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1068:極東見聞録(中)

1797年4月1日


日本 公武幕府 江戸


浅間山大噴火によって多くの地域が火山灰の被害を受け、この江戸も京都と大坂にその莫大な人口と生産能力を移転せざるを得ない程に被害を被った。

そして、浅間山大噴火後には鉄門組などの私兵集団が牛耳るようになり、江戸の大部分は荒廃してしまった。

特に下町文化が栄えていた新橋や浅草の街並みも火山灰や鉄門組が交戦した影響で倒壊した建物などが道路に立ちふさがり、崩壊したままの状態が続いていた。


この状態を改善するために、1793年の夏ごろに江戸の復興計画が一度京都の御所で立案がされたが、まだ鉄門組と戦闘状態が続いていた事と、江戸における重要な産業構造が壊滅状態であり、すでに大坂や京都に人口の大部分が移住してしまっていたことを考えれば、莫大な人口を復興させるのには人手も金も足りないという理由で却下されていたのである。


それから4年後……。

鉄門組を降伏させ、多くの人命が失われた内戦がようやく終結したのである。

終結後に行った調査において、関東圏と東北地域の人口の多くが失われており、死者や流出した分を含めても、その数は実に200万を超える数となっているのだ。

これは当時の日本の人口の6~8%近い数に相当しており、死亡者の数などを考慮しても一時的な停滞は避けられないものであった。


人口が減少した江戸に至っては、百万を超える人口を抱えていたものの、今は港湾事業者などを含めても5万人程度に減少してしまっているのである。

そのような状況下において、都市の復興と再整備計画が浮上する。

江戸の再建に向けた本格的な計画が田沼意知を中心とした開国派によって再計画されることになったのである。


意知にとってみれば、江戸の復興はやっておいたほうがいい事業でもあるのだ。

特に、広大な湾を囲んでいる都市であり、蒸気機関を生産する多くの工業を誘致する上で欠かせない土地が多く点在しているからだ。

何と言っても、都市部の再整備に伴う工業都市化は比較的スムーズに進む可能性が高く、既に生活基盤であった場所なども多くが残されているからだ。


「江戸を復興させるのであれば、居住区と工業区を分けておいたほうが良さそうだな……蒸気機関を生産する工場は深川や城東辺りに作るのが無難か……既に無人化して人のいなくなった武家屋敷なども多くある。これらの屋敷の持ち主がいればそこを買い取り、もし死亡してしまっていたら幕府が接収して工場を建てる……」

「しかしながら……新橋や浅草の辺りはどうしましょうか?これらの地域は倒壊ないし鉄門組との戦闘で破壊されてしまった建物が多くあります。特に未だに瓦礫が放置されたままの建物も複数あり、これらの建築物の撤去なども進んでいないのが現状でございます」

「うむ、浅草や日本橋、それに新橋地域は居住区を復興して新しい建築物を建てたほうが良さそうだな……流石に崩れた建物を補修するよりも、崩れている建物は全て撤去し、道路の区画なども京都を参考にした基盤の目を参考に再度道路を作り直して作った方が良いな。かの徳川家康公が江戸を作った際には敵の侵攻を阻止するために複雑な道路網にしたと言われているが、大火が起こった際には道路で人がごった返して多くの人が犠牲になったと聞いている。あのフランスでも旧市街が大火災に見舞われた際にも大勢の犠牲者が出た結果、道路整備を本格化させたそうだ。幸い、すでに新橋や浅草の大部分は無人となっている。これらの地域を再整備するのであれば、道路などを大きくして分かりやすいようにしたほうが確実に今後の道路事情にも対応できるだろう」


再整備計画において、浅草や日本橋の荒廃した地域において建設に必要な大工などを動員し、居住区画においても深川や城東といった地区を工業地区に再整備することが盛り込まれた。

この再整備計画には莫大な予算と人員が必要であり、軽く見積もっただけでも一年間に支出される金額が大坂における年間税収の35%に相当し、多くの費用が掛かるのは必須である。


そこで、意知は江戸の復興計画のために大規模な投資を大坂や九州の交易で利益を出している商人たちに持ちかけて、共同開発出資を募ったのである。

この共同開発出資とは、主に港湾整備に関するものであり、多く出資した商人にはその分に応じて投資する分野での利益を割合で確保するというものであった。


深川や城東にはかつて薬事関係で財を成していた薬種問屋であったり、仕切込問屋などがあったがその大部分は大坂に移住しており、大坂の複数の商人たちは彼らの地位を保障する代わりに保有していた薬の調合法などを獲得していたのである。

これらの利益だけでなく、江戸を復興する際に資金を出資すれば、その分の見返りを長期間にわたって一族が享受することが出来るというものであり、長期的な視点で見ればリターンの大きい投資でもあったのだ。


「江戸城を拠点に、復興の計画を進めていく必要がある……今はまだしも、二十年後までには三十万程度の人口を回復させなければならない。すでに大坂や東海道に腰を据えた者も多いが、未だに江戸に帰還したいと考える人々も大勢いるのも事実だ。江戸を整備して、道路網などを再構築することによって再び道路網を再興することが、この日ノ本の国をより繁栄させていく第一歩となるだろう……」


江戸の復興は関東経済圏の復興を意味する。

すでに東海道地域であったり、大坂などに移住をおこなった江戸市民の半数近くは職などにありついて腰を据えることができた。それでも、移住をした半数近くの人間は慣れ親しんだ江戸への帰還を望んでおり、庶民の多くは江戸で働くことを未だに夢見ているのだ。

そして浅間山大噴火によって一番被害を受けていたのは上級武士たちである。


彼らは武家屋敷の多くが放棄されてしまった事で、資産を喪失していた上に、蔵屋敷などを持っていてもその蔵から持ち出せる資産なども制限が掛かってしまっていたのである。

関西圏の親族がいる者はそちらに身を寄せることがあったが、そうでない上級武士の多くが家を手放して困窮する例が少なくなかったからである。


幕府軍の専属軍人として再編成が決まったものの、武家屋敷を持っていた時代を懐かしみ、こうした上級武士たちの間では現状を嘆く短歌が謳われるほどであった。

彼らの武士としての権限が低下していた事もさることながら、彼らの中には幕府軍の上級士官として権力を振るう者もいた。

かつての江戸での暮らしを鑑みれば、厳しくても武士としての秩序と名誉が守られていた時代を懐かしむのは自然の摂理でもある。


崩壊してしまった建物などを取り壊した上で、再整備を行う上で必要不可欠な道路整備を行い、江戸を再び暮らしやすい街に生まれ変わらせる。

江戸再興計画は幕府と朝廷の両者の合意で決定され、人員と必要な資金と資材を確保したのである。

江戸の街は少しずつではあるが復興への道筋を歩むのであった。

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