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83.温もり

少し重めです。

 兄が死んでからどれくらいの時間が経ったのだろう。


 何日か、あるいは何年か。


 私はまだ兄だったものの隣に転がっていた。


 一切の刺激のない日々が過ぎ、私の心は限界だった。


 早く母や兄の元へ行きたかったが、未だその願いは叶っていない。


 だが、変化はあった。


 少しずつではあるが、確実に肉体が弱っているのを感じていた。


 もしかしたらいつか死ぬことができるかもしれない。


 それだけが私の心の支えだった。


 そんなある日のことだった。


 洞窟の入り口の方から人の声が聞こえたのだ。


 初めは幻聴かと思った。


 やっとお迎えが来たのか、死ねるのかと嬉しさが込み上げた。


 しかし現実は無情だった。


「久しぶりに来てみたが、やっぱりこっちは誰も来なかったようだな」


「ああ。

 とりあえずはここを拠点にできそうだな」


「そういや5年前にここを捨てたときにまだ奴隷が残ってたよな」


「そうだったか?

 なら死体の片付けから始めないと……な……」


「おい、どうかしたのか?」


「あれ見てみろよ。

 ……まだ生きてねぇか?」


「馬鹿言え、そんなわけ……」


 顔を上げると盗賊たちと目があった。


「何だお前は!

 どっかから迷い混んだのか?」


「……いや、違う。

 胸んとこ見てみろ、刻印があるぞ」


「んなわけあるか!

 5年も前に拐ってきたんだぞ。

 飯もなしに生きられるわけあるか!」


「でも実際に生きてるじゃねぇか。

 それにそういえばこんなガキがいたような……。

 そうだ、兄妹で拐ってきたガキの妹の方だ!」


「言われてみればそんなのがいたような気がするな。

 おい、お前!

 何でまだ生きてる」


 盗賊の1人に怒鳴り付けられる。


 私は返事をするつもりはなかったが、前に盗賊団の命令に従うよう命令されていたのがまだ有効だったようで、私の意思に反して奴隷である私の口は勝手に開いた。


「わからない……」


 かなり久しぶりに声を出したが、かすれたりすることはなかった。


「わからないじゃねぇよ!」


 男は檻を蹴飛ばした。


 私は思わずビクッと体を震わせた。


「てめぇ飯はどうしてた?」


「た、食べてない……」


「んなことあるわけねぇだろ!

 どうやって飯を用意してた?」


「ほんとに……食べてない……」


「ガキが!

 奴隷の分際で俺を馬鹿にしてるのか!」


 私は本当のことを言っているのに、信じてもらえなかった。


 私自身、何も食べてないのにどうして生きているのかわからないから、馬鹿にしていると思われても仕方ないと思う部分もあったが。


 男は檻を開けると私を放り出し、埃を被っていた鞭を持つと私に振り下ろした。


「ギャーーーーッ!」


 私は突然体を襲った灼けるような痛みに、自分でもどこから出しているのか不思議に思うくらい絶叫した。


「おら、どうした!

 少しは自分の立場を理解したか、ああ!」


 スパンッ、スパンッと男は私に繰り返し鞭を振り下ろした。


 私は拐われてからは常に檻へ入れられていたため、初めて受ける鞭打ちは筆舌に尽くしがたい苦痛をもたらした。


「おいおい、せっかく生き残ってた商品がダメになっちまうぜ」


 仲間たちは口ではそう言いながらも、ニタニタと品のない笑みを浮かべるだけで、鞭打ちを止めることはなかった。


 どれくらい打たれていただろうか。


 男が肩で息をしだしたところで鞭の嵐が止んだ。


 元からボロボロだった私の貫頭衣はすっかり引き裂かれていた。


「はぁ……、はぁ……。

 どうだわかったか、クソ奴隷が!」


「やりすぎだぜ、まったく。

 片付ける死体が増えちまったじゃねぇか」


「まったくだ、……あぁん?

 おい、見てみろ。

 こいつ傷が治っていきやがる」


「何?

