159:大人の階段を昇る
★ ☆ ★
「そうか……陛下とアントワネット様が……」
「はい、今宵に夫婦としての交わりを果たすとの事です。」
外は暗闇に包まれている。
ロウソクが灯されている大トリアノン宮殿の休憩室にてハウザーとボーマルシェは、年代物のワインと先日パリ郊外の農場から入荷された新鮮なチーズを二人で嗜んでいた。
福利厚生を謳うルイ16世の労働改革によって、大トリアノン宮殿に勤務している者にはワインなどの飲食物などの嗜好品を飲食する事が許されている時間があるのだ。
午後10時以降は、夜勤者を除いて休憩室などで食事を取ったり仮眠室で寝ることが出来る。
尤も、毒物などを持ちこまれないようにする為に、国土管理局の調査で安全性が確認できたものであり且つ酒やおつまみも程々にという条件付きだ。
もちろんのことだが泥酔レベルまで飲んで騒いでしまうのはご法度となっている。
つまり自己管理が出来るだけの量だけ飲めという事である。
年代物のワインは酸味が強いが、この強い味がたまらないという。
ルイ16世はワインが飲めないらしく、どんなに高級なワインでも部下たちや職員に気前よく譲ってしまうので、ハウザーとボーマルシェが嗜んでいるワインもそのうちの一本である。
1765年物のアルザス地方で育った白ワインで有名なリースリングワインを飲みながら、今夜の国王夫妻が大人になる事について呟いている。
「陛下は改革に熱心ですからな。アントワネット様も嫁いできてから陛下のお側に付いて一緒に改革を取り組んでおられる……陛下の後を追っているようだ。しかし、夫婦というよりも友人のような関係を取っていたのですな……」
「はい、陛下も王妃様もそれぞれ今日に備えて準備をなさっていたようです。ですが、陛下の場合は初めてという事もあってご不安になったのでしょう。愛する仲になった際にするべきことを教えて欲しいと言われました」
「うむ、陛下は真面目だ……きっと直前になって不安になる事もあるでしょう。ましてや二人は今夜結ばれるわけですからな。失敗をしないようにと気を張り詰めていたに違いありません」
「ええ、私と対談した際にも少々言いづらそうに語っておられましたからね。そういう時もありますよ」
誰しも大人になる時がある。
そんな時に大人になっていいのだろうかという不安が頭を抱えてしまう事が起きる。
ルイ16世に起こっているのは、そうした不安材料が夫婦間の世継ぎを誕生させるために行う行為だったのだ。
「まぁ、言いづらい話題ではありますな。陛下のプライベートに関する話題になります故、相談できる相手を絞り込んでいたのでしょう」
「私もそうした相談をされたことは今まで無かったので私自身の体験をお伝えした所存でございます」
「それで問題ないかと思います。下手に創作話でも作れば後々厄介なことになるだけです」
「それにしても……陛下がそうした話題を触れることが無かったのが意外でしたな」
「ですね……陛下もお年頃という事もありますが、やはり内政に一直線に進んでおりましたからね……そうした行為よりも国を変えようとする方が重要だったのかもしれません」
それが二人にとって相当意外だったらしく、ハウザーとボーマルシェはそうしたセクシャルに関する話をあまりしたことがない陛下についてどう思っていたのか。
その話題をしている最中に休憩室のドアがノックされる。
三回音が鳴ってドアが開かれると、ランバル公妃とルイーズ・マリー夫人が入ってきたのだ。
「これはこれは、ランバル公妃様にルイーズ・マリー夫人……如何なされましたか?」
「ハウザー様、ボーマルシェ様……今宵は一杯付き合ってもらえませんか?」
「それは構いませんが……」
「今宵は陛下とアントワネット様が大人になる日です。私としてはこうして一杯飲みながら二人が無事に過ごしてくれることを願っているのですよ……そう、そんな時は飲みたくなるものです。盛大に祝うことはできませんが、こうして静かに祝う分には問題ないかと」
