桔
世界は想像していたよりも広かった。木組みの街やレンガと緑の国。その多くはエレメントなどの魔力を行使していた。ドワーフや獣人、エルフなどが当たり前のように行き交う街並みを歩く。俺が生きていた国はいかに異質だったのかを知った。
とある国では錬金術など科学に似た技術を持つものもあったが、文明と言うには程遠くこじんまりしたものばかりだ。
くたびれたアロハシャツに白いチノパン、紫のスカーフを腰に纏い、ただ「生きて。」と言う言葉だけを胸に国から国へと流浪する。
戦利品のどこぞの硬貨を指で弾き遊ばせながら歩いていると、ふとそれは手元から滑り落ちた。気だるげにそれを見送っていると、異質な空気を放つ少女が拾った。
「これ、落としましたよ。不躾ですみませんが、私たちのパーティーに入ってください。」
俺は差し出されたそれを受け取り大きく親指で打ち上げた。
「俺の返事はこいつがしてくれるさ。…裏だ。」
「えっ?今わざと…?」
この少女は侮れないのだろう。俺の言葉の違和感を瞬時に見抜いた様子だ。
数秒後、コインは無事に俺たちの間の地面に着地した。それは女神が微笑む様子が彫られていた。
「残念、表だ。いいぜ、俺は“七瀬太郎”、名無しと呼ばれているが好きに呼んでくれて構わないよ。よろしくな。」
コインを拾い上げるその目には、静かに光が灯る。
第4話 結
俺は力の限り走った。何度も木にぶつかりながらも一心不乱に走る。いくら任務とは言え、一族を女子供関係なく殲滅した俺は背中に襲いかかる業に耐えきれずにいた。
“絶影鬼レオンハルト”なんて仰々しい二つ名を付けられているが、実際は自分の影に怯える小心者だ。それは自分がよく知っている。自嘲気味にひきつった顔はきっと酷い目をしているだろう。ただひたすら走った。
「ひっ!!」
声にならない悲鳴が聞こえた。気が付くと俺は森の少し開けた墓石の並ぶ盆地にいた。声のした方を見ると手にした桶で顔を隠し怯えた着物姿少女が居た。
(まだこんな所に生き残りが居たのか!?)
俺の意識とは裏腹に影から黒い狼が飛び出し少女に襲いかかる。
たまらずに俺は掌を地面に叩きつけた。それと同時に狼は俺の影に吸い込まれていった。
「…間に合わなかったか。」
目の前には先程までの白い着物を赤く染めた少女が横たわっていた。せめて皆の所に帰してあげようと近づく。
「…っ!まだ息があるのか!これならまだ間に合うかもしれない。」
俺は月明かりに照らされた少女の影に手をかざす。すると俺の影に隠れて蠢いていたのもたちが少女の影に移っていく。
「げほっ!げほっ!」
突然、少女の体は大きく跳ね、苦しげに目を開いた。
「許してくれとは言わない。ある種の呪いによってお前を現世に繋ぎ止めたのだ。根本的にはお前は既に俺に殺されているのだから。」
俺は静かに状況を説明する。
「俺にはこれくらいしかできないが、もしかしたらいつか、お前が自分自身の影を見つけることができたのなら、この呪いも解けるだろう。」
そう言い残しその場を去ろうと立ち上がろうとしたとき、か弱い力で袖を捕まれた。
「…一緒に来るか?」
少女は小さく頷いた。
俺はひたすらに走った。涙も汗ももはや乾いていた。組織の裏切り、友の死、そしてトワの危機。目まぐるしく状況が変わってしまったが一つの目的のために走った。
(無事でいてくれ!!)
最後の通りを抜け曲がり角を右に曲がった。やっとの思いでたどり着いた黄昏は俺が想像していたものと違い困惑した。
特に荒らされた様子もなく、平然と早出の社員がちらほらと出勤していた。
一瞬面をくらい呆然と立ちすくむ。
(いや、トワは!?)
