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1031:MOVE(下)

突拍子もなく、一人の参加者が笑い始めた。

それに釣られるように、次第に笑い声が大きくなっていった。

はじめは何か笑いのツボにでもハマったのかと思われていたが、やがて単に笑っている状態ではないことがすぐに周囲が察し始めた。

まず、彼らは身に着けていた服などを脱いだり、お互いに抱き合いながら爆笑してまるでお酒を飲み過ぎて酩酊状態になったかのような雰囲気だったのだ。


「ありゃ白蓮教の連中じゃねぇか……真っ昼間から何をやっているんだか……」

「大方、出された料理に酒が入っていたんじゃないのか?紹興酒でも入っていればあり得ない話じゃないだろうに」

「それにしても裸になって酩酊状態になるまで飲むなんてどうかしているわよ。あの人たちどんだけ飲んだのさ……」

「分からんが……殆どは貧困層の住民だ。慣れない酒でも飲んでおかしくなったんだろう」


周囲の人間からは昼間から飲酒をしたように見えて白眼視されていたが、やがて彼らが酒ではなく精神的に悟りを開こうと周囲の人間に絡みだしたり、鍋を食べた他の集団が錯乱した状態になり始めていくと、静観していた者達もこれは只事ではない事に気が付いた。

そして、恐ろしい事に……この時に上海では白蓮教の雇っていた警備隊の者達にも、錯乱した状態になっている者達と同じ鍋料理が振る舞われていたという点だ。


彼らは白蓮教の施設を警護したり、上海市内のパトロールに繰り出していた者達である。

彼らは清軍の残していった武器などを装備しており、その多くが槍や剣などの火薬を使わない前時代的なものが多かった。

治安維持という面でいえば、これだけでも良かったのだが、彼らが鍋の食事を摂ってから30分程度で症状が出始めた結果、多くの兵士が白蓮教を白眼視していた無関係の住民が反白蓮教の思想を言いふらしているように聞こえてしまったのだ。


「貴様ら!白蓮教の悪口を言っているのか!」

「と、とんでもない!そのような事は何も……」

「これは弥勒菩薩様への祈りの儀式であるッ!貴様らがその祈りを侮辱するのであればここで叩き斬る!」

「うわっ!何をするんですか!やめて、やめてください!」


一人の兵士が剣を抜いて腰を抜かした老婆に斬りかかった。

老婆は心臓を貫かれてその場で倒れてしまう。

それを見ていた他の兵士達や、トリップ状態にいた他の白蓮教の参加者たちも加勢して暴れ始めたのである。集団錯乱からの集団での襲撃に発展したのである。

白蓮教の教えを貶す者達など生きている価値などない。その共通認識が麻薬によって共有され、視界には白蓮教の信者や参加者以外が悪魔のように見えたのである。


「他にも悪魔がいるぞ……醜い顔をしているこいつらは邪教の徒だ。殺さねばなるまい」

「そうだとも、我々が弥勒菩薩様へのお導きを広めるためにここにいる。我々の成すべきことを今、行うのだ!」

「剣を抜け!槍を構えろ!邪教を排除するぞ!目の前にいる我々の服を着ていない者達を殺せ!」

「「「うおおおおおおおおお!!!!」」」


警備隊の兵士達は剣や槍を構えて、一斉に走り出した。

老婆の周囲にいた人間は何が起こったのかわからないまま、無差別に斬られたり槍で刺されたりして死んでしまった。

一人、また一人と殺されたことを認識した人々は、蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。


この時、白蓮教の警備隊と白蓮教徒や参加者は鍋に入れたマジックマッシュルームの影響で酩酊状態になって笑っていたり、泣いている状態であった。

所謂、トリップと呼ばれている幻覚や幻聴が聞こえている状態で襲い掛かるのだ。

自分で酔っている状態であればまだ救いはあった。


だが、彼らは幻覚や幻聴の中でもバッドと呼ばれている悪い方のスパイラルに入っていた。これによって自分への悪口や白蓮教への批判が聞こえるようになり、その原因が無関係の市民たちによって引き起こされているという妄想に狩られたのだ。

