1041:密偵(下)
ジェシーは機械部品などの工業製品などの情報をダミー企業のアジトに持っていく前に、3キロほど離れた別の工場の敷地に馬車を止めた上で、自分の仕業だとバレないように工作を行ったのである。
これは些細なミスによってアジトなどが摘発されないために行っている工作活動であり、使っていた人物の名前などを報告書に書き換えた上で、荷台の空になっている状況などを不審に思われないように『製品搬入作業予定 ピッツボローへの輸送予定』と書かれた銅プレートを付けたのである。
これは輸送業を中心に行われている作業予定を知らせるものであり、この時代では長距離輸送を担う者はプレートなどを掲げて行うことが多く、このピッツボローも正史におけるピッツバーグという元フランス植民地だった都市への輸送任務に宛がわれる車両であるという認識であった。
これにより、時間を稼げる上に自分が持ってきたものだと判明されないように痕跡を消していくのだ。
さらに、ジェシーはこの近くで対フランス協力者である馬車タクシーの運転手にコンタクトを取ってもらい、アジトの近くまで運んでもらうことになったのである。
「すみません……こんな夜遅くに……」
「いえ、むしろこっちとしても助かりますよ。最近家内が精神的な問題を抱えてしまってね……何かと物を投げつけてきて当たってくるんですよ。仕事の方で降格処分を食らってしまったことで不安定になってしまってね……だから、家にいたくはないんですわ」
「それは……」
「いえ、いいのです。独り言ですから気にしないでください」
運転手はそう言って乾いた笑い声を出しながら舗装されている道を馬車で走る。
この時、北米複合産業共同体のやり方に反発したり資金難に陥った影響で市民資格を降格させられそうになった人物に対して、フランスが支援をする見返りに工作活動に伴う協力関係を構築することに成功したのである。公式資料だけで140人以上の協力者を有しており、非公式のものを含めると500人以上いたのではないかと言われている。
主に協力関係を構築していたのは、企業国家において係長や課長クラスに任命されていたそこそこ権力がある人物が中心であり、サイラス・グリフィンのような比較的地位も高い人物は限られているものの、発覚された際のリスクを考慮して限定しており、逆に物流の流れを通じてどの場所にいるかを確かめるために物流関係や製造関係の職場に協力者を構築する事に専念したのである。
この関係構築を図ったのはデオンであり、元々グレートブリテン王国にいた際にスパイ行為をしていた時も、貴族関係者だけでなく物流などの会社関係者と付き合いを通じて内部情報を引き出すことに成功していた実績を持っていたからだ。
これにより、フランスが北米複合産業共同体側の内部情報を入手し、それを欧州協定機構内で共有することになっていたのである。
ジェシーが交易会社の近くでタクシーから降りて、運転手にチップも含めて多めに料金を支払い、追手がいないことを確認してから近くのバーに駆け込んだ。
このバーも企業所有のものであり、バーの店主も対仏協力者でもあるのだ。
幸い、店には誰も来ていなかった。
開店時間ではあるが、多くの客はまだ工場で働いている時間であり、戦争が始まってからは常に残業が付きまとっている状況でもあったために、残業した客を相手にしていることでバーの店主も暇を持て余していたところであった。
「店の奥を借りてもいいかしら?」
「ああ、5分までなら誰もいないから使ってもらっても構わないよ」
「ありがとう、すぐに終わるわ」
ジェシーはサッと着換えを済ませる。
非常時のためにこのバーにも替えの着換えを用意しているのだ。
その着替えが役立つときが来たのである。
着替えを行ってからバーの裏口から出て、目的である交易会社のアジトにたどり着いたのだ。
交易会社にたどり着いたジェシーは、現地の諜報の作戦指揮官に部品などの製造部品関係に関する資料を渡して、どのような状況になっているのかを報告したのである。
「私が交渉を終えた時に、偶然監査部が入ってきたため一時はどうなることかと思いましたが……今のところ必要な資料等に関しては何とか持ち運ぶことが出来ました」
「よくやった……それで何か重大なことは見つかったか?」
「やはり多くの製造関係の部品を新型艦艇向けに納入していることが判明しております。それも、普通の部品ではなく、新型艦艇に搭載する予定の外輪船に使われている推進装置としての機能を持った部品であることは間違いありません。それに、蒸気野砲に使われている大型蒸気機関に関してもこれまでよりも多く発注していることが判明しているのです」
「これは……やはり大型兵器に使われる部品を使って戦局を打開しようとしているのだな……」
「はい、あの工場群は主に蒸気機関に関係する部品を製造するために作られた企業の製造地帯ですからね……」
現在の北米複合産業共同体の軍事戦力の情報などを逐一まとめることとなった。
ニューヨークの工場群で製造されている製品の多くが軍隊向けに納品されている品々となっており、その多くがマスケット銃で使われている部品であったり、野戦砲や馬車の牽引に使われる金具だったりもするのだ。多くの軍事製品がこれらのニューヨークの工場群で生産されているのも、首都防衛のためであると同時に、来るべき北米複合産業共同体が南北アメリカ大陸を支配した暁にニューヨークへの一極集中を図るために工場群を10年がかりで建設したのである。
そのため、ジェシーが交易会社の社員として勤務している際にも、こうした軍需産業であったりニューヨークの工場群との取引を行うことが多くなっていたことも相まって、主要産業ともいえる製品の一大拠点となっている為に、ノーフォーク造船所で建造されている新型蒸気戦闘艦に関する情報なども必然的に挙がってくるのだ。
その新型艦艇に関する情報を入手していたジェシーは、輸送員に成りすました際に新型艦艇で使われている部品や蒸気機関に関する詳細な情報を入手し、アジトに持ち帰ったのである。
そして、ジェシーの持ち帰った情報によって、新型蒸気船の具体的な装備状況などが詳しく記載されることになり、うち新型の蒸気機関を内蔵した大型機帆船の建造が進んでいることも判明し、それも蒸気野砲などを艦艇用に改造して取り付けたものを戦闘艦に組み込むことで、フランス軍が主力にしているマイソールロケット砲を搭載したフリゲート艦よりも速力と射撃性能を強化した戦闘艦が急ピッチで進水式を迎えようとしていることも記載されていたのである。
『北米複合産業共同体は強力な新造艦を建造している』
この情報は逐一北米にいるフランスのスパイを経由して10日間かけてフランス軍の支配地域となっているフロリダに届けられ、さらにそこから2週間以上の日数を掛けてフランス本土に最重要情報として届けられたのであった。