急いで黄昏の裏手にある社宅スペースに向かいトワの部屋を目指す。
三階のトワの部屋の前にたどり着き一呼吸おいて扉に手をかけた。すると俺の焦る心とは裏腹にすんなりと扉は開いた。
そこには無線機に向かって首をかしげるトワの姿があった。
「あっ!卯月さん。作戦開始して急に無線機が壊れたみたいで、何もサポート出来ずにすみませんでした。」
パタパタとこちらにやってくるトワは紛れもなく正常であった。
あまりの出来事に俺の頭は追い付けないで居た。
(七瀬は本部に連絡していなかったのか?レオンハルトが最後に言い残した言葉の意味とは一体どういうことだ?!)
「…あっ、私お茶を淹れてきますね。」
俺はよっぽど鬼気迫る顔していたのか、何かを察したかのようにキッチンに消えていった。
(やられたよ、七瀬。お前は俺に全てを託したのか。)
俺はもうでていない涙を擦り、そのままトワを待った。
「お待たせしました、どうぞ。…少しは落ち着きましたか?」
俺がお茶を受け取り一口つけると同時にトワは心配そうに覗き混んできた。
「…うん。知ってると思うけど俺、実は猫舌なんだ。」
あまりの熱さに舌を出す俺をみてクスクスとトワは笑う。つられて俺も少し表情が和らいだ気がした。
「はい、お粗末様でした。…先程の卯月さんの顔が初めて出会った父と同じような顔をしていてびっくりしました。」
その父と言う言葉を聞いて俺は一気に現実に叩き付けられた気がした。
「トワよく聞いてくれ。レオンハルトは死んだ。名無しも任務のために自害した。俺と一緒に来てくれないか?」
いろいろと説明する手間を惜しむように俺は結論だけを伝えた。
「そうですか。…こんな仕事ですもの、何が起こっても不思議ではないですが…。」
暫く考え込むトワ。
「…先程父は死んだと言いましたね。ならば私の命もそう長くはないでしょう。」
そう言いながらトワは鞄に荷物を詰めながら身支度を整え始める。
「まだ生きていると言うことは何か延命、もしくは呪いを解く手段があるのかも知れない。」
俺はレオンハルトの死について特に驚いた様子もなく、自分の状況について妙に客観的な彼女の様子に戸惑いを感じつつ話を続ける。
「俺はそれを探すために東に乗り込む。名無しから聞いたが俺はお尋ね者らしい。今後“名無し”と名乗る。」
準備が整い一息ついて鞄を両手で持ち上げるトワはふと困ったような顔をした。
「…私は構いませんが、ついてきても大丈夫なのですか?」
そう言いながらも赤い靴を履き、ドアに手をかける。
「ああ、一緒に来てくれ。まだ服を買う約束もあるしな。」
長い髪に顔が隠れてよく見えなかったが、トワは僅かに口元を緩めたような気がした。もしかしたらこれが最後の笑顔かもしれないとは、到底思いもしなかった。
「ここが東ですか。父の話では私の出身はこちらの方らしいのです。」
100kmほど車を走らせた頃、助手席に座り窓越しに見える森を見つめながら。唐突にトワは静かに語りだした。俺はオーディオの音量を下げた。
「正直に話します。私には父に出会う前の記憶をあまり覚えていません。あるのは月明かりに照らされた父のひどい顔ぐらいです。」
トワはそう言いながらサクラソウのペンダントをそっと握る。
「…そうなのか。昔語りかぁ、もはや今となっては組織を抜けたから話してもいいのかな。」
俺はただひたすらに一直線に進む道を見つめながら、静かにアクセルを踏む。
「俺の一族は東の中でも特殊で物心ついたときからそばに居たのは祖父だけだったよ。一子相伝とかなんとか言っていたけど、父親が里を抜け、母はそれを追い、残された俺は修行の毎日だったよ。ただ父を殺せと言い聞かされていたけど、どこで何をしているのかわからなかった。」
俺のハンドルを握る手はエンジンの振動とは別に震えていたような気がした。
