86.シア
翌日、再び3人で少女の部屋を訪れた。
入り口に控える騎士に会釈し、部屋の中に入る。
部屋の中には昨晩と変わらない様子で眠る少女の姿があった。
「……ん」
「ごめん、起こしちゃったかな?」
ゆっくりと瞼を開けた少女と目があった。
「いえ、大丈夫です。
あの、ここは?」
「覚えてないかな?
ここは俺が今お世話になっているランドン伯爵のお屋敷だよ。
昨日君を連れ出した後、保護してもらえることになったんだ」
「お、お貴族様のお屋敷!?」
寝ぼけ半分だった意識が覚醒してきたのか、高品質のふわふわなベッドに横になっている自分の姿を認識し、顔を青ざめながら飛び起きた。
「すみません、お貴族様のベッドで寝てしまうなんて……」
「よいよい、気にするな。
これまで大変だったのであろう?
ここは私の家の屋敷だ、今はゆっくり休むがいい」
フロスティはベッドから出ようとする少女を押さえた。
「目が覚めたのならご飯にしよう。
どうだ、何か食べられそうか?」
「……えっと、はい」
少女は躊躇いがちに答えた。
「よし、では何か体に優しいものを用意しよう」
フロスティは少女に微笑みかけるとメイドを呼び、少女の食事を用意して運んでくるよう伝えた。
その様子を見ていた少女が再び顔を青くしていたので、そのうち慣れるよと心の中でエールを贈る。
少しすると、しっかり煮込まれて具材が柔らかくなったスープが運ばれてきた。
いつ少女の目が覚めてもいいようにあらかじめ用意してあったのだろう。
優秀な人達だ。
「無理しなくていいからゆっくり食べな」
少女は躊躇いがちにスプーンを口に運ぶが、一口食べて目を見開いたかと思うと、そこからの食べっぷりは圧巻だった。
あっという間に器に注がれた分を完食すると、フロスティに促されるがままにおかわりを続け、ものの数分で鍋の中が空になってしまった。
それなりに大きな鍋だったのだが、いったいこの小さな体のどこに入ったのだろうか。
少女の思わぬ健啖家ぶりに驚きはしたが、それ以上の出来事があった。
スープを食べる前は頬は痩け、骨が浮き出て、肌の質も悪く、正直見ているのも痛ましかった。
だが、スープを完食する頃には身体中にほどよく肉がつき、肌も若者らしい張りのあるものになっていた。
くすんでいた髪も艶が出てさらさらとした金髪になっている。
そして蛇足ではあるが、美少女だった。
蛇足ではあるが重要なのでもう一度言おう、美少女だったのだ!
あまりの変貌ぶりに3人は言葉を失っていた。
「……ふぅ。
こんなに美味しいものを食べたのは初めてです。
ありがとうございました」
「く、口に合ったみたいで良かった。
……それにしても話は聞いていたが、凄い効果だな。
この短時間でここまで変わるともはや別人だな。
目の前で見ていなければ、同一人物だと言われてもわからなかっただろう」
「本当ね。
ケントの回復魔法も凄いと思っていたけど、自分にしか効果がないとはいえ同等の雰囲気を感じるわ」
「……あ、あの」
少女は皆に見つめられて少し居心地が悪そうだった。
「ああ、ごめんね。
そういえばまだちゃんと自己紹介もしていなかったよね。
俺はケント。
で彼女はミランダ。
2人で冒険者をやっているんだ。
最後にフロスティ。
彼女はこの屋敷の所有者であるランドン伯爵家の息女で、以前依頼で知り合ってからの縁なんだ」
「「よろしく」」
「それで良ければ君の名前を聞いてもいいかな」
既に鑑定をしているので名前は把握しているのだが、自己紹介は互いの理解を深めあうための第一歩だ。
必要なことだろう。
「はい。
私はケント様の奴隷のシアです。
よろしくお願いします」
シアの発言にその場が凍った。
ギギギッと音が聞こえそうな動きでミランダとフロスティが笑顔をこちらに向ける。
その表情は先程まで浮かべていた優しい笑みではなく、どこかひきつった笑いだった。
「どういうことかしら?」
「どういうことなんだ?」
2人の声が重なる。
口元は笑っているのに、目が笑っていない。
ケントの背中を嫌な汗が伝った。
「ちょ、ちょっと待って!
