141:バール連盟
フランスが戦争状態に突入したので初投稿です。
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1772年7月30日
オーストリア ウィーン シェーンブルン宮殿
夏になるとテレジア女大公陛下をはじめとする王族はこの離宮で過ごしている。
当初、この宮殿は金閣寺のように金箔で塗装する予定だったが、財政上の理由により金色っぽい感じの黄色で塗られている。
この色の塗り方の事をシェーンブルン・イエローと後世で呼ばれている。
シェーンブルン宮殿では、テレジア女大公陛下とヨーゼフ2世陛下の二人が、ポーランド分割に参加するにあたって互いの妥協案を決定する最終合意に向けた話し合いが進められている最中であった。
「……大北方戦争にポーランド継承戦争……幾度となく繰り返されてきた戦争で、ポーランドは衰退期に入っている。故に、ロシア・プロイセンからの脅威に備えるべく、我が国には緩衝地帯を設ける必要があるのですよ母上、当初の計画の通りに南部地域をポーランドから割譲した上で分割統治をするべきです」
「いいえ、ヨーゼフ……分割をするにしても併合地の人口200万人もの民の面倒をみなければならなくなるのよ。リスクも管理するコストも今より多くなるわ。だから我が国にとって戦略拠点上で重要な岩塩・鉄鉱山などにとどめておくべきだわ」
分割調印式まで残り2カ月を切っているが、二人の意見は現在対立していた。
いや、ヨーゼフ2世がテレジア女大公陛下に分割の必要性を説いたのと、フランスに嫁がせたマリー・アントワネットや在フランス大使館からの情報によってテレジア女大公陛下が分割を認めるようになったのである。
なので、今二人が対立しているのは分割する領土配分比率でもめているのだ。
領土以外ではテレジア女大公陛下はヨーゼフ2世が主導して行った分割後の統治に対しては反対しなかった。
分割案が出た最初の時こそ反対していたものの、フランスから届いた手紙に記されていた機密情報で反対から賛成へと意見を一変させたのだ。
その機密情報というのがアントワネットの夫であるルイ16世やフランス科学アカデミーなどから得られたフランスにおけるオーストリアの発展させるためのプランが練られているという情報だったのだ。
『近いうちに普及するであろう蒸気機関に使われる部品や燃料の原料として、ポーランドから採掘された石炭や銅、鉛などが必要になってくる。ルイ16世やフランス科学アカデミーはフランス国内だけではなく、同盟国であるオーストリアなどからも原料を輸入する方針を固めている。また、ポーランド分割地域からの資源供給が可能になれば、採掘事業はこれまでよりも莫大な利益をもたらすことができるだろう』
ポーランドは世界でも有数の地下資源(特に鉱業分野)が豊富な事で知られている。
オーストリアとの国境沿いの山岳地帯周辺には岩塩や石炭鉱山がいくつも点在しており、資源発掘調査を行えばこれよりも更に産出される事が予想されるのだ。
おまけに、ルイ16世からもオーストリア大使との会談で蒸気機関を応用した採掘方法をオーストリア側と情報共有し、フランスで製造する予定の採掘機械を優先的に輸出する用意があるという話もテレジア女大公陛下の元に届いているのだ。
テレジア女大公陛下は、20歳にも満たない娘婿であるルイ16世が、次から次へと画期的かつ斬新なアイデアと交渉方法を取り出してきた事に驚きつつも、科学力でリードしているフランスのノウハウを取得し、国内の経済をより豊にするべくこの情報が精度の高いものなのか調べるために、3カ月かけてフランスに調査団を派遣した。
調査団の結果はいずれも精度の高いものであり、フランスがオーストリアとの同盟を強く結ぶことを願っている。
そして、繁栄の為に現在開発が進められている蒸気機関を応用した採掘機械の輸出をルイ16世が望んでいる事も記していた。
『ルイ16世陛下は国土強靭化の為に、先進的かつ斬新的な改革に着手している。これまで主流であった既存のやり方から脱却した上で、今まで我が国でも取り入られる事が無かった新しいやり方で国を変えようとしている。オーストリアへの蒸気機関の輸出計画も始動しており、アントワネット妃に打ち明けている事から同盟国である我が国の発展のチャンスだと彼らは考えている』
この調査団の派遣によってテレジア女大公陛下は史実とは異なる舵を切り出したのだ。
イギリスやプロイセン……そしてロシアといった大国から身を守りつつも、国の安定と繁栄を行う事に必要な新しい要素である産業……その産業を発展させるのに必要な鉱山は、オーストリアだけではなくポーランド南部地域に多くあり、これらの資源地帯を確保することを条件に、ヨーゼフ2世が打ち出したポーランド分割に賛成の立場を表明したのだ。
これがテレジア女大公陛下が分割の反対から賛成の立場に切り替わった理由である。
一方のヨーゼフ2世もルイ16世から多大な影響を受けていた。
去年アントワネットの様子を伺いに行った際に婿であるルイ16世と会談した際に、自分よりも歳が離れている少年だが、頭の中は自分よりも遥かに成熟されているように感じ取ったのだ。
ルイ16世はフランスだけではなくヨーロッパ……いや、世界全体を観ているのではないだろうかと。
まだ20歳にも満たない少年が国内の政治経済を遥か先まで見通して計画を練っている。
