1010:フロリダ防衛線(上)
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1796年5月12日
北米複合産業共同体 フロリダ州 カウフォード
フロリダ州に位置するこの場所は、現代ではジャクソンビルと呼ばれているが、ここではカウフォードという名称が使われていた。新大陸動乱時にスペイン側がどさくさに紛れて占領を試みようとした事があるものの、カウフォード側の住民による徹底抗戦が起こった為、スペイン側は占領を諦めたという話が残されている。
カウフォードの住民にとって、フランスを中心とした欧州協定機構軍が侵攻してくるのはある程度予測はしていた。メキシコに遠征を行っている北米複合産業共同体の警備軍は、名称こそ警備が付いているが、その実態は北米連合時代の軍隊を近代化させたものであり、実質的に企業の私兵集団であることに変わりない存在でもあったのだ。
カウフォードの守備を任されている第9南部警備隊は、限りある人員と装備だけで対抗するべく、司令部は慌てふためきながら指示を出していた。
「守備隊の報告はまだなのか?!」
「報告します!セント・ジョンズ川上流にある守備隊の検問所が突破されました!奴ら蒸気野砲でこちらを砲撃してきています!」
「沿岸部に展開している欧州協定機構軍への攻撃を海軍が実行しましたが、こちらの戦列艦や砲艦は多大なダメージを受けているとのことです!戦列艦3隻が沈没し、砲艦も2隻が大破……それから、随伴していたフリゲート艦も半数が撃沈や鹵獲されたとのことです!」
「これは……かなりマズい事態だな……」
司令部に缶詰の状態で戦況見取り図と睨めっこをしているのは、ジェイムズ・クリントンであった。
彼は北米連合として独立後に、陸軍司令部の一員として関わっていたが、カリブ海戦争時の敗戦の責任を問われて降格処分となっていたものの、北米連合軍の中では比較的穏健派とされていたため、北米複合産業共同体になってからは地位も准将として南部の警備隊司令官を任されたのだ。
(まさかここまで一気にやってくるとはな……南端の部分は既に欧州協定機構軍が占領済みとはいえ、進軍速度が我々の想定を大きく超えているではないか!)
当初はそこまで大きな役割を背負わされたわけではなかったため、クリントンとしても警備隊には治安維持のための夜間巡回であったり、地域の民衆のためにパトロールや訓練などを励むように指示を出し、北米複合産業共同体で苛烈を極めていた軍人同士での出世戦争に参加せず、彼自身は出世などよりも平穏な生活を望んでいた為に、周囲からは「無欲な司令官」として知られていた。
北米複合産業共同体がメキシコへの軍遠征を実施した際には、当初は難色を示したものの、長期戦にならない限りは北米複合産業共同体の敗北は無いと考えていた。
これは、メキシコ国内において政治腐敗や軍上層部への信頼が低下している旨の報告を受け取っており、指揮が低いことを挙げていたのである。
事実、メキシコ軍は北米複合産業共同体の侵略において、部隊の間で裏切りが続出したり、白人の支配層に不満を抱いていた現地民などが北米複合産業共同体に協力的な姿勢を見せていたために、侵略戦争も半年以内で解決すると見込んでいたのである。
だが、そうはならなかった。
メキシコの保守的で価値観の古い守旧派と呼ばれていた政治家や軍人たちがクーデターによって次々と失脚に追いやられていたのである。
代わりに、新しくリーダーになったのはメキシコ独立派の人物であり、彼が身分差別の撤廃と白人種以外の人種に対しても市民権を与えたことで状況は一変したのである。
メキシコ政府内での綱紀粛正が執り行われており、その過程において汚職政治家や軍人などが一掃され、代わりに現地民や混血民なども合わさった新しい政治体制へと移行したのである。
これにより、メキシコの自治と独立が保証された上で、メキシコ領内に進軍していた北米複合産業共同体への反撃が開始されたのである。
反撃の狼煙があがり、それまで快進撃を続けていた北米複合産業共同体も、フランスを中心とした欧州協定機構軍がメキシコ軍の援軍として投入されると、戦況は膠着状態となり進軍速度も大幅に低下していった。
これに加えて、かねてより対北米複合産業共同体への軍事侵攻作戦の計画案であったフランス主導のゴールド計画に則り、行動を開始。
末端の炊事兵なども含めて延べ三十万人を超える兵力を輸送し、アメリカ南部沿岸地域の中でも港湾部を占領したのである。
カウフォードでは今、北米複合産業共同体の守備隊と欧州協定機構軍との戦闘によって状況は悪化の一途をたどっている最中だ。
欧州協定機構軍はフランスを中心とした軍隊が南部州を中心に上陸し、主要都市を5月7日までに占領したのである。これはシャルルマーニュ級フリゲート艦に搭載されていた対地攻撃用の重マイソールロケット砲の一斉発射によって、沿岸部の要塞であったり港湾の海軍施設などが薙ぎ払われたためである。
「欧州協定機構軍による海上砲撃によって、沿岸部の主要な防衛拠点は焼き払われました……特に、ミシシッピのメキシコ遠征軍への物資貯蔵庫なども手ひどくやられているとのことです。我々の戦力だけではこれらの地域への援軍も不可能です……」
「それはそうだ……ここにいる戦力は基本的に地域防衛用として招集された兵士達だけだ。遠征用の軍隊ではなく、装備なども独立戦争時に活用していた旧式の銃火器や火砲しかない……辛うじて、蒸気野砲なども複数もっていたが、欧州協定機構軍のマイソールロケット砲のほうが射程が長く使いやすいのだろう?」
「広範囲に砲弾をばら撒くように出来ておりますからね……それに、海上からの砲撃で使われたマイソールロケット砲は、こちらの蒸気野砲よりも射程が長く、威力が大きいという報告を受けております」
「このまま持ちこたえたとしても、いつまで持つか……」
プロイセン王国との戦いの直前に技術供与を受けて生産・配備していた蒸気野砲も反撃を行ったが、欧州協定機構軍に対しての損害は限定的であった。
それに加えて、マイソールロケット砲による砲撃は幾度となく行われており、この時代に主流であった砲艦よりも、連射性に優れた制圧用のフリゲート艦を竣工させていた事も、北米複合産業共同体の沿岸部に設置してあった軍事目標を効率よく攻撃するのに役立ったのである。
クリントンとしては、すでにこの戦は負けであると認識をしている。
メキシコ遠征軍は停滞している上に、沿岸部から欧州協定機構軍が逆侵攻を仕掛けてきている状況において、このまま戦えば十中八九負けるのは目に見えているからだ。
(やはり、一定の戦果を挙げねば撤退は許可できんか……何とも嫌な事か……)
しかし、司令部から撤退命令が出されていない状態での撤退は規則違反と見なされて死刑の対象となっていた。この状況で戦うのであれば、撤退ではなく転戦という形で戦わなければならない。
マイソールロケット砲による攻撃が行われるよりも前に、すでに上陸して橋頭堡を築いている欧州協定機構軍への奇襲攻撃を敢行するしかないのである。