「ですな、折角です。こちらのワインを飲んでみますか?チーズもありますよ」
「ええ、喜んで!」
二人から四人に増えた談話の場。
集まっている四人の気持ちは同じだ。
ルイ16世、そしてアントワネットの夜を邪魔するわけにはいかない。
こうして大トリアノン宮殿の休憩室でワインを開けてツマミを食べるのも悪くない。
むしろ、下手に酒場に繰り出して喋ってしまうよりは、ここで発散させてしまった方が遥かに防諜面でも安全なのだ。
ワインの半分以上を空にしても、四人は滑舌を悪くすることなくこれからの事を語っている。
最初に語りだしたのはヨーゼフだった。
自分がルイ16世から直々にスカウトされた経緯を話している所であった。
「思えば……陛下が私をスカウトしてきた時のことは未だに覚えておりますよ。どうして私をスカウトしたのか不思議でしたが……今思えば、多種多様な人種や宗派を超えてブルボンの改革を実行するために選ばれたのだと実感しております」
「……たしか、ハウザー氏はユダヤ系のお血筋でしたな」
「ええ、商人の家に生まれて家督を継いで貿易商として活動しておりました。陛下にスカウトされてからは家督は既に息子に譲っております。ユダヤ人への寛容令のお陰で我々にとって少なくとも移動が自由になったことが大きいです。ゲットーに収容されることなく、自由に国を移動できるのは本当に陛下の名案でございました……寛容令のお陰でヨーロッパのユダヤ資本はフランスに集中しておりますよ」
「最近の好景気は彼らの莫大な投資による側面も大きいですからね」
「おっしゃる通りです。特に有名な大商人達がフランスへの投資を積極的に行っております故、しばらくはこの好景気が続くでしょう」
ユダヤ教徒やプロテスタントなどの宗教への寛容令をはじめ、農奴・奴隷の廃止、科学・医療・農業技術の発展などフランスの政治は先進的であり、周辺諸国よりも開明的な政治体制に移行しているのだ。
この政治をパフォーマンスとしてではなく、しっかりと実行力を維持していくことを担う国王ならば国は安心だという安堵感によって投資家達は資金を絶え間なく融資しており、フランスの経済状況はかの太陽王として名を冠したルイ14世以来の繁栄を遂げようとしている。
『ルイ15世の失政はルイ16世による善政によって挽回された』
こんな新聞記事が掲載される程だ。
イギリスやプロイセンでも、若き国王であるルイ16世が主導して行っているブルボンの改革が上手く指導力を発揮している事に驚きを持って伝えられている。
特に、アメリカ大陸ではイギリスのアメリカ大陸における重要な植民地である東部地域を中心に、ルイ16世の手腕が知れ渡ることになっていた。
この手腕をモデルケースとして各植民地政府はイギリスへの対抗馬となりえる存在として、フランスへの接触を図ろうとしている。
「陛下の改革によって、恐らく来年から世界は大きく動きだすでしょう。特に、新大陸側の動きが不穏です。遅くても3年以内にイギリスが新大陸への派兵を行うかもしれません。それに行動を合わせるように、ロシアやプロイセンも派兵を行う可能性も否定できません」
「つまり、これからは外交面でも力を注ぐべきといった所ですね」
「その通りです。そうなれば、我が国が戦火に巻き込まれないように政治面でも陛下や王妃様を支えなければいけません。陛下と王妃様は我が国にとって希望の星なのですから」
希望の星。
その星は激しく輝く流星か、それとも太陽のように常時明るい光を発している恒星か。
少なくともフランスを再び偉大な国家へと再建させようとしているルイ16世、そのルイ16世を支えているアントワネットは後者だろう。
ルイ16世は転生者としてのアドバンテージを活かした改革は今現在順調に進んでいる。
時折、過労で倒れたりサン=ドマングにおける騒動で混乱を来したが、それでも当初の目標通りに改革の秒針は進んでいる。
この秒針は止まる事のない歩みでもあるのだ。
ルイ16世とアントワネットの二人だけの朝が来るまで、四人の側近は陰ながら見守るのであった。