「名無し…いや、“七瀬”が教えてくれた。父が楽園を設立したのだと。俺はそうとも知らず今までそれに所属していた。まぁそれも10年前の話らしんだがな。」
笑顔とも取れない苦笑交じりにタバコを咥える。
「…あなたは父の亡霊に取り憑かれているのですか…。いえ、それだけではないのでしょうが。」
「かもな。組織に利用され切り捨てられたのは、俺だけではない。」
この単調な道のりが様々な思考を交差させる。
遠目に陸地が霞んで見える程の狭い海岸沿い。夕暮れに茜色に染まるその景色には、淡いピンク色の花びらが舞っていた。俺の第一印象は、『何もかもメチャクチャな世界』だった。
本来青かったのだろうその海は夕日に茜色に歪められ、波が運ぶ北風は季節にそぐわない肌寒さを感じた。それに屈服するかのように桜の花が大きく舞い上がる。
ふと視線を下げ自分の足元を見ると血塗られたナイフが転がっていた。五年前の初任務、それは祖父を殺せというものだった。
当時13歳だった俺はこの任務を受けたとき、さほど動揺はしなかった。物心ついた頃から殺人人形として鍛え上げられ、良く言えば達観していた。悪くいうならばかなうはずないと諦めていたのだろう。しかし実際はなんてことなかった。祖父は目立った抵抗もなく散り際は至って静かなもので、その目はどこか遠くを見ながらも確実に俺を見据えて安堵したような表情だった。
何のための任務で何のために生きているのか、俺はこの狂った空間で自問自答をしていた。
「なんだよ、探したぞ!」
土手の方から声が聞こえてきた。
「…んだよ、湿気たツラしてるなぁ。ま、これからペアを組むんだ。ここはいっちょよろしく!」
やたら明るいそいつは土手を器用に滑り降り俺に手を降った。
「…おう。」
「ん?声が小さい!よろしく!!」
やたら俺の神経を逆撫でるような明るさに憤りを感じた。今思えばこれはあいつなりの気遣いだったのだろう。
「一々うるさいな、よろしくな。」
俺はそっけなく返すが、そいつは不服そうな顔をしていた。
「挨拶は心のオアシスってね。そんなんじゃ虫を食わねぇぜ。せっかくこんないい場所なんだ。ちょっとは腹から声、出してみなよ。」
今思うとこんな些細な煽りを受けて本気になった俺もこいつと同類なのかもしれない。
「…ちっ。ああ!上からは聞いてる。俺はテルヨ、“卯月”だ。よろしく!!」
「よろしい。俺は七瀬、“名無し”だ。これからよろしくな!」
七瀬と名乗ったそいつは満足そうに頷く。
グ~~…
俺が物思いにふけっていると隣からお腹の鳴る音が聞こえた。ふと横に目をやるとトワはうつむき気味にお腹を抑えていた。
「お腹、すきました。」
「ははは、そうだな。もう昼時だもんな。」
車を土方に停め、トランクからバーナーコンロやテーブルなど野営道具を取り出す。
予め研いで乾燥させた米とボトルの水を鍋に入れ火にかける。ご飯が炊ける間にもう一つのコンロを準備し鍋にレトルトカレーと鯖缶を一緒に茹でる。
「…ほらできたよ。鯖味噌カレーライスだ。野菜がないのは勘弁な。」
「いえ、やたら茶色一色ですが構いませんよ。しかしこれがレトルト…、非常食ってやつですか。こんな凝った料理をいとも簡単に…。興味深いですね!」
相変わらず食事になると妙なテンションになるトワにどこか安心感を得る。それを横目に空いた2つのコンロにコップに水と固形スープを入れ火にかけていると。
「ちょっとご飯が足りませんね。」
トワはルーと鯖の残った皿を突き出してきた。
「はいはい、ちゃんとおかわり分も炊いていますよ、トワお嬢様。」
俺はトワの皿にご飯を盛り、それと一緒にスープを渡した。
「おお、今度はコンソメスープですか。こんな簡単に料理ができるなんて、私にもできるかな?」
「いやぁ、これは野営のための特殊訓練をしてないと扱えない代物だからトワには難しいかもしれないなぁ~、ははは…は…。」
「はぁ、そうなんですか。残念です。」