 ……本当だ。

 こいつ回復魔法が使えるのか」


 鞭を打たれて裂けた皮膚が元に戻っていく光景は、回復魔法を受けたときと同様に思えた。


 当時は私自身知りもしなかったが、私の持つ超回復スキルは非常に稀なスキルであり、盗賊たちが回復魔法と誤解するのも無理ないことだった。


 それからというもの私は盗賊たちのサンドバッグと成り果てた。


 初めは盗賊たちの怪我を治すよう命令されたが、回復魔法を持たない私が傷を癒すことなどできるはずもなく。


 自分しか回復できないとわかってからは、ことあるごとに鞭を打たれた。


 私が粗相をしたときはもちろん、後から連れてこられた奴隷達が何かしたときや、盗賊たちの機嫌が悪いとき、酷いときには酒のつまみに打たれた。


 言葉遣いがなっていない、誰が寝ても良いと言ったと理不尽に傷つけられる日々は、私の心を折るのに十分だった。


 盗賊たちは基本的に奴隷を必要以上に傷つけることはなかった。


 理由は奴隷としての商品価値が下がってしまうかららしい。


 その点私は勝手に傷が治るので、盗賊たちにとって都合のいい存在だったのだろう。


 だが幸いといっていいのか、純潔だけは汚されなかった。


 純潔の証は回復魔法で治すことができない、というのは有名な話だ。


 それは失っても身体的に正常な状態であり、それが正常であるならば回復のしようがないというのが通説であるが、本当のところはどうなのか私は知らない。


 盗賊たちは決まって拐ってきた非処女のみを使っていた。


 私に商品価値を見出だしていたのか、それとも私が好みでなかったのかはわからないが、私の純潔が汚されることはなかった。


 鞭を打たれるくらいなら、犯された方が楽なのではないかと幾度となく考えたが。


 私より後に来た奴隷が私より先に売られていく日々が続き5年、私が拐われてきてから10年が経ったとき、とうとう私が売られる日が訪れた。


 綺麗にするためなのか頭から桶いっぱいの水をかけられた私は、新たに盗賊の頭となった男にこう言われた。


「次に目が覚めたとき、最初に目に入った者の命令に従え」


 そう命令すると、盗賊たちは跪く私に睡眠薬であろう薬を強引に飲ませた。


 次第に意識が遠くなり、起きたらまた鞭で打たれるのだろうかと考えながら、私は闇のなかに沈んでいった。


 ◇


 ここはどこだろうか。


 いつもの洞窟よりひんやりしている気がする。


「えっと、その、大丈夫?」


 誰かの声がする。


 普段の私ならばこのような失態、恐怖で犯すはずがない。


 だが眠る前に飲まされた薬の影響だろうか、ぼんやりした意識はすぐには戻らなかった。


 だが徐々に鮮明になっていく意識が、目の前にいる新たな『ご主人様』を捉えた。


 そして声をかけられたのに未だ横たわっている自分がいる状況に背筋が凍った。


 このままでは鞭を打たれる!


 いくら傷が治るとはいえ、与えられる痛みは本物だ。


 限界を越えて日々与えられる痛みに、この小さな体が慣れることなどできるはずもなかった。


 重い体を、歯を食いしばって動かし急いで跪く。


「かっ、勝手に寝てしまい申し訳ありません……っ!」


 頭を垂れるが私の体は私の言うことを聞かず、横倒しになってしまう。


 急いで起き上がろうとするが、腕に力から入らない。


「すみません……、すみません……」


 すっかり口癖になってしまった謝罪を繰り返しながらどうにか起き上がろうと私はもがいた。


「大丈夫、大丈夫だから!

 無理に起き上がらなくてもいいよ!」


 いつまでたっても跪くことすらできない私に、新しいご主人様は起き上がらなくても良いと言った。


 それはどう言うことだろうか。


 このまま鞭を打つから起き上がる必要はないということだろうか。


 起き上がる力が残っていない私は、ただただうわ言のように謝罪を繰り返していた。


 するとご主人様は腰の剣を抜くと無造作に振り上げた。


 ああ……、今度のご主人様は鞭ではなく剣でいたぶるのか。


 剣で斬られれば私も死ぬことができるのだろうか。


 それともこれからは斬られ続ける日々が続くのだろうか。


 自分の未来に絶望し、これから襲うであろう痛みに恐怖した。


 しかし、ご主人様は「大丈夫だから見てて」と言うと、剣を振り下ろした。


 どうやら牢に入れられているらしい私とご主人様の間には格子があり、ご主人様の剣はそれに阻まれるはずだった。


 だが剣は格子にぶつかることなくすり抜けてしまった。


 ご主人様は剣をしまうと、牢屋の扉を押した。


 するとどうだろう、鍵で閉ざされていたであろう牢の扉が開いたではないか。


「……えっ」


 目の前で起こったことが理解できなかった。


(まさか、音もなく剣で牢を斬った?)


 私が混乱している間にご主人様が牢に入ってくる。


 そして私の前に膝をつき、手を差し伸べて言った。


「とりあえずここから出ようか」


 その動作はあまりに自然で、起き上がる力もなかったはずの体が無意識に手を伸ばしていた。


 ご主人様の手をとる寸前、我に返った私はその手を止めた。


 これはどういう状況なのだろうか。


 この差し伸べられた手は、いったい私をどこに導くものなのだろうか。


 もう痛い思いをしなくて済むのだろうか。


 それとも剣で斬られるのだろうか。


 まとまらない思考のように私の手は宙をさまよった。


 すると突然ご主人様が私を抱え上げると、部屋の隅に移動した。


「えっ?……えっ?」


 何が起こったか理解できず、思わず私は声をあげてしまう。


 ご主人様は静かにするよう私に合図すると、部屋の入り口の方を見た。


 少し落ち着いた私は、ふと現状が気になった。


 私を抱き締めるご主人様はとても温かく、良い香りがした。


 ずっと前、もう色褪せてしまった記憶の中の母がこんな感じに私のことを抱き締めてくれていた気がする。


 ただ抱き締められているだけなのに、どうしてこんなにも幸せに感じるのだろうか。


 地面の冷たさと鞭の痛みだけの世界に生きてきた私にとって、この温もりはあまりに尊く、あまりに愛しいものだった。


「ひとまずこの屋敷から脱出しようか」


 私を包むご主人様が言った。


「あの……、えっと……、その……」


 ご主人様の言葉にはただ従えば良いと体は訴えるが、心が追いつかず要領を得ない返答をしてしまう。


「大丈夫だから、ね」


 すると何を思ったのかご主人様は私の頭を撫で始めた。


 何かが満たされていく感じがした。


「……うっ、……えう……」


 限界だった。


 鞭で打たれたわけでもないのに、どこも痛くないのに涙が溢れてきた。


 私は泣いているのがばれないように顔を隠した。


「あっ、ごめんね!

 嫌だったよね」


 ご主人様は何か勘違いをしたのか、私から離れようとした。


 私はこの温もりを逃すまいととっさにご主人様の服をつかんだ。


 こんな無礼なことをすれば、本当に殺されてしまうかもしれない。


 だがそれでも良いと思った。


 この幸せな時間を一時でも長く過ごせるのなら、後のことなどどうでもよかった。


 再び私の頭を撫で始めたご主人様の腕の中で、私は幼子のように泣き続けた。




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