天女様が地上に降りてきた。俺はどうしたら?
俺が天女様ー珠嬉と出会ったのはもう三年も前の話だった……。
珠嬉が地上に降りてきたのは俺ん家にある白桃の木が目当てだった。後で聞いたら主の璋善様、天帝の后妃様の所望で白桃の実を取りに来たらしい。その時に母さんがいちゃもんをつけた。
まあ、うちの母さんは天帝様からバチを当てても仕方ないと思う。実際、白桃の木は取り上げられた。半年後に母さんはあの世へ逝ってしまう。俺は母さんを弔い、一人で暮らす決意をしたが。
そんな折に俺の前に長い黒髪を一つに束ねた背の高い男が現れた。顔立ちは俺に似た大層な美男だ。そいつは淡い萌黄色の衣を着ていて下には革製の長靴を履いていた。男は俺を見つけるなり近づいてきた。
にやりと笑いながらこう言った。
「よう。元気にしてたか。バカ息子」
外見を裏切る低いからかう声に俺は喧嘩を売ってんのかと腹が立った。が、天女様の時を思い出す。こいつも天界関連の奴かもしれないと。
「…バカ息子って何だ。初対面のあんたに言われる筋合いはないはずだが」
「おや。忘れたのか。私はお前の父だ。先代の天帝といえばわかるだろう」
俺は珠嬉に言った事を瞬時に思い出した。
「えっ。あんたが俺の父親?」
「そうだ。お前の母ー永安に会いに来たんだがな。一足遅かったようだ。私がやった白桃もないみたいだが」
「あれだったら。珠嬉、今の天帝の后妃様の女官が持っていった。天界にな」
簡単に言うと先代の天帝こと父は黙りこんでしまう。
「そうか。当代の天帝の仕業か。あやつ、やりおるな」
「あの?」
俺がきくと先代の天帝は笑みを消した。
「確か爽茗だったかな。お前に力を貸してやる」
「いきなり何だよ。力を貸すって」
「お前は私の息子で当代の天帝の弟だ。あやつは正妃しか愛さない。子もおらぬからな。だからお前が天界に行って跡継ぎになればいい。天女の一人でも嫁にできれば、当代の天帝も動くだろう」
「…天女の一人でも嫁にか。俺、一人だったら心当たりがあるぞ」
「誰だ。言ってみろ」
先代の天帝が促してきた。俺は彼女の事を思い浮かべながら答える。
「珠嬉だ。俺ん家の白桃の木を引っこ抜きにきた天女様だよ。彼女だったら嫁にしてもいいと思ってる」
「ほう。そうか。ならば、決まりだな。天界の門を開く事のできる天帝に代々伝わる宝玉がある。それを八つ集めろ。そうすれば、珠嬉の元へも行ける」
先代の天帝はそう言って懐を探り出した。取り出したのは首飾りだ。七色に光る宝玉が銀の鎖に繋がっている。
「これを授けよう。宝玉の在処を教えてくれる。爽茗、宝玉を手に入れたら私はもう一度お前の元に来るからな。天界は私の案内があれば大丈夫だ」
「わかった。ありがとう。明日になったら宝玉を探すから。荷造りがあるしな」
「礼はいらぬ。天帝は本当に愛した妃でないと跡継ぎは生まれぬのだ。私の正妃がそうだった。永安は本当に好きになった人でな。だから天帝になれる資格を持つのは爽茗だけだ」
先代の天帝はそう言って俺の肩に手を置いた。健闘を祈ると告げて姿を消した。
翌日、俺は天帝に伝わるという宝玉を探すために母さんと長年暮らした村を出た。家はそのままに着替えと数日分の食糧、雨よけの油紙、護身用の剣などを麻袋に入れて出発する。
村を出てしばらくは黙々と歩き続けた。一つ目の宝玉はどこにあるのか。それを考えてから首飾りを胸元から取り出した。
うんともすんとも言わない。まあ、最初からそう上手くいくはずもないか。ふうと息を吐いてまた歩き出した。
あれから、一月が経った。三つくらいは宝玉が集まっている。
宝玉は黄色に白、黒と色鮮やかだ。それを糸で連ねて首飾りと一緒に身につけていた。
側には天帝の使いという龍がいる。黄金色の瞳と鱗は美しいが。人でいうと男でなかなかに口うるさい奴だ。
「…爽茗殿。三つ集まったからといって気を抜かぬように。それは天帝様のお力が宿っております」
「わかってるよ。珠喜に会うためだ。気は抜かねえよ」
「だったら良いのですが。天女に恋するとは。女子を見る目がないといいますか」
