144:ありふれた欧州史でクラクフ最強
「大変遅くなりました……申し訳ございません」
「いや、いきなりの出来事だからね。情報はどのくらい集まっていますか?」
「ハッ、こちらが先程定期連絡員が持ち込んだオーストリア・プロイセン経由で入ってきた情報でございます。オーストリア・プロイセン両政府がクラクフ共和国に対する処遇を決定した内容でございます」
ハウザーはハンカチで額の汗を拭き取ってから、持ってきた情報の紙を渡してきた。
ホチキスがあれば数十枚の資料を一度に綴じることが出来るのだが、まだこの時代にはないのでページに番号が振られた順番にしっかりと目を通しておく。
しっかりと国土管理局の職員は内容を把握して馬を大急ぎで飛ばして来たそうだ。
だとしたら、今回のクラクフ共和国独立宣言はポーランドから独立する勢力が事前に仕組んでいた事にもなるな。
そのせいで一歩遅れをとってしまったが、まだまだ巻き返しはできるだろう。
俺はオーストリア政府とプロイセン政府の公式処遇結果を見る。
クラクフ共和国が誕生してすぐに両国政府は動いたそうだが、どのように動いたのか気になるところだ。
クラクフ共和国の政府首脳部と、オーストリア・プロイセン政府がこの事態を把握していたか、あるいは三カ国で秘密裏にロシアを除いた会合をしていた可能性がある。
敵の敵は味方理論で同盟を組んだかと思ったら次の戦争では敵国になるのが日常茶飯事、そんなヤバイ外交を担っていた近世時代でもあるので、有利な条件を付けたのかもしれない。
そう思って見てみると案の定、オーストリアとプロイセンは事前にクラクフ側と話し合っていたようで、クラクフ共和国を正式な国家として条件付きで認めたようだ。
・オーストリア政府はクラクフ共和国の独立を認める。ただし、クラクフ共和国とオーストリアとの国境付近の街には、クラクフ共和国軍人を入れない非武装地帯を設けることと、我が国がポーランドに請求している鉱山資源地帯の採掘権を割譲する事を認める事が条件である。
・プロイセン政府はクラクフ共和国の独立を認める。大使館の処遇も保障する。しかしながらクラクフ共和国軍が我が国に侵攻しないようにクラクフ共和国との国境にロシア軍の監視団を派遣することを認める事と、ポーランドに帰属を表明している在プロイセンポーランド人の生命と安全を保障を確約することが条件である。
「ほぉ~っ。やはり裏で動いていたというわけか……それもポーランド分割に参加しているオーストリアとプロイセン側に極めて魅力的な条件で承認してもらったのか?ハウザー、このクラクフ共和国の独立地域にいる諜報員の数は?それとクラクフの今現在判明している状況を報告してくれ」
「はい、首都宣言を行ったクラクフを中心に4名の諜報員がおります。また外部協力者としてポーランド側の貴族が複数人おりますが……クラクフ側かポーランド側かは不明のままです。第一報が入り、オーストリアとプロイセンの発表までは入ってきておりますが、まだ現地の様子がどんなものなのかまでは情報が入って来ておりません」
「うむ、この情報は6日前の独立直後のものだからな……明日か明後日ぐらいまでには詳細な情報が入ってくるだろう。ところで、このクラクフ共和国が主張する領土というのはどのくらいの大きさなんだ?」
「はい、こちらに地図がございます。この地図はポーランド……いえ、在クラクフ共和国大使館が新たに独立を支持した地域ですが……クラクフを始めとするポーランド南部の主要都市、及びリヴィウとなります」
ポーランド南部、それも旧ポーランド王国の首都であったクラクフを中心とし、ロシアとの最前線であるリヴィウが独立を果たす形となっている。
これらの土地を見てみるとチェコスロバキアみたいな横に長い国になっている。
オーストリアとプロイセンとの国境付近は既に二か国間で合意されたように軍を撤退させたり非武装地帯を設けることで承認させたようだが、これでロシアは予想以上にポーランドから領土をむしり取る事もできるだろう。