俺は間髪入れずまくし立てるように答えた。以前、カップヌードルが別の何かに錬金術された記憶がノイズ混じりにフラッシュバックした。急に襲う嘔吐感にたまらずスープを一気に飲む。
(あ、俺。猫舌だった。)
「うわっ!やべぇ!あっつ!!」
「…なにを思い出したんですか?」
トワはジト目をこちらに向けながらスープを啜っている。
「おい、これはどう言うことだ!?」
東の街並みから離れた竹林の中にある1km程の塀に囲まれた平屋は廃墟のように変わり果てていた。東の箱庭本部をみて俺は愕然とした。七瀬が散り際に話した箱庭の内部抗争は想像していたよりも遥かに深刻なものだったようだ。
「これでは箱庭はもはや機能してないでしょうね。」
トワは淡々と感想を述べた。
「そうか、あの最後の作戦の時には既に崩壊していたのかもしれない。だったら黄昏が無事だったのも自然だ。」
しかし、そうだとしたら連絡がつかないと知っていた七瀬はなんのために戦ったんだ?
「とにかくここにいても仕方がないな。さてどこにいくか…。」
「では私の故郷に行ってみても良いでしょうか?ここからそう遠くはないと聞いています。霊気を辿ってみます。ついてきてください。」
そういうとトワは竹林の中へ歩き出した。それに俺は従い続く。
10分程歩くと竹林は木々が鬱蒼と生い茂る森に姿を変えた。横目には少し開けた場所に苔の生えた石が無造作に並んでいる景色が見えたがトワは前を慣れたような足取りで進んでいく。
更に10分頃歩いたところでトワは足を止めた。
「…着きました。」
「意外に近いんだな。…おい、こんなところに人が住んでいるとは到底思えないだが。」
そこには元は木造建築が並んでいたのだろうか、経年により自壊したであろう木材が蔦に飲み込まれた光景が広がっていた。そんな中にも半壊で免れている家もあったが人の気配は感じられなかった。
「いえ、どうやら先客が居るみたいですよ。」
トワは恐れることなくその半壊の家へと足を運ぶ。
「!おい、ちょっと待てよ。」
俺の不安感はその慣れた足取りを見るたびに増長されていくのを感じた。
その半壊の家に手が届きそうな距離までトワが距離を詰めた瞬間だった。
世界が凍りついたのだ。
色が反転したネガ色の世界に飲み込まれ、ピタリと動きを止めたトワ。一方、俺は動けるが息苦しく圧し掛かるプレッシャー。
俺はこれを知っている。
「“木菟式暗殺結界”か。…耐性のない人が生きている分、爺さんのものに比べればまだ良心的だな。」
脳裏に浮かんだ修業の日々を思い出し、プレッシャーを物ともしない軽い足取りで半壊の旧屋にてをかけた。
その瞬間の鋭い殺気を俺は逃さなかった。
玄関に一瞬触れた手をすかざず離すと、その空間に幾つもの閃光がはしった。
この異質な殺気に満ちた結界、音もない斬撃。そして今崩れ落ちる玄関越しに見える男。
全てが完全に、俺の生きた本来の目的であるターゲットであることを物語る。
「…大きくなったな。息子よ。」
「随分と老け込んだな。親父。」
「なんですか!?この山菜というものは!青臭い中にもほのかに甘さが交じるこの優しく独特な舌触り…、故郷の味とは言えここまで洗練されていた記憶がありません!!」
トワは興奮気味にわらびやゼンマイ、うどの入った味噌汁をすすりながら感嘆の息を吐く。
「ふふふ、山菜の調理の決め手は、…ずばり!下ごしらえにあるのだよ!」
俺とトワは白髪と無精髭のおじさんに居間でもてなしを受けていた。
「やはり調理においてアクや臭みは食材を味わう上で天敵である。だが、それも下ごしらえで解消できるのだ!…知りたい?」
このおっさん、妙にハイテンションである。
「どうせ流水かなんかにつけてアク抜きに三日三晩費やすんだろ?」
俺はこんな茶番にうんざりしつつも乗っかる。
「はぁ、これだから素人は…。そんなんじゃ食材の鮮度が落ちるってもんだ。」
俺は思わずイラッときた。
