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1771年12月24日
クリスマスを迎えたフランスの首都パリでは大きなイベントを開催していた。
その発表会の名は「1771年度パリ研究博覧会」
如何なる身分を問わず、自由参加が認められたこのイベントでは蒸気機関を使った発明品や、最先端の科学分野における発表会が開催されていた。
場所はルーブル宮殿であり、開催期間は12月22日から1772年2月29日までである。
国王であるルイ16世自ら展示会の開幕の表舞台に立って蒸気機関の邁進と、それに伴う様々な科学・医療・農業など各技術分野の発展を願って行われた。
これらの展示会を主導したのは、フランス科学アカデミーの中でも国王のお膝元と呼ばれている改革派に属する者たちを中心に、科学だけではなく医療や農業関係者も集めて行われたのだ。
このイベントの特徴は、何と言っても国が主催し展示会を開いていることだろう。
1771年度に開発なり発明されたものを展示したり、現在ブルボンの改革で役立っている技術などを紹介している場でもある。
国民に広く知らせるためにも展示会などを開いた方が良いとの閣僚からの助言をもらったルイ16世が企画したものである。
『国民にむけて広く技術の広報を兼ねて、最先端の技術を展示しよう。そして、これから飛躍的な拡張を遂げるであろう科学・医療・農業を中心に、フランスにおける基礎分野の充実と発展をしていこう』
そのスローガンを基に、初夏の頃から企画が行われて本来であれば10月20日頃に開催する予定だったのだが、サン=ドマングで起こった騒動の処理に追われて開催に二ヶ月の遅れが生じた。
とはいえ、それでもフランス中から科学者や医療従事者、農業事業者など大勢が集まり、最先端の技術を見学する場を設けているのだ。
それでいて、この展示会の最大の魅力というのが入場料さえ払えば、どんな人でもルーブル宮殿に入場できる事だろう。
ルーブル宮殿にやってくる者たちの自由参加が認められているので、貴族でも平民でも関係なくイベントに参加出来る。
身分や出身国を問わず様々な人がやって来ている。
オーストリアからは教育使節団が、さらにムガル帝国からも派遣された特使などがこの展示会に参加し、フランスの技術力・科学力を目の当たりにすることになる。
参加には大人が10ソルを支払う必要があるが、それでも遊園地のように目を見張るものが沢山置かれているし、家族でやって来れば子供の参加費は100ドゥニエとかなり格安で宮殿に入ることが出来る。
料金は全ての参加者が平等に支払いを行っており、これでも既に24日の時点で5万リーブルもの収入が国庫に入っているのだ。
「それにしても、これだけ大勢の人がやってくるとは……思っていた以上に多いですなロメニーさん」
「全くですよベズーさん、先程紅茶を飲んで喉を潤してきましたが……これだけ多いと説明も大変です」
「まぁまぁ、お二人とも……これ程までにフランス科学アカデミーが注目されている時は未だかつてありませんぞ。それに、政府から特別報奨金まで支給されるのですから……こうして人々に蒸気機関や最新の科学に興味を持ってもらうことは良い事ですぞ」
「バイイ氏は嬉しそうですな。先程の説明の時も張り切っていたでしょう」
「ハハハ、天文学者としてもこれ程までに人気が出てしまうと嬉しいのですよ」
ルーブル宮殿の一室を借りて展示をしていたのは、改革派のメンバーでありフランス科学アカデミーに在籍しているエティエンヌ・ベズー、エティエンヌ・シャルル・ド・ロメニー、ジャン・シルヴァン・バイイの三名であった。
彼らはルイ16世やアントワネットとディスカッションを行った事があり、今回の展示会では三人とも同じ研究で科学に関する論文の発表などを行っていたのだ。
それぞれ分野などは違えど、改革派として属していることもあってか役割を分担して彼らが行ったのは最新の数式を使用した精密な天文時計の作成であった。
この天文時計はバイイ氏主導で天文学の発展と理解を深めるために設計・開発されたものであり、一機あたりの製作費は約5000リーブルと高額かつ内部に搭載されている機械が複雑なものではあったが、従来の機械よりもより精度の高い天文学的視点から見ると画期的な仕組みが取り入れられている。
使用されたネジや部品の総数は約4000以上。
また、これらの部品には蒸気機関でも使用された最新の部品もふんだんに使われており、フランスが保有している天文時計で一番の精度を誇る。
しかし、この天文時計には致命的な欠点を持っていた。
それは重さと複雑すぎる天文時計の基盤構造にあった。
精密性を重視するあまり部品総数が増えて、時計の占める面積も大きくなった。
気が付けば当初の予定の1.35倍の2メートル40センチ、重さ170キロもの巨大な正方形の機械となってしまったのだ。