ただ、それ以上にこの独立はオーストリアとプロイセンにとっても好都合だったのかもしれない。
ロシアが南下すればオーストリア、プロイセンにも敵として襲いかかってくるのは時間の問題だ。
であればロシアとの”壁”になってくれる国を認めてしまえばいいと考えたのだろう。
特に今、現在独立したクラクフ共和国の主張する領土というのはオーストリアが史実で獲得できた領土ではあるが、中立国家を樹立させて壁にすることでロシアの侵攻ルートを予測・遮断することが狙いなのかもしれない。
この時代、ロシアとプロイセンは同盟を結んでいる。
露普同盟というものであり、これは仲良くポーランド共和国への政治的干渉を目的としたものである。
その結果、ポーランドはオーストリア・プロイセン・ロシアの三カ国によって1795年に全土が各国に併合されて国家が消失するという憂いな目にあっている。
因みにこれと同じように1939年にナチスドイツがポーランドに軍事侵攻した際に、ソ連も”ポーランドに住んでいるウクライナ人の保護”を名目にポーランドに侵攻して仲良く分割した「ポーランド侵攻」が有名だろう。
この時もポーランドは祖国を消失し、後に独ソ戦において勝利したソ連によって建国されたポーランド人民共和国はソ連の傀儡国家となって冷戦崩壊2年前まで共産党による支配を受けることになる。
この状況で気になるのはロシアの動向だ。
既にポーランド北部地域を制圧しつつある状況ではあるが、新たに独立を宣言したクラクフ共和国を攻め入るのかどうか、まだ反応が掴めていないのだ。
ハウザーも戦力比や状況などを踏まえて調査をし続けているという。
「オーストリアとプロイセンはクラクフ共和国の独立を認めましたが、ロシアからの正式な回答はまだ入って来ておりません。また、クラクフ共和国の大使館と化したポーランド大使館職員も、既にクラクフ共和国派に帰属しているとなれば、ポーランド軍の戦力は激減するでしょう」
「そうだね……どの道ポーランドは遠からず滅ぶだろうけど、今後のロシアの反応が気になるね……このバール連盟に何度も煮え湯を食らわされているロシアの事だ。きっと独立を認めずに独断専行で侵攻するかもしれないな……ハウザー、2週間前までのバール連盟とロシアとの戦闘はどんな状況なんだ?」
「ロシアとの戦闘はかなり善戦していると言えるでしょう。義勇兵がバール連盟に加盟し、さらにロシア軍を相次いで撃破することに成功しているとの事です。北部地域で蜂起したバール連盟はロシア軍によって撃破されたそうですが、南部の主力部隊がロシア軍の猛攻を食い止めているばかりではなく、包囲して殲滅している戦線もあるとのことです。この戦線状況は6日前のものですが、今回独立宣言を行ったクラクフ共和国の領土と重ねて一致しております」
地図と照らし合わせてみても、現在クラクフ共和国が領土を主張している地域をバール連盟が支配しており、ポーランド北西部から南下したロシア軍と睨みあっているようだ。
北部の一部地域を陣取っていたバール連盟はロシア軍の圧倒的物量によって包囲殲滅されたそうだが、南部に主力を温存していたバール連盟によってロシア軍は大損害を被っているらしい。
カロン・ド・ボーマルシェからロシア方面の情報が渡される。
その戦闘結果の内容と報告を聞いて俺は思わず耳を疑ったほどだ。
「北部での制圧は完了したようですが、南部では膠着状態のままです。報告ではポーランド・ロシア戦争が始まって以来、一週間前までにポーランド軍の戦死者が1万5000名に対して、ロシア軍の戦死者は2万7000名。負傷者や捕虜、離反者を含めると4万人以上に及んでいるそうです」
「そんなに?!ロシア軍は大損害を被っているではないか!このまま押し通せばロシアに勝てるのに……なぜクラクフ共和国はポーランドから離反したのだ?」
