1021:亡き弟の為に(下)
クリントン司令官にとって、ここは自分自身の運命を決める瀬戸際である。
防衛戦闘に失敗して後退すれば、間違いなく自身は更迭だけでは済まされず、戦闘に負けた責任を取らされて絞首刑になるのは確実であるからだ。
そんなはずはないと自分自身に言い聞かせているものの、それは単なる気休め程度にしかならない。
ダメだと分かっていても、彼はこの緊迫した状況を緩和するために自分自身の身体に阿片を服用して、気分を落ち着かせることしか出来なかったのである。
「クリントン司令官……部隊の配置転換が終わりましたが、いかがいたしましょうか?」
「あ、ああ……それなら大丈夫だ。相手は……あ、フランスだったか……射程の長い……マイソールロケット砲を打ち込んでくるはずだが、こちらは建物などに隠れて……しばらく……やり過ごせ…………」
「あの……お身体の調子は大丈夫ですか?」
「大丈夫だ……すこし、頭が痛くてな……指揮は取れる……だから、指示通りに動くように……」
「はっ……承知致しました」
クリントン司令官が発した命令は、基本的にこの世界において防衛側が主体となって行う遅滞戦術であり、建物などに隠れて敵部隊が通り過ぎた時に奇襲攻撃などを行う、防衛戦術であった。
ファースト・コーストはアメリカ大陸においてヨーロッパ諸国が最初に入植地として選ばれた場所でもあり、その影響でフランス系をルーツに持っている住民も少なからずいた。
彼らはこうした状況下においても、北米複合産業共同体の軍に属して賢明に職務を全うしようとしていた。
「それで、クリントン司令官は何と……?」
「建物などに隠れて敵が入り込んできた所を狙って奇襲攻撃……それから、敢えて奥まで侵攻させてから包囲攻撃を行うとのことだ……」
「それ、効果はあるのか?」
「分からねぇ……何と言っても、こっちより射程の長い兵器を向こうは実用化しているんだぜ?こっちが簡単に勝てるわけないだろ……司令官だってこの作戦が失敗すれば更迭と処刑間違いなしだ。俺たちだって一等市民から三等市民に格下げされるかもしれなんだぞ?」
「うわ……それ最悪じゃねぇか」
「三等市民なんて年中無休で働いているようなもんだぜ」
「折角軍の士官まで昇格したからここまでやってこれたのになぁ……」
士官として赴任した者は、殆どが例外なく一等市民の権利を享受することができたのである。
士官の多くが財界人の子息であるケースが多く、特に叩き上げの軍人の大部分が北米複合産業共同体では冷遇されていたのだ。
これは大半が北米連合軍が瓦解した際に、カリブ海戦争の責任を取って辞任したり終身刑などを受けてしまった高級軍人が多く、左遷された者も多くいるのだ。
代わりに台頭したのが北米複合産業共同体内における新興グループと言っても過言ではない。
政策集団である『能動派』と呼ばれたグループが強い権限を持っていたからだ。
彼らは成果主義と大量生産・大量配備を主軸にした企業国家の軍隊らしい事を述べて、それを造船所や武器工場において一日十五時間労働を目標に働かせるなどのブラック企業労働を強いていたのである。
これにより、主に三等市民と称されていた有色人種やノルマを達成できずに降格された人々が過重労働をさせられて過労死したり、精神的に滅入って逃亡や自殺を図るケースが後を絶たなかった。
おまけに、このような事態になっても彼らが北米複合産業共同体の主軸となる経済活動を支えていることに変わりなく、彼らが立ち止まってしまえば北米複合産業共同体の経済が滞り、経済破綻するのは目に見えていた。つまるところ……企業内における循環経済によって支えられた経済システムを採用しているものであり、悪く言えば自転車操業状態になっているのである。
「能動派の連中が武器や兵器をもっと寄越してくれればなぁ……」
「仕方ないさ。本丸がメキシコ方面だったからテキサスにも武器や兵器が向かっているだろうし、こっちは元々グレートブリテン王国軍や北米連合軍時代の武器で戦うように言ってきたじゃんか」
「それでも、アルテミスといった蒸気兵器があっただろ!四つ足兵器として活躍するんじゃなかったのかよ!」
「固定砲台としては使えると思っていたんだが……あれはもっと北側に配備されているからな……鹵獲されるのを恐れているんだろうな……」
「旧式の武器で戦えなんて無理な話だよ……全く……俺たちは貧乏くじ引かされたようなもんさ」
連合政府から北米複合産業共同体への企業国家への変貌を遂げた際に、当時の軍学校で学生だった者達が北米複合産業共同体への忠誠を誓い、それに伴って他国への戦争が起こった際に真っ先に向かう任務を与えられており、これにより次々と優秀な士官たちはいきなり実戦投入という形で向かわされていったのである。
成績優秀者を中心に対外派兵向けの戦力として確保された士官たちの多くが、戦場を知らないままメキシコ戦線に投入され、今現在地獄を味わっている真っ最中だ。
戦線を立て直したメキシコ軍と、スペイン本国軍とポルトガル軍の連携によって、次第にメキシコ派遣軍は追い詰められており、沿岸部からは既に離脱しかけている状態だ。
この戦争に備えて蓄えていたはずの輸送船に至っても、成果主義を最優先にした結果、多少の荒波でも取舵が破損するような粗悪品の船が量産される事態となっており、スペイン海軍やフランス海軍のフリゲート艦や戦列艦に撃沈される有様であった。
それに引き換え、能動派に属していた士官や学生の多くが安泰といえる本土防衛を任されており、これらの士官の大半はそこまで成績優秀というわけでもなく、落第点をお情けで免除してもらって士官になったような平凡ないしそれ以下の状態の兵士が多かったのである。
このような状態であっても、多くの一般兵などからしてみれば、頼れる存在が彼らしかいなかったのもまた事実である。
「強制徴募された避難民の連中は気の毒だな……」
「俺たちは正規軍人だから給与は出るけど、あいつらは逃亡者扱いだから出ないって話だぜ?」
「それから少しでも後退することは士官からの命令以外は逃亡兵として処刑するみたいだし、今朝は逃げ出そうとした複数の兵士が殺されたらしい」
「怖いねぇ……それで、俺たちはこの戦いに勝てるのか?」
「ふふっ、ここで隣の州まで逃げたら銃殺刑だ。嫌でも戦うしかないのさ」
「はぁーっ……やっていけねぇなそりゃ……」
「全くだ。フランス軍の捕虜になったほうがマシだな……」
それでいて、北米複合産業共同体側の士気もあまりよろしくない。
このような状態で北米複合産業共同体の軍隊が満足に戦えるわけないのだ。
彼らはすりつぶされる。
これは摂理であり、覚悟のある者とそうでない者の差が示す指標となるのだ。
まるでハリケーンが通り過ぎるのを待つかのように、欧州協定機構軍の総攻撃まで、彼らの大部分はじっと待ち構えている事しか出来なかったのである。