「うるせえ。あんたに言われる筋合いはない。どこが女子を見る目がないだよ。珠喜だって十分美人だったぞ」
「美人だからといって騙されてはいけません。珠喜殿もああ見えて気が強いですぞ。それにあなたよりも年上ですし」
龍こと翔英は余計な一言を口にした。俺は道を歩きながらも小声で言い返した。
「それより。翔英。天帝は本当に愛した妃ー女性との子供でないと跡を継げないと聞いたぞ。今の天帝様はどうなんだ?」
「……ふむ。先代から聞きましたか。確かにそうです。正確に言うと愛した女性でなくても跡は継げます。ただ、その方が天帝になり愛する女性が現れても。子はできません。血筋を残す事は許されないのです」
「それ本当か?だったら今の天帝様に子供がいないのは」
「先ほど言った事が原因です。当代の天帝様は正妃であられた女性のお子様でした。先代は爽茗殿を天帝にしたいと望まれましたが。周囲が反対しました。永安殿も正妃様に命を狙われて。行方をくらましてしまった。そして結局、当代にはお子が生まれずに現状に至っています」
翔英はそう言うと口を噤んだ。
俺はあまりの事に眉をしかめた。まさか、母さんが父さんの本妻さんに命を狙われていたとは。だから、人目を避けて暮らしていたわけだ。
俺は確か今年で五十を過ぎていたはずだが。白髪は出ず顔にしわもできない。二十四か五くらいの外見のままで年を取らずにいる。
ため息を吐いて翔英と再び歩き出した。
半年が経ち、全ての宝玉を取得した。天界の門といえる場所に来た。門番らしき巨大な鳥が待ち構えていた。全体的に赤い鳥で尾羽は色とりどりで派手だ。
青や黄色など五色はある。そいつは炎を纏っていて目も真っ赤だ。ぎろりとこちらを睨み付けている。翔英が鳥を一瞥すると高い声で鳴いた。
途端に空が暗雲に覆われた。ぴかっと雷が鳴る。
「爽茗殿。私が奴と戦いますからその間に宝玉を門にある穴に嵌め込んでいってください。雨を降らせます故、急いで!」
「わかった。感謝する!」
「ええ」
翔英が頷くのを見てから俺は門に近づいた。よく目を凝らすと門の両側に丸い形の穴を見つける。全部で八つあり俺は胸元から急いでそれを取り出す。
色はどれからでも良いと翔英は言っていた。俺は赤い宝玉から外して穴に嵌め込んでいく。黄色や緑などを一つずつしていった。が、ピシャンと雷が鳴り雨がしとどに降る中では八つも嵌め込むのは意外に重労働だ。
鳥がきぇと高く咆哮する。翔英はそいつに巻き付き、牙を剥き出しにしていた。それを見てから再び宝玉を嵌め込む作業に集中する。「よし。後一つだ!」
最後の白の宝玉を嵌め込んだ。宝玉が八色の光を放ちながら門を輝かせた。
ぎぃっと鈍い音を鳴らせながら門がゆっくりと開く。翔英はそれに気づいたらしく巻き付いていた鳥を離す。こちらに飛んできた。
「門が開きましたね。先代がお待ちかねです」
その言葉と共に門の向こう側から人影がやってくる。八色の光がやむと佇んでいたのは萌黄色の上衣に革製の長靴の先代の天帝だった。
「……よくやった。宝玉を見つけ出したんだな。珠嬉殿がいる天界は後もう少しだ。わたしが案内するから付いて来なさい」
「え。翔英は来ないのか?」
「私の事はお構い無く。爽茗殿は珠嬉殿に早く会いたいでしょう。お行きなさい」
俺は今まで一緒に旅した翔英にここで別れる事が受け入れ難かった。それでも何か言いたくて口を開く。
「翔英。その今までありがとな!俺と別れても元気でいろよ!」
「礼はいりません。けどこちらこそありがとうございました。楽しかったですよ。あなたと旅した日々は。爽茗殿もお元気で」
翔英に別れを告げて俺は踵を返した。父さん、先代の天帝と一緒に天界を目指したのだった。
天界に行くためにはいくつもの峠や坂、山を越えなければならなかった。険しい道だが珠嬉に会えると思うと苦にはならない。彼女の美しい濃い藍色の瞳を思い出すだけで力が湧いてくるようだ。
「お前は私に似ているな。まさか、天女に恋して天界に行こうとするとは」
「父さん。あんたとは状況が違うけどな」