「仕方ないな、もはやこの手法はどんな環境でも生き抜ける程の革命的ライフハックなのだ!心して観よ!!」
(あぁ、この感じ。身内だからわかるわ~。久しぶりの客人が嬉しいんだな。親父…。)
白髪のおじさんは着物の裾からある物体を取り出し高々と掲げた。だがそれは掲げた瞬間にサラサラとこぼれ落ちていく。
まさにその光景は人生のままならない様を象徴するかのようだった。
「…はい?」
俺は尊いもの見るかのように首を傾げた。
「…灰です!」
このおっさんは相変わらずのドヤ顔である。
もぐもぐ
トワの咀嚼する音だけがこの居間を彩る。
「…さて、テルヨ。お前は社会や友人から切り捨てられ何を思った?」
食後トワが満足した顔で横になっているのを確認し親父は切り出してきた。
「何を思ったも何も、俺はこの東の楽園という組織について知らないことが多すぎた。無関心だったわけではなかったが、そのほうが都合がいいと思っていた。その様子といい言動といい、親父は全て知っているのか?」
外は夕日も沈み、夕焼けと夜空がおりまじる独特な世界となっていた。俺はトワにタオルをかけながら、親父に単刀直入に聞いた。
「知っているも何も、俺が組織を創ったんだぞ?身から出たサビ。自分の不始末は自分で片付けるたまでだ。」
親父は一瞬遠い目をしたが、すぐに俺の芯まで見据える厳しい眼で続ける。
「親父…、いやじいさん最後は何か言っていたか?」
「…とくになにも。さんざん親父を殺せだとか、一族の汚点だの言っていたが、最後は妙に穏やかだったよ。」
「そうか…。」
それだけ聞くと、親父は初めて静かに視線を下ろした。
「なぁ、一体俺の知らないところでなにがどうなってるんだよ!?」
俺は痺れを我慢するように、自然と握っていた拳は僅かな湿り気を感じていた。
「そうだな、なにから話すか。…、俺はお前に自由に生きて欲しかった。だから組織を創った。そしてお前を迎え入れた。そこまでは良かったのだ。」
話を続けていくうちに、緊張感は増すものの、親父は次第に木菟流の族長らしかなぬ覇気は勢いを陰らして行く。
「派閥争いは知っているな?盲目的な部下達によって俺は弾き出されたのだ。そして暴走した。」
「暴走?」
「お前の母親の一族を皆殺しにした。あのレオンハルトを嵌めてな。」
「!!!」
「あいつは俺の右腕だ。俺が弾き出された後も俺の意思をついでなんとか立ち回ろうとしてくれていたが、罠に嵌められたんだ。」
親父は薪の火を見つめながら続ける。
「意図的に能力が暴走するように仕組まれていた。俺との繋がりがまだあることに気付いたやつがいたのだろう。あいつは自分の不甲斐なさにかなり嘆いていたよ。」
俺は親父の話が続くにつれ、嫌な予感というのか胸が締め付けられていく。
ふと親父はトワを横目に見て更に続ける。
「あれの記憶はレオンハルトの死霊によるものだ。器の娘は…、お前の従姉だ。母親方のな。」
「!?」
俺は驚きのあまり、内心では混乱していた。
「いや、待てよ!確かにやたら童顔だなと思っていたけど、母の遺伝だったのか!」
他にも言うことはあったのだろうが、とっさに出てきたのはこれだった。
「まぁなんだ。それから俺らは計画を変更して、ただ復讐の鬼となったのだ。」
「そうか、レオンハルトたちの合言葉が”復讐”だったのはそういうことか。」
俺は一連の騒動の流れを噛み砕きながら思考を巡らせていた。
「…いや、待てよ。その間、親父は何をやっていたんだ?こんなところで黙っていた訳じゃないんだろ?」
親父は静かに思いつめた表情のまま、口を開いた。
「すまない。実は今、お前が見ている俺は、すでに死んでいるのだ。この娘と同じようにな。」
「はあぁ!!!!」
俺はこの親父はなにを言っているのかわからなかった。
確かに、確実に、俺の前に居て、強烈な死界を放ちながら、食事を振る舞い、人としての感情を持っているこの人が?