いや、妄想ではなく当人たちにはしっかりと聞こえていたのだ。

そして、弥勒菩薩への会合を果たして感激している参加者もいれば、兵士のように集団錯乱によって他人を殺傷するべく動きだすものが出てしまう。


「白蓮教を攻撃しようとする者達への報復を行う!目の前にいる反白蓮派の連中は敵である!殺せ!」


警備隊の隊長が大声で叫び、虐殺命令が下されたのである。

殺害命令の号令が下された瞬間に、その幻覚や幻聴は精神的な統一現象によって共通の敵を産み出した。「敵」として認定された市民は命乞いをする間もなく殺害されていく、それは老人であれ、女性であれ、子供であっても変わりない。

平等に殺していくのだ。

この惨劇に多くの住民が恐怖し、人々は我先にと逃げ出したのである。


「け、白蓮教の連中がおかしくなったぞ!」

「逃げろ!剣や槍で殺しにかかってくるぞ!」

「扉を施錠しろ!絶対に建物の中に入れさせるな!」

「頼む!扉を開けてくれ!白蓮教の兵士に殺されてしまうよ!」


逃げ出した住民を追いかけるように、幻覚と幻聴によって錯乱していた者達は微笑みを奏でながら殺害を続行していったのである。

数千人もの白蓮教徒たちは敵と見なした人物を追いかけて、刃物を振り回して殺戮の限りを尽くした。

殺しによって仏の悟りに近づけるという幻覚と幻聴が集団に伝播してしまったためである。


『殺せ、目の前にいる白蓮教に背く反徒を殺すのだ』


彼らの耳元には、常に囁いている仏教の念仏が、白蓮教の指示で行われいる殺害命令のように聞こえてしまっているため、ここで止まることはできない。

一度起動してしまった殺人への自制は、リミッター解除されている状態に等しい。

刃物と槍を使って大通りから路地裏に至るまで、上海の街でハイになって幻覚と幻覚によるトリップに陥った集団の虐殺劇はとどまることを知らないのだ。


「くそ!あいつらついにイカれてやがったか!」

「よだれを垂らしながら笑顔で人を殺してきているぞこいつら!」

「絶対にあいつらと目を遭わすな!窓や扉を閉めて絶対に建物に入れるんじゃないぞ!」

「邪教どもめ!扉を封じおった!見せしめも兼ねて火を放て!」


警備隊の兵士達は、建物に火を付けて中に逃げ込んだ住民が熱さと煙に耐えかねて逃げ出したところを包囲し、彼らを虐殺したのである。

トリップに陥った兵士達の目に映るのは、逃げ惑う非武装の住民ではなく、悪魔のような形相をして襲い掛かってくる清軍の姿に見えたのだ。


「ここに清の軍が紛れ込んでいたとは!弥勒菩薩様への許しを乞うてこい!」

「待ってくれ!俺たちは何も……」

「問題無用!」


北京より北の地に追い出した軍隊がここに紛れ込んでいたと知り、集団幻覚と幻聴によって彼らは虐殺を開始した。白蓮教徒たちはトリップに陥って幸福であったり、逆にバッドと呼ばれる現象に陥ってもなお、お経を読み上げることは出来た。

故に、彼らはお経を謳いながら市民を虐殺していったのである。

上海郊外の白蓮教の警備隊が駆けつけて静止させるまでの間、公式記録だけで3万人の市民が虐殺され、放火などによって燃えた建築物や文化財は2000棟を超えた。


この事件は『白蓮教徒錯乱事件』と名付けられ、白蓮教は事件を引き起こした警備隊隊長を罷免し、被害に遭った住民への補償を行ったものの、後に資金繰りの悪化によって支援が打ち切られた。

結果として、白蓮教への不信を強めた庶民たちによる反発の一因を作ったのであった。


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