「くくっ。相手が人間と天女という違いがあるくらいだ。私にとっては大差ない」
俺はこれ以上の反論は諦めた。保存食の乾飯を水でふやかして椀に入れて食べている。干し魚をおかずにして手早く食べた。立ち上がり椀を近くの泉につけて軽く洗い、布で水気を拭う。麻袋にしまってから立ち上がり父さんに行こうと促した。
また、天界の天帝の宮を目指したのだった。
あれから、何日経っただろう。多分、半月は過ぎたか。
とうとう、天界の天帝の宮にたどり着いた。女官が父さんを見てすぐに中に通してくれる。女官長だという女性が応対に出てきた。
「まあ。先代の宋君様ではないですか。お隣にいるのはどなたです?」
「私が人の女人に生ませた息子だ。名を爽茗という」
父さんが言うと女官長は驚きのあまり絶句した。
「……な。こちらが永安様のお生みになった公子様ですか。大きくなられましたね」
「そうだろう。爽茗、こちらは女官長で当代の天帝の乳母だった峰雲だ。挨拶をしなさい」
父さんに促されて俺は躍拝の姿勢を取り挨拶した。
「初めてお目にかかります。俺はこちらの宋君様の息子で李爽茗と申します」
「そんなに畏まらないでくださいませ。あなたは天帝の血を受け継ぐ方。しかも宋君様の愛された女人のお子様です。まさか、地上におられたとは思いませんでした」
峰雲さんは目に涙を浮かべながら俺に笑いかけた。その笑顔は優しいもので俺はじんわりと暖かなものに胸中は満たされる。
「峰雲さん。俺のことを嫌いではないんですね。てっきり母さんは憎まれていると思っていました」
「わたくしは爽茗様を嫌ってなどいません。永安様の事は残念でしたね」
「ああ。母さんは半年前に亡くなった。俺もどうしようかと思ってたんだが」
「そうでしたか。積もる話もありますけど。今は休まれませ。客室へご案内します」
峰雲さんはそう言って俺を案内しようとする。黙って付いて行った。
客室にて湯浴みをすませて俺は夕食をごちそうになった。明日になったら兄の天帝と后妃様に挨拶しようと決めている。夕食は鶏のだしが効いたお粥にネギと鶏肉の団子のお汁、水餃子だった。
かなり豪華だ。それを堪能した後で手触りも滑らかな夜着に着替えて寝台にて眠りにつく。すぐに眠気はやってきて深い眠りに入った。
翌朝、身支度をしてから天帝と后妃様に挨拶をした。
「ようこそ。天界へ。そなたが爽茗か?」
「はい。お初にお目にかかります。李爽茗と申します」
「ふむ。やはり父上によく似ているな。私よりもそなたは王気を持っている」
天帝はそう言い、玉座から立ち上がる。俺に歩み寄るとこう告げた。
「そなたは珠嬉に会いに来たのであろう。早く行くといい。あちらも待ちかねているだろうからな」
「いいんですか?」
俺が問いかけると天帝の代わりに后妃様が答えた。
「いいんですよ。珠嬉もあなたを忘れられないようですから。お行きなさい」
「……ありがとうございます」
お礼を言って俺は天帝と后妃様のいる謁見の間を飛び出した。珠嬉を探しに行ったのだった。
牡丹の花が咲き乱れる中、俺は珠嬉を探す。黒い艶やかな髪、濃い藍色の美しい瞳の天女ー女官が俺を見て呆然としていた。
見つけた!
俺は逸る気を抑えて彼女に近づいた。
「よう。珠嬉さん」
「なっ。爽茗さん?!」
俺が声をかけると珠嬉はすっとんきょうな声をあげた。距離を詰める。俺は面白いと笑いながら言う。
「あんたが忘れられなくて。父さんの力を借りて天界に来たんだ」
そう告げて珠嬉を抱き締めた。ほろほろと珠嬉は濃い藍色の瞳から涙を流す。
「泣くなよ。あんたが泣いたら俺まで悲しくなる」
「違うわ。嬉しくて泣いてるの」
「そっか。俺も嬉しいよ。やっとあんたに会えた」
万感の思いを込めて言えば、珠嬉は俺の背中に腕を回した。しばらくは感動の再会で抱き合っていたのだった。
その後、俺は兄から公子と認められて珠嬉を公子妃に迎える事ができた。兄には子はいなかったので俺が皇太子になる。そうして兄から天帝の座を譲り受けた。長きに渡り、天界を統べる事になったー。
終わり