その計画の一部を話された時、ヨーゼフ2世の内心にはルイ16世に対する恐怖をも覚えたのだ。
(婿殿は本当に少年とは思えぬ戦略を使ってくる。本当に報告書に書かれていたような物静かで恥ずかしがり屋というプロフィールデータが間違っているのではなかろうか……だとすれば、これからのオーストリアの国家戦略に影響が出ているな……やれやれ、実際に母上をここまで説得できるようになるとは思わなかった)
ヨーゼフ2世の政治的判断は、テレジア女大公陛下よりも急進的ともいえる改革を進めようとしたが、ルイ16世からのアドバイスを受けた事によって、テレジア女大公陛下とポーランド分割に関して幾つかの妥協案ともいえるものを提示したのだ。
妥協案の中で示されたのは領土配分比率問題であり、ここで自分の主目標の意見を述べつつも母親であるテレジア女大公陛下の意見を取り入れた中で最終的な合意に達するべく、ヨーゼフ2世は自分の母親から最大限の譲渡を迫ったのだ。
勿論、いくつもの政治的交渉を長年やり慣れているテレジア女大公陛下もヨーゼフ2世の意図を見抜いていたが、オーストリアの発展の為にはポーランド分割に参加し、資源地帯の確保をしなければロシア・プロイセンに長期戦略を考えた上で重要な地点を制圧されるのは避けたい狙いがあった。
いつの間にか息子であるヨーゼフ2世もこの頃は急進的な意見を潜めて、柔軟ともいえる改革案をテレジア女大公陛下に進言することが多くなった。
皇帝としての役割を担っている息子の成長に喜ぶ一方で、現在オーストリアがロシアに次いでポーランド地域に多くの兵隊を進駐させているのも事実だ。
1771年8月にオーストリア・プロイセン・ロシアの三カ国による分割の合意が成された直後に、これらの国々はそれぞれポーランドの領土に侵攻、すでに身体だけが大きいだけで政治的混迷や治安の悪化や経済の疲弊を抱えていたポーランド・リトアニア共和国の運命は『解体』という二文字の言葉に蹂躙される。
現在オーストリアだけで占領しているポーランド領の広さは約83000平方キロメートル……ほぼ日本の北海道に匹敵する領土を確保出来ている見通しなのだ。
併合地の総人口は200万人を超えるほどの規模となり、特にプロイセンではポーランド王領プロシアをほぼ完全に併合する予定で、これはプロイセンにとって軍事的・経済的に重要な地点であり、これまで飛び地だった東プロイセン地方と陸続きになったのだ。
三カ国の思想や利権が巡り合う中で、ポーランド軍の一部は最後の抵抗を開始している。
その抵抗によって歴史の歯車はテレジア女大公陛下の併合への決断より大きく様相を変貌させはじめたのだ。
ポーランドの分割案に反対する議員や貴族達がポーランド南部に集結して最後の決戦に挑もうと躍起になっている。
主に反ロシア派の貴族によって結成されたバール連盟だ。
史実よりも1年早い1771年4月に発生したポーランド・ロシア戦争において彼らが想定以上の大戦果を挙げる。
このバール連盟は史実でも局地戦においてロシアとの戦いで勝利をしているものの、大多数の部隊はロシア軍の物量によって敗れ去っている。
……が、いつまでも敗走している彼らではなかった。
互いの思想や主義主張の違いを一旦保留にして、何としてでもポーランドという国家を継続させるべく行動を起こした。
1771年4月から12月までに団結した彼らはロシア軍をポーランド北部で引きつける陽動部隊と、ポーランド南部のクラクフとガリツィアにて主力兵力を温存する部隊に分かれて抵抗を開始。
その結果、北部の陽動部隊は1772年1月末にロシア軍によって殲滅されたものの、当初の計画を一部変更して軍を展開したカジミエシュ・プワスキ率いる騎兵隊がロシア軍を撃退し、列強国との間で交渉の時間を稼ぐことに成功。
この間にパリで軍事教練を受けていたタデウシュ・コシチュシュコが暗躍し、南部のバール連盟にフランスのパトロンから得た軍事資金や物資を使って各地から集めた傭兵部隊を使って武器を持ちこんだ。
南部の指揮を任されたカジミエシュ・プワスキらに第三国を経由して貴族や士族……果ては農奴まで様々な階級から参加を希望した義勇兵を教練し、その数は15万人に達した。
即席とはいえ、整えられた規律と市街地や森林地帯での遊撃戦を徹底的に展開した事によって、ポーランド南部の掃討作戦を担っていたロシア軍は壊走。
戦死者2万7000名、捕虜1万5000名、離反者3000名を出す大損害を被った。
壊走したり投降、離反した部隊から武器などを鹵獲し、攻城砲やマスケット銃などを駆使して決死の抵抗を続けている。
ロシアは当初の想定よりも大損害を出しており、作戦に参加して逃げてきた貴族の更迭などを行っているが、未だに討伐の見通しは経っていない。
彼らはオーストリアが進軍を予定していた地域に主力部隊を展開させており、オーストリア側からしても、カジミエシュ・プワスキ率いる15万人に膨れ上がった軍とやりあうことを想定しておらず、進駐した都市オシフィエンチムではオーストリア軍とバール連盟軍が近郊で睨み合いを続けている。
(そろそろ頃合いだな、母上も納得する条件を提示しようではないか……)
ヨーゼフ2世はこの状況を利用し、テレジア女大公陛を説得して一つの博打を打つことにしたのであった。
自分はマスクと手洗いをやって何とか頑張っております。
皆さんもお体に気を付けてお過ごしください。