さらにバイイ氏は製作を完了した後で分解をしようと考えていたのだが、ベズー氏らが時計屋に提言して組み込ませた精密な部品は分解すると天文時計の基盤を痛めてしまう可能性が出てきた。
天文時計の基盤部分はかなり特殊な形状をしたネジを使用しており、このネジは基盤が故障した時以外は交換する事を想定していない作りになっている。
つまり、持ち運びをした際に落としたりでもしたら……壊れてしまう可能性が高いというわけだ。
勿論悪気があってやったわけではないし、何度も議論などを重ねて実施した結果こうなってしまったのだ。
その事をバイイ氏はルイ16世に詫びに行ったのだが、むしろルイ16世は精密な部品を組み立てて正常に機能するようにしているのは極めて素晴らしいと、逆にプロジェクトを進めたバイイ氏を称賛した上で移動ができるミニスケールのレプリカを作るように命じたのだ。
「何も最初から完璧な代物は存在しない。むしろ問題が起こってから直ぐに報告しに出向いたことは良い事だ。では天文時計の替わりに持ち運びができるレプリカの天文時計を作りなさい。その分の製作費も支給しよう、これまで通りに頑張りなさい」
バイイ氏は何度もルイ16世に頭を下げて、レプリカの製作に取り掛かった。
試作品ということもあって、壊されたらいけないという事でこの展示会に持ってきたのは4分の1サイズのレプリカであり正方形の形をしたオブジェクトで幅60センチ、重さ30キロの代物だ。
右手の位置にあるハンドルを回して内部の機械を人力で動かし、そこから金星、土星などの太陽系惑星の移動周期などを換算するというものである。
4分の1スケールで完成したこの展示物は、各国の天文学者だけでなく各学校の子供たちなども集団見学会で見ているので、今現在このルーブル宮殿で開かれている展示会でも人気のコーナーでもあるのだ。
ロメニー氏とベズー氏は「天文時計」で使用されたネジや部品の組み込みの計算や、周期軌道の測定などを通して数式的な論文を発表し、蒸気機関とはまた別の内容を展示していたのであった。
「しかしながら蒸気機関のコーナーが凄まじい人気ですな。常に人々が群がっておりますぞ」
「蒸気機関は世界でも最先端の技術を詰め込んだものですからね……人力ではなく蒸気の力で機械が動くのですから……いずれこうした時計なども蒸気機関から発展したものを使って動くかもしれません」
「キュニョー大尉の製作した砲車も、今では”蒸気で動く乗り物”としてフランス中に知れ渡りましたからね……皆あの砲車目当てにやって来ているのかもしれません」
「そうですなぁ……蒸気機関の中でも砲車は大人気ですからね。確かにあれを見れば誰だって驚きますよ」
様々な展示物の中でもキュニョー大尉の製作した砲車は大人気であった。
一日に2回ほどルーブル宮殿前で走行をするのだが、その時間帯になると宮殿内に人は殆どいなくなり、入場者の大半が砲車が動くのを見に、宮殿前に集まっているのだ。
その光景はかなり圧巻であり、パリのとある新聞社では「キュニョー大尉は蒸気を操り、その巨体な機械を動かす魔術師だ」というセンセーショナルな記事を書き、一面だけではなく裏面まで砲車に関することで埋め尽くした程であった。
年度末のクリスマスプレゼントを強請る子供たち向けにと、展示会では砲車のミニカーが販売されており、これらのミニカーの売り上げ金は全て社会福祉の為に使用される。
家の無いホームレスの人や、明日のご飯さえままならない貧しい子供たちの為にそのお金が還元される事も会場で明記されていた。
それを知った人々は、では一台子供の為に買っておこう。そうすれば人助けもできるだろう。と、初日だけで用意してあった砲車のミニカーが飛ぶように売れている。
こうしたミニカーは木製のものが簡素な造りで5ソル、細部にまで拘って24分の1サイズに設計された金属製のものが1リーブルとそこそこ値が張る。
実はこれらのミニカーを作っているのは囚人であり、模範囚として服役している懲役6年未満の囚人たちに刑期が終えた後に犯罪に走らずに真っ当な仕事ができるようにと、社会復帰を兼ねて木工・加工技師の指導の下で作り上げた代物なのだ。
囚人たちは展示会が終わるまで、こうしたミニカーの製作に取り掛かっているが、決して悪い気分ではなかった。
何故なら、展示会が開催されて3日目の12月23日に在庫分のミニカーが殆ど売り切りれてしまった為に、クリスマスを返上でミニカーの製作に取り掛かっていたからだ。
彼らの働きに見合うようにと、クリスマスの夕食には濃い味付けの肉とカボチャのスープが振る舞われた。
展示会を開けたのも、サン=ドマングの騒乱が治まりフランスにおいて本格的に改革の成果が実り始めてきている証拠でもある。
ルイ16世はこれから進むべき道、アントワネットと共に行くべき未来を作るために重大な分岐点に差し掛かっている。
その分岐点で如何に未来をより良いものに変えていくのか考えながら彼はクリスマスを過ごしたのであった。