第六話 昆布の魅力を存分に伝えたい回
「つ、ツユマル様!? 何を?」
「わ、わからないんです。勝手に左手が昆布を出して、止まらないんです!」
じゅるぶちゅじゅるじゅるじゅると、とんでもない音を出しながら昆布が左手から出続けている。
なにやらぬめりも普段より多い気がする。
汚れた海にどんどんどんどん昆布を出し続けていくという訳の分からない状態、いくら止まれと思っても止まってくれない。
【出汁をとれ!】
「うるさいよ! 取ろうにもこんな状態でとれるわけないだろ馬鹿か!」
【…………】
「つ、ツユマル様!?」
「あ、いや、ライトさんに言ったわけでは……」
ようやく無駄に騒いでいた謎の声は黙らせたが、昆布は止まらない。
しかし、しばらくすると周囲の変化に気がつく。
「……なんだか、匂いが薄まりました?」
「た、確かに!」
目をつく匂いが薄くなっている。マントで口を抑えなくてもそこまで刺激もない。
とりあえず昆布は出続けるのであきらめて楽な体勢になる。
海に向かって手をかざしてそれを必死に止めようとするオッサンの図から、突っ立って左手から昆布が出ているオッサンに変化した。
「もしかしたら昆布のぬめりに含まれているアルギン酸やフコダインなどの水溶性食物繊維による吸着作用によって周囲の異臭が治まっているのかもしれません」
「た、確かに海も泡が減っているような……」
「海は昆布にとって母のような物、この惨劇をみてどうにかしたいと思ったのかもしれませんね」
「……素晴らしい家族愛ですね」
「ええ……」
なんかわかったようなわからないような、とりあえず。昆布の放出が終わるまでその場からは離れられない。
しばらく待っても一向に放出が終わらないので、ライトさんが椅子とお茶と簡単な軽食を持ってきてくれた。お腹が盛大になってしまって気を使わせてしまった。
「ありがとうございます。鰹節と昆布以外の食事は久しぶりです」
「すっかり匂いが落ち着きましたね。ツユマル様のお力は凄まじいですね」
ライトさんも離れるわけにいかないので色々と手を回してくれていた。
海に近づく人はほとんどいないんだけど、念のために見張りと侵入を禁止してくれている。
目の前で紅茶を飲んでいるイケメンは本当に仕事が出来る。イカスね。
軽食は少し硬いパンと豚肉に似た味わいの干し肉と野菜のスープだそうだ。
良く噛むと豊かな小麦の風味を感じることが出来て、悪くない。
ライトさんに勧められてスープにつけると、うん、これは美味しい。
少し硬いパンがスープを吸って柔らかくなり、たぶん塩豚から出た優しい塩っ気と野菜の優しい出汁がマッチしている。ふむふむ、この世界は洋風の調理形態なんだな。
野菜を鶏肉と煮込んだブイヨンとかそういう考え方なんだろう。
「あー、料理考えてたら出汁取りたくなったなぁ……」
一応毎日の日課だったから、どうにも落ち着かない。
どうやら国が支援してくれるらしいから、落ち着いたらこっちでも蕎麦屋でも始めようかな。
あ、醤油とか作らないといけないか……
左手からは未だに元気に昆布が飛び出しながら、ぼーっとそんなことを考えたりして時間を潰した。
「なんか、すみませんライトさんに付き合ってもらって」
「いえ、サーナ様からお世話を申しつけられておりますので、お気になさらずに。
個人的にはこんなに美しい海を見ることが出来てとても嬉しいです」
「そうですねぇ、だいぶ綺麗になってきましたね~」
もうどれだけの量が海に飲み込まれていったんだろう?
いまだにじゅばじゅばと飛び出してくる。別に俺自身は平気だけど、これ、ほんとどうなってるの……?
昆布の優れた吸着能力によって悪臭スライムはみるみる浄化されていっている。
すでに港の範囲のスライムは駆除されている。
遠くの方も段々とスライムの色が薄くなっている。
近場は透き通った青い海を取り戻している。
海の底まで見える。もともとはとても美しい海だったんだろう。
「そういえば、魔王はなぜ海を汚すんですか?」
「一部の学者は魔物を倒すと塩に変ることから、何らかの方法で海から魔物を作っているのではないか?
と言われています。その過程でアレが海に排出されているのではということらしいです」
「もしかして今の海、しょっぱくないのかな?」
恐る恐る海水を指につけて舐めてみる。綺麗だから大丈夫なはず。
結果は……
「しょっぱい……ちゃんと塩水ですね」
「ツユマル様、大丈夫ですか?」
「どうやら綺麗に浄化されていますね。昆布の出汁も出てはいないみたいですね」
海底では今も昆布がにゅるにゅると広がっていく様が見えている。
母なる海が美しくなって、心なしか昆布も嬉しそうに漂っている。
「……それにしても、いつまでこうしていればいいんだろう……」
「万が一に備えて、ここで野営準備もしたほうがいいかもしれませんね……」
「確かに……まさか海全部を浄化するまで出したりしませんよね……」
左手に話しかける。
ピタっ。一瞬昆布の排出が止まって、昆布の排出が緩やかになったり早くなったりしてる。
悩んでいるんだな。
「とりあえず綺麗になったし、海の中で増えればいいんじゃない?
それくらいは出たでしょ?」
自分の左手に話しかけるおっさんの図。
肘から先は昆布の粘液でベッタベタだ。肌はつやっつやになっている。
するり。
昆布が自然と抜けてようやく排出が止まってくれた。
「わかってくれたみたいです」
「なんというか、ツユマル様のスキルは変わってますね……」
「自分でもよくわかってないんですけどね……」
ライトさんからタオルを借りてベタベタの腕を拭く。
おお、なにやら肌が若返ったような気がする。
流石昆布、美容効果も素晴らしい。
「ツユマル様、昆布の様子が……」
ライトさんが海を覗き込んで驚いている。
俺ものぞき込むとものすごい長さだった昆布が自力で細かく分かれて海底にもぞもぞと潜り込んで自生し始めた。
「動けるのか……凄いな昆布……」
こうして港近くの海は浄化され、一面昆布が生い茂ることになった。
この世界の海が浄化されていく始まりの地になることを、この頃の俺は知らなかった……
とにかく、ようやく俺は自由を手に入れた。
この頃には謎の声のことなどすっかりと忘れているのであった。