「やはりバール連盟との折り合いがつかなかった事と現在の国王がロシアの影響下にある事が挙げられます……元々バール連盟側からの支援要請を受けて我が国は軍と物資を何度か派遣しておりました」
「……その話は初耳だ、詳しく聞かせてくれないか?ボーマルシェ」
「ハッ、ルイ15世陛下はバール連盟が対ロシア同盟を結成するために様々な要求と見返りに、政権を樹立した暁には支援国であるフランスに様々な優遇措置を行うとバール連盟盟主のカロル・スタニスワフ・ラジヴィウと密約を交わしていたのです。それが1770年4月12日です」
聞くと、俺の知らない所でそうした事が交わされていたらしい。
まだルイ15世が健在だった頃なので……ちょうど転生した直後だったらしい。
ルイ16世に転生してしまった日にちが1770年4月11日としっかり覚えていたので、その次の日にそんな約束を取り付けていたとか。
今になって判明した衝撃的な事実だよ。
「それで……その密約はいつまで効力を発揮していたんだね?」
「ルイ15世陛下が崩御なされました12月22日まで行われておりました。陛下からの厳命で極秘裏に支援を行うようにと……それ以降はポーランドには連絡員以外を除いて退避させたのです。」
「しかし、なぜ今まで俺に黙っていたんだい?この事は祖父が作っていた『王の秘密機関』主導で行われていたのではないのかね?」
「はい、陛下への報告はなさらないようにと厳命されておりました。というのも、あからさまに内政干渉が露呈してしまえば責任を被ってしまうのは陛下です。そうならないように戦況がバール連盟に不利になったら証拠隠滅を行うように指示されました。さらにポーランド国王のスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキはロシア側に協調している為、鎮圧は時間の問題だと考え……ルイ15世陛下の指示の元でバール連盟にデュムーリエなど外交工作員などを駆使して戦略物資や軍事支援などを行っていたのを取りやめて、1770年12月11日までに関連する資料の焼却処分と関連する事項の口外禁止令をルイ16世陛下から尋ねられるまでは実行に移せと命ぜられておりました陛下、本当に申し訳ございません……」
ボーマルシェは頭を下げて謝った。
バール連盟を支援していたのはまさかのフランスだった(しかもよりにもよってルイ15世を中心とした秘密機関によって行われていた)事にインパクトを受けるも、ルイ15世から口外禁止令を出されていたとなれば……うーん責任はルイ15世にあるね……。
もー、あのジジィ!死んでも跡を濁すんじゃねーよ!
顔が真っ青に冷え切っているボーマルシェには、事情が事情故にこの件に関しては不問としよう。
うん、前国王からの王命を忠実に守っていたと考えればそれだけ忠誠があるという事でもあるわけだしね。
「ボーマルシェ、頭をあげてほしい。少なくともルイ15世陛下がそう命じていたのであれば貴方はその命令を忠実に守っていた。きちんと任務を果たしていたではないか。俺は君の能力を評価しているし、この件に関しては不問にしたい。俺が許す。この件で深く掘り下げていたら時間が無くなるからな。時間のある時にその事に関する報告書を提出してほしい。とにかく今は過去ではなく現時点で起こっていることについて報告を頼む」
「はっ、陛下のお慈悲に感謝いたします……!」
ボーマルシェは深々と頭を下げてから報告の続きを読み上げてくれた。
バール連盟はフランスの支援を受けられなくなって以来、史実通りにクラクフの要塞などを落とされて降伏……かと思ったら、予想以上にバール連盟の騎兵隊や義勇兵が大活躍しているのだそうだ。
そのかいあってか、クラクフもリヴィウも健在でありポーランドから独立した上で戦闘継続を維持しているという。
ポーランド(クラクフ共和国)が強化されたことで、欧州はより一層混迷を深めていくだろう。
では、これからクラクフ共和国についてどのような処遇を決めるか、会議で決定することになる。