1043:ガレット
そもそもフランスで蕎麦を作れるのか?という疑問を持っている人もいるかもしれないが、結論からいえば蕎麦の元になっているそば粉はフランスで昔から栽培されているのだ。ブルターニュ地方においては小麦の栽培に適していない代わりに、そばを植えて栽培しており、このそば粉を使った郷土料理としてガレットというクレープの基礎となった食べ物が存在しているのだ。
現代でも生産量こそ中国やロシアには敵わないが、それでも全世界で4位となる生産量を誇っているのがフランス製のそば粉なのだ。
故に、蕎麦を作ろうと思えばここでも作れるのだ。
ただし、蕎麦の麺を作れたとしても肝心のそばつゆに関してはこちらで日本人の指導によって作らないと出来上がらない代物となっている。
というのも大豆を発酵して醤油を作り、さらにこれに加えて酒と水を混ぜ合わせて作るのがそばつゆなので、手間が蕎麦よりも掛かるのだ。
このそばつゆに関しては製造工程もさることながら、日本からフランスまで持って行く際に発酵が駄目になってしまって過去に輸送を依頼したところ傷んだ状態になっていた事例が多かったため、そばつゆに関しては醤油などを現地ではなくフランス本国での生産に切り替えるという事になったのである。
(わざわざ青龍にいた醤油醸造関係者をスカウトして製造に必要な麹とかも持ってきてくれたからなぁ……焼酎ベースのみりんを使うといっても、その焼酎に関しては薩摩藩が作っている酒造を輸入して作る事になっているから、確実に美味いはずだ……ただ、こうした現地で作られた製品を掛け合わせてもコストはかなり高いからなぁ……当面は改革派のパーティーないし、東洋の高級料理店用のメニューとして出すしかないだろうな……)
さらにいえば、醤油だけでなく酒やみりんに関してもスピリッツやウイスキーなどの小麦や果汁酒由来のものではなく、日本から仕入れた酒を使うということもあり、生産コストはかなり高いものになっている。
これを販売するとしたら最低でも1杯につき3リーブルは必要とされるのだ。
日本で蕎麦一杯が16文……江戸時代にもよるが現代の日本円で約750円前後だったのに対して、このフランスで蕎麦一杯を作るとしたら一杯あたりのコストは軽く見積もって15000円以上する高級料理扱いとなる。
もう一度言う、現代の紙幣価値で蕎麦一杯15000円だ。
ブルジョワジーもビックリの高級料理に大変貌してしまったのである。
料理長に費用どのくらい掛かっているかと尋ねたらそう返ってきたので、ほぼ間違いないだろう。
そば粉はまだフランスで作れるが、大豆を発酵させて日本酒を輸入して、その酒からさらに麹等をつかってみりんも作るのだから、現代のように材料を輸入して作るよりも遥かに高コストとなっているのだ。
アメリカ合衆国のニューヨークで、かけそば一杯4000円となっているニュースを見た時は日本人で良かったなぁと思った事もあったが、いざ自分が当事者となって蕎麦をこの時代に食べるとなればそれ以上に高級品に変貌するとは思わなかった。
(多少高くなるとは思っていたが……やはり酒に使われている米がこっちだと全然ないからなぁ……いや、あるにはあるんだがジャポニカ米じゃなくてぱさぱさしたインディカ米だし、おまけに飼料用として栽培されているから味も全然違うからなぁ……うーん、蕎麦一杯がここまで高くなるとは……)
単純計算で3リーブル相当するヌードルとなり、庶民からしたら3日分の給与に相当する高級料理となるわけだ。日本ではポピュラーでメジャーな料理が海外にいくと高くなる。……が、それよりも高いのだ。
15000円の高級な蕎麦を食べるという期待値もさることながら、やはり若干私情を挟んでいるために、これが国益になるのですかと問われた場合、短期的には赤字だが中長期的には東洋の食文化を味わうための異文化交流の一環として行えば、次第にコストも下がっていくだろう。
それでも、今の醤油などを作る醸造所に関しては完全に趣味の領域でもあるし、みりんなどにかんしても日本酒を直接輸入するのではなく、フランスで麦ないし芋を使った焼酎を代用して発酵を執り行うことでコストダウンを図れると日本人のスタッフが言っていたようだ。
というのも、今現在契約を交わしている日本人スタッフに関しては南九州地方出身者が醸造所で働いていたこともあり、麦焼酎や芋焼酎に関しても製造可能である上に、こうした工程で作られた酒なども東洋ウォッカとして売りに出せることにも繋がるだろう。
事業が成功すれば、国営企業が東洋の食文化事業をパリを拠点に広げることが出来る上に、ここは美食の国であるフランスだ。フランス人の味覚に合う食材ないし健康食品として広がれば、史実よりも早く日本食ブームが到来するだろう。
そうすれば、豆腐や昆布といった他の日本食も食べられるようになるはずだ……。
無論、生魚などを使った寿司とかの生食関係はまだ無理だろう。
あれに関しては衛生管理を徹底し、しっかりと魚を捌かないと食あたりを起こす上に、この時代の寿司は酢飯などを使ってある程度殺菌作用のあるやり方で寿司を握っていたとされている。
おまけに寿司で使われる米に関しても現代の1.5倍近い量の米を持って作っていたとされているので、普通の生魚などを使った寿司ではなく、玉子焼きなどの熱処理を施したものであれば食べれるだろう。
醤油も醸造できれば、寿司も食べられる……ここまでくるのに長い年月が掛かったものだ。
ただし、私利私欲のために行っているのか?と問われたら半分はYESと言わないといけない。
実際のところ、東洋食に関しては富裕層を中心に興味を示している者が多く、改革派でも青龍などに赴任して帰国した人が『東洋の食事はシンプルな味付けで、スープなども素朴で美味しいんだ』と広げたお陰で日本食だけでなく、亡命してきた広東省の役人などが持ち込んできた広東料理などがブームとなっているのだ。
で、ここから重要なのだが……そういった日本食やあっさりとした中華料理などのお店は今現在パリなどを含めても2件程度しか存在しておらず、ほとんど新規参入をしていないのだ。
一応レシピ本のようなものも、青龍に赴任していた料理人などがまとめたレシピ本などが出版こそされているが、その料理人通りに作ろうとしても再現できる料理が限られてしまっているのだ。
チャーシューやシュウマイのような料理に関しては割と再現はできるが、調味料などを使う料理の多くが米をベースに作られているため、調味料を東洋から輸入しないと作れないという弱点を抱えているのだ。
(つまり、調味料関係を国営企業が生産できるようにすれば、ヨーロッパ諸国に東洋の食文化を広げるチャンスでもあるわけだ。洋食に比べてヘルシーだし、需要はあるだろう)
逆を言い換えれば国営レストランとして新規参入できるチャンスであり、儲けが出るということだ。