俺の奴隷ってどういうこと?」
状況が飲み込めず、突然雰囲気が変わった2人に対しておろおろしているシアに尋ねる。
「わ、私達は奴隷として売られる前にご主人様から命令を受けます。
目を覚ました時、最初に見た人物の命令を聞くようにと」
「……なるほど。
そうやって奴隷への命令権を分け与えているのね。
つまり、あなたが最初に見たのがケントだったということかしら?」
「はい。
ですからケント様は私の新しいご主人様となります」
牢に放り出されていたシアが、意識を取り戻して初めに顔を会わせたのは確かにケントなので筋は通っている。
だがいきなりシアのご主人様だと言われても反応に困る。
ケントも多感な男子であるので、シアみたいな可愛い女の子にかしずかれて嬉しくないわけではない。
妄想だけなら幾度となくしたことがある。
しかしそれが現実となった場合、ケントには荷が重すぎる。
今のケントとシアの関係は、ご主人様と奴隷だ。
奴隷はご主人様の命令に決して逆らうことができない。
シアはケントに逆らうことができない。
シアの人生はケントの意のままだ。
つまりケントはシアの人生に責任を持つ存在となる。
自分の人生ですらつまらないことで苦悩しているというのに、もう一人分の人生をまるまる全て背負うなんて無理だ。
せめて無心的に従うのではなく、好意から慕ってくれるような関係なら妥協もできるが。
ケントの言葉にただただ従うのではなく、ときには否定したり己の意見を言ってくれるような関係なら。
だがしかし、シアが奴隷である以上それは理想でしかない。
「俺は君のご主人様には成れないよ」
「!
しかし、ケント様の命令を聞くようにと命令を承けているので」
「そうなんだけどね。
俺はご主人様とか柄じゃないから。
フロスティ、奴隷から解放するにはもう一度刻印を刻めば良いんだよね?」
「そうだ。
ただ刻印を消すには刻んだものと同じ『隷属の刻印』、つまりシアを奴隷にする際に使用されたものを見つけ出さなくてはならない。
王国の所有する『隷属の刻印』を使用してもシアを解放することはできないだろう」
ランドン伯爵が捜索してくれるとは思うが、いつになるのかはわからない。
ひょっとしたら以前にあったという違法奴隷騒動の際と同様に、『隷属の刻印』を発見することができないかもしれない。
そうなると、シアを奴隷から解放するのがいつになるかわからなくなってしまう。
その場合はマラミンス侯爵のような人間ではなく、信頼できる人に命令権を譲渡するか、ケントが覚悟を決めてご主人様の座を受け入れるかだ。
あまり考えたくはないが、国の不祥事の生き証人であるシアの存在を闇に葬らなくてはならないと判断される可能性も否定できない。
ランドン伯爵が早急に『隷属の刻印』を見つけてくれる事が理想ではあるが。
……1つ試してみたいことがある。
「シア、刻印を見せてもらってもいい?」
「?わかりました」
シアは疑問に思いながらも服の首元を下に引っ張り、胸元にある刻印を見せてくれた。
シアは初めに着ていたボロボロの貫頭衣ではなく、伯爵家の使用人が用意した庶民が着るような普段着姿だ。
長年奴隷として過ごしてきたためか、男のケントがいるにも関わらず、胸元を見せることに一切の躊躇いが見られない。
回復して美少女となったシアが胸元を見せる姿はそそるものがあるが、それ以上にシアくらいの年齢の少女なら持っていて然るべき羞恥心が欠けているという事実が痛ましい。
「ちょっとごめんね」
ケントはシアに刻まれた刻印に手をかざした。





