161:ボストン事件
☆ ☆ ☆
おはよう諸君。
本日は1774年1月3日…。
ちょうど正月三が日でのほほんと日本式コタツでくつろぎたいなと思っている今日この頃だ。
西洋コタツで有名なスペイン製のコタツを入荷して今現在使ってはいるが、これ足の長いテーブルの下に火鉢みたいなのを入れて足元を主に温めるような感じだ。
胸元あたりまで毛布を掛けて寝そべるような日本のコタツが懐かしいと切に感じている。
それでも最近は暖炉やコタツだけでなくベッドでも温かくなる日々が多くなった。
いや、温かいを通り越して熱くなっているな。
アントワネットとの熱い夜を時折過ごしているが、何とか自分自身に自信を持てる事ができそうだ。
まぁそれは置いておいてだ。
いよいよアメリカ大陸において独立戦争が起こる年だ。
今年から来年にかけて全面的な植民地戦争が起こるだろう。
ほぼ予定調和のようなイベントだ。
一応ボストン包囲戦が起こった1775年から独立戦争が勃発したという意見もあるが、事実上1774年ぐらいから植民地政府とイギリス政府との間で表面的な外交上の亀裂が生じており、ボストン茶会事件をはじめとした独立派の民兵組織が既に結成されていたことを踏まえれば水面下で既に戦争が始まっているという解釈もできる。
なので、1774年に独立戦争が開始されたと思っているんだ。
この年にはボストン近郊で戦争までには至らなかったが、衝突事件やイギリス政府などに対するサボタージュが行われていたことで、1774年には既に紛争状態と化しているという話だ。
歴史家の人にそれを真顔で言ったら絶対に「お前一年程時期がずれているんじゃないか」と突っ込まれるかもしれないが、どちらにしてもアメリカ大陸とイギリス本国との関係が悪化しているという事は紛れもない事実だ。
俺が子供の頃は鎌倉幕府の成立した年が頼朝公が征夷大将軍になった1192年と教わってきたが、転生する前には教科書の見直し等で、壇ノ浦の戦いで勝利した頼朝公が日本の軍事力を掌握した年である1185年に幕府が一応成立したという考えになったはずだ。
つまり、解釈の次第によっては結果が変わることもあるという事だ。
「国王陛下、国土管理局に届けられた海外情勢の第一報です」
「おお、ありがとう。そこの机の上に置いておいてくれ」
「畏まりました」
デスクワークが日課となっていることもあって、海外の情報も入りたてのものが届けられている。
国土管理局に所属する諜報員のうち、海外に派遣している人数も大幅に増員している。
特にクラクフ共和国やプロイセン王国、イギリスにアメリカ大陸植民地政府には数百名の諜報員によって各地の情報が逐一届けられている。
最も、その情報は遠くにあればあるほど時間が掛かる。
まだモールス通信なども発明されていない時代なので、基本的に暗号化した手紙などでやり取りが行われている。
特にアメリカ大陸方面は大西洋を船で横断しなければならない事もあってか、時間もコストもかなりのものだ。
毎回の情報第一報を集めるのに現地住民への給料の支払い(賄賂)や現地政府幹部への協力費用(賄賂)、そして民間会社に偽装して船員たちへの口止め料(賄賂)など…。
様々な所にお金が掛かる。
一回の情報を得るたびに1万リーブルが吹き飛んでいる状態だ。
しかしながら、こうした情報というのは必要不可欠だ。
「さてと…諸外国で起こったニュースを確認していこう」
第一報のニュースで真っ先に目に飛び込んだ報告があった。
去年の12月16日にボストンで大きな事件があったという。
史実と照らし合わせたら「ボストン茶会事件」だろう。
植民地政策に不満を募らせた人々の一部がアメリカ先住民族の格好をして、ボストンの港に停泊していたイギリス東インド会社所有の積荷であったお茶を大量に海に投棄した事件だ。
世界史の授業で一度はやったことがあるのではないだろうか?
だけどなぜこれが起こったのかというと、イギリスが七年戦争で圧迫された経済を立て直すべく植民地に課税を追加して植民地の人々との対立が激化していた時期でもある。
きっとボストン茶会事件が起こったんだろうなと思い報告書を読むと、思わず目を疑うような記載がされていた。
『12月16日にボストンにおいて大規模な暴動が発生、茶税廃止を求めていた現地市民が抗議をしていたところにイギリス軍の駐屯兵と乱闘になり、駐屯兵側が銃火器で抗議した市民17名を射殺。これに激怒した大勢の現地市民が武装して政府施設を襲撃、ボストン港に停泊していたイギリス東インド会社の貿易船6隻が破壊され、非番の兵士や船員ら含めて33名が死亡。現在も暴動は治まる気配はない』
…ボストン茶会事件ってここまで派手に流血沙汰になっていたか?
俺の記憶が正しければお茶を海に投げ込んで海がお茶の色に染まった程度であって、大きな流血事件にはならなかった筈だ。
それが茶会事件ではなく、ボストン暴動事件に発展しているではないか。
サン=ドマングでの反乱騒動より深刻かもしれない。
下手をすればイギリスは思っている以上に早い段階で独立戦争に立ち向かうことになるだろう。
「これは…暴動が治まらなければ民兵が独立戦争をけしかけることになるな…いやはや…歴史の流れがかなり変わってきているな…」
十分にフランスの経済体制などを変貌させている俺が言っていい言葉ではないかもしれないが、アメリカ独立戦争が早くなるという事は、その分ヨーロッパに与える影響も絶大だ。
アメリカ側を支援して戦争に参加した国は我が国フランスやスペイン、オランダなど戦争でイギリスに苦い経験を味わった経験のある国家が次々と対英戦争に位置付けて参戦したのもこの戦争であった。
フランスも領土が貰えるとして戦争を行い海戦においてイギリスに対して勝利したけど…結果、殆ど金にならないような辺境領土のみを掠め取っただけであり、おまけに戦争をした事で生じたアメリカなどへの対外援助費用が莫大な金額になりフランスの財政悪化を招いてしまった。
おまけにこの時義勇兵などでアメリカに渡った兵士が革命思想に嵌って帰国してしまい、結果的にフランス革命を助長させてしまうというやるせない結果になってしまったんだ。
(結果的にフランスにとっては殆ど利益が出なかったばかりか、負債やら借金が積み重なって最終的に革命が起きただけの罰ゲームになっただけだよね)
フランスとしては戦争に発展するリスクだけは避けたい。
何と言っても独立戦争には全くと言ってもいいほどに取り分もあまりなかったし、戦争になればその分債務なども増えてしまう。
出来れば戦争に参戦しないように国内世論を穏健のままにしつつも、裏で可能な限り情報収集などをしっかりとやっておくべきだ。
「戦争になるかもしれないな…戦争になったらフランスは当面は中立を宣言して様子を見守ろうか」
まぁ、元々はイギリス領内で起こる反乱であり、あくまでもこれはイギリスの問題であってフランスには関係のないことだ。
そう割り切ればいい話だった。
だが、数時間後の続報で我が国も決して無関係ではない状況に置かれていることになったのだ。