ありえない、このような人が遅れを取るとは到底信じられなかった。
そんな俺の疑問を察しているのか話を続ける。
「なに、かんたんな話さ。お前を人質に取られた。流石におれだって生身の人間だ。毒でも打ち込まれれば死ぬさ。お前に外の世界を教えるための場所が、お前の牢獄となってしまった。本当はこんな泥臭い仕事をさせたかったわけではない。」
お互いに深い沈黙がこの空間を包み込んだ。
「なにはともあれ、ことは終わった。惜しむべくは、これからお前がどんな運命をたどるのか見守れないことぐらいか。」
この晩はそれ以来、口を開こうとせず、俺の寝床を用意し、静かに柱を背に目を閉じた。
俺は夢を見ている。なぜそれを断言で来るのか?それは、俺の胸にはポッカリと黒い穴が空いており。死んだはずの七瀬がそこに立っていた。
「なんか、わりぃな。お前とは長い付き合いだったけどこんな形で分かれること何ってさ。あのナイフ。大事にしてくれよな。あと、たまにはグァテマラもいいぞ。」
そう言うと、俺の黒い穴へと溶けてゆく。
視線を上げると今度はトワが立っていた。元は白い着物だったのだろうか、赤く染まった髪からは鉄のような匂いを感じた。
「私は覚悟をしていました。それはきっと皆さんも同じはずです。すべてはあなたを中心に回っていました。私には生前の記憶がありませんが、それでもあなたには生きていてほしいと思います。別に人の命を背負って生きてほしいわけではありません。」
遠くを見るような目で差し出されたトワの手が頬をかすめた。
俺はなぜかわからないのに、目から熱い涙が頬を伝った。
「たかが死霊の私がこんなことを言うのもおこがましいとは思うのですが。きっと従姉妹の私も、反発を許したおじいさんも、出口を作ってくれたお父さんとお母さんも。同じです。」
「あなただけは、あなたらしく、生き延びてほしいと。」
エピローグ
朝日が昇る前の星がまだ見える頃に目が覚めた。 俺が眠ってしまったのはおそらく、親父に一杯飲まされたのだろう。
「はは…、一体どんな気の使い方だよ。」
この廃屋で聴こえる呼吸の音は1つだけ。俺だけだった。
「…、トワ。」
隣にで横たわっているものは、かつて俺の従姉であり、トワと名乗っていた少女の抜け殻だ。
どうしようもない現実がそこに横たわっていた。
「結局、助けることもできなかった…。約束もあったのになぁ。」
俺はそこに親父がいたであろう柱の前にある砂の小山を眺めながら、身体の震えが止まるのを待つ。
震える両手は自然と顔を覆い隠した。掌には自分でも驚くような、温かい涙が溢れていた。
朝日が完全に昇り、日差しの熱を肌に感じると、やっと震えが止まった。
重い腰をあげて、家から出てすぐにある折れた木の根元の土を廃材を使って掘り、親父の灰とトワをそこに埋めた。
その時、トワのペンダントを持っていこうかと思い手を伸ばしたが、可哀想かなと思い止まった。
暫くの沈黙。
なにもできなかったやるせなさはあれども、今後のことを考えよう。
うしろ髪を引かれつつも、車を停めている旧東の楽園へと向かう。
なにも考えることができないまま、車に乗り込みエンジンをかけ、アクセルを踏み込んだ