80.樽の追跡
エディの操る馬車は平民区を進み、一件の酒屋の裏で止まった。
「おい、誰かいるか!
エディだ、酒運んできたぞ!」
エディは勝手口から中に向かって声を上げた。
すると中から1人の男が出てきた。
「ご苦労さん。
馬車で疲れただろう。
後は家のもんにやらせるから、お前さんは中で休むといい。
酒はサービスするぜ」
「そりゃありがてぇ。
遠慮なく休ませてもらうとすらぁ」
エディは馬車を降りると、男と共に勝手口から中へと入っていった。
それと入れ違いになるように3人の男たちが中から出てきて、酒樽と馬車を移動させ始めた。
酒屋の裏手にはちょっとしたスペースがあり、そこには簡易的ではあるが馬小屋が建てられている。
普段から酒を卸しに来た商人の馬を休ませているのだろう。
荷台は馬小屋の隣に移動させられた。
そして3人がかりで酒樽を倉庫の方へと運び始めた。
3人で運んでいるため非常にスムーズであり、あっという間に最後の1樽を残すのみとなった。
そう、人の入っている樽である。
男たちはエディが乗ってきた荷馬車とは異なる馬車を用意すると、荷台に最後の樽を載せた。
その馬車は荷馬車ではあるものの装飾が施されており、エディの乗っていた一般的な荷馬車とは趣が異なる。
貴族の相手をするときに使用するのだろうか。
男の1人が御者台に乗り込むと、樽を載せた馬車はそのまま出発した。
その一部始終を隣の建物の影から伺っていたケントは、急いで馬車へと駆け寄り荷台へ飛び乗る。
御者の男は違和感があるのか一度振り返って荷台を見たものの、隠密状態のケントに気がつくこともなく、そのまま馬車を進めた。
進行方向を考えると、どうやら馬車は平民区を通り貴族区の方へと向かっているようだ。
賑わう通りを抜け平民区と貴族区とを区切る関門へとやって来た。
馬車は警備兵に止められたものの、すんなり通された。
どうやら御者の男と警備兵は顔見知りらしく、男が通行証のようなものを見せて、警備兵が荷台を一瞥しただけでチェックは終了してしまった。
そのチェック中も男たちは雑談をしており、雰囲気から察するに男は頻繁に貴族区へ出入りしているのだろう。
正直、職務怠慢ではないかと思ってしまう。
心情としては顔見知りに対する警戒が薄くなることは理解できるが、国の要人である貴族を護る立場にある警備兵がそれでは駄目であろう。
まあ、そのお陰でケントも悠々と貴族区へと侵入できる訳なのだが。
(いや、ランドン伯爵家から借りている客人用の通行証があるから、普通に貴族区へ入れるんだけどね)
馬車は閑静な通りを進み、一件の屋敷へたどり着いた。
屋敷の前には門番がいたが、誰何されることもなく中へと馬車は進んでいく。
男は迷いなく屋敷の裏手に回るとそこに馬車を停め、勝手口から中へと入っていった。
しばらくすると仲間を連れた男が出てきて、例の樽を屋敷の中へと運び始めた。
勝手口の鍵を閉められると面倒なので、ケントも男たちと一緒に屋敷へと侵入する。
それにしても、手を伸ばせば触れるような距離にいても気がつかれないというのはいまだに不思議な感じがする。
何度も使用してきたので、本当に気がつかれてはいないとある程度自信を持って言えるが、それでも不安に思ってしまうこともある。
隠密と言えばマルティーナの護衛にも隠密使いがいた。
王女の護衛ということは、この国でもそれなりの使い手であるに違いない。
もし機会があれば、隠密を使う上での心構えなどを聞いてみたいものである。
閑話休題。
樽を運ぶ男たちは屋敷へ入ると、小さな部屋へと入った。
部屋はそれなりに人の出入りがあるようで埃が積もっているということはなかったが、棚や木箱なんかがいくつか置かれているだけの物置のような場所だった。
こんな部屋で何をするのかと監視していると、男たちは一旦樽を置き、部屋に敷いてある絨毯を捲り始めた。
絨毯の下は石材が不規則に敷き詰められたような模様の床だった。
男たちは慣れた手つきで部屋の奥の方の石材を取り除き始める。
するとどうだろう、どかされた石材の下に扉が現れたではないか。
扉は正方形の一辺が固定されているタイプのもののようで、持ち上げると地下へと続く階段が姿を見せた。
(隠し部屋か!)
隠し部屋というのは何と男心をくすぐるワードなのだろうか。
そんな呑気なことを言っている場合ではないかもしれないが、気になるのだから仕方がない。
誰もが一度は憧れ、自分専用の隠し部屋が欲しいと願うものの、必要性や金銭面など現実的な問題によってその夢のことごとくが無に帰してしまう。
そんな儚い夢を、実際に己の目で見る機会が訪れようとは!
違法奴隷を扱っているという時点でこの屋敷の持ち主には嫌悪感しかなかったが、良いものを見せてくれたことには感謝しよう。
だからといって見逃したりはしないが。
男たちは樽を抱え、地下へと続く階段を下って行く。
階段の先は暗く、ひんやりとしていた。
肉眼では先を見通せなかったが、男の1人が備え付けの照明の魔道具を起動させたことで、部屋の全貌が明らかになった。
そこは牢屋だった。
全面石造りとなっており、鉄格子によって区切られたスペースが左右に2つずつ、計4つ存在していた。
正面の壁には棚が備え付けられており、枷やら鞭やらこの部屋で使うのであろう道具がいくつも置かれていた。
中には血液が付着したままの道具もあり、ケントはあまりの不快感に棚から目を背けた。
幸いといっていいのか、現在この地下牢に閉じ込められている人はいないようだった。
以前は確かに居たであろう地下牢の住人たちがどうなったのかは考えたくもない。
男たちは牢の1つに樽の中身を放り出すと、牢の鍵をかけ地上へと戻っていってしまった。
樽の中にいたのは1人の少女だった。
ここに来る以前もあまり良い扱いを受けていなかったのだろうか髪はボサボサで、唯一身に付けている薄汚れた貫頭衣からのぞく体は骨が浮き出て痩せ衰えていた。
体を清めることすらさせてもらえていなかったようで、失礼だとわかっていても思わず顔をしかめたくなるような、悪臭が立ち込めていた。
脳内マップと鑑定でおおよその状態はわかっていたものの、実際に対面するとこんな状態の彼女をすぐに助けず、囮にして跡をつけていた自分に怒りが湧いてくる。
だが、ケントがそう判断してしまったのも仕方のない面もある。
エディの馬車に乗せられている彼女を鑑定したとき、彼女のHPは満タンであり、スキル欄に超回復のスキルがあったのだ。
怪我や病気はもちろん、飢えによる消耗からですらHPを回復させてしまう悪魔のように優しいスキルが。





