう。
アントワネットと甘い添い寝をしたいからね、そのぐらいの贅沢なら許してくれるだろう。
応接室を後にして、俺は再び寝室へと戻っていったのであった。