転
覚めない夢などない。気が付いたその瞬間こそが現実なのだ。
毎日亡霊のように生きるのならば、いっそのこと消えてしまいたいと、何度思ったことか。しかしその度にあのとき残された言葉が呪いのように、俺に突き刺さる。
「全てを失ったとしても。貴方だけでも生き延びて。」
そうだ。それならばいっそ、全てを捨てて旅に出るのも悪くない。そう思い立ち手荷物を纏める。左裾のナイフ、4つの鋼鉄製ハンドガン、サクラソウのペンダント。
弾を詰め込みすぎた気がしたが鞄は驚く程に軽かった。軽い足取りで扉に手をかける。この時、背後に何かの気配を感じたが振り返りはしない。そう決めたのだ。
扉を開けると眩しい光に包まれ思わず目を細めていると、誰かに背中を押された気がした。何かにつまづいたかのように、前のめりに光の先へ一歩踏み出した。
気づけば依頼を受けてから早くも1年が過ぎようとしていた。
俺は無心に銃を打つが一向に的に当たる気配がない。
「…ふぅ、まあこんなもんかな。」
俺は満足げに聴覚保護の為のイヤーガードをテーブルに置き、射撃訓練所を後にする。
ここは黄昏本部の地下施設なのだが依頼を受けてからと言うものあしげく通うようになっていた。
「…お、おつかれさん。卯月、いい感じに仕上がりました?」
外に出ると車のボンネットに座っていた名無しが手を振る。
「おう。今の俺は暫くは百発百中だぜ。」
俺は得意気にコインを弾き左手の甲で受け右手でふさいだ。
「…んー、裏!」
名無しはパチンと指を弾き俺の両手を指す。
「残念!表ですわ。」
俺はそう言うとふたいでいた右手を退ける。コインは表だ。
「ちぇ、流石卯月だな。そう言う運の使い方出来るんならスロットでも打てばいいのに。」
相変わらず名無しはふざけたことを真顔で言う。
「やだよ。ああいうのは店が稼げてなんぼだろ?そういうできレースみたいなのは俺の肌には合わないよ。」
俺は軽くあしらい車の助手席に座る。
「さて、次の作戦開始までちょっと時間があるがどうするよ?」
名無しは運転席に座りながら俺に向かって右手を捻りながら見つめてきた。
「はいはい。適当なホールに行くといいさ。俺はぶらぶらその近くを散策でもしてるよ。」
「はーい!卯月さまの了承を得ました!七瀬太郎、喜んで発車しまーす。」
俺は両手を拡げ首を降るが、名無しは上機嫌にアクセルを吹かした。
「時間だ。予定通り、作戦を実行する。」
俺は右耳のヘッドセットを押さえ報告した。
「今回はいつもと違い大きな動きがあるようです。多くの霊気が各地からこのバーに集結しています。激しい戦闘が予想されるので…、気を付けてください。」
イヤフォンからはいつになく緊張感漂うトワの声が聞こえてきた。
俺はバーの裏口に張り付くと息を殺しタイミングを計る。
「こちら名無し、正面から無事潜入した。やはり表向きはただの酒場のようだ。何事もなく入店できたよ。場所柄、怪しいやつらがごろごろいやがる。…!そうか、では俺が陽動をかけるまで卯月は待機してくれ。」
名無しはそう言うと通信を切った。何かに感づいたようなそぶりだったが何かあったのだろうか?
俺はチラチラと腕時計を確認していた。妙に静かすぎる。緊張と静寂のせいか、5分とかかっていないのに一時間も待たされているような感覚だ。
中のようすを探ろうと壁に耳を当てた瞬間。
どがーん!!
猛烈な破裂音と共に建物は壮大に揺れた。
(あいつ爆弾なんて持ち込んでたのか!?)
俺はそれを期に両手に銃を抜き裏口に飛び込む。
爆発音で混乱寸前であっただろう厨房の視線を一気に集めた。
「悪い!ちょっと通らせてもらうよ!」
俺はそのまま店内に入ろうとしドアに近づいた時、ただならぬ気配を壁1枚越しに感じ動きを止めた。厨房員たちは現状を理解できずに裏口から飛び出していく。
俺は背中越しに見送り、大きく息を吸った。
一呼吸おいて、ドアに飛び込んだ。
そこには銃を突きつける名無しと、右腕を切断されたレオンハルトがひざまづき睨み合っていた。
どうやら俺はとんでもない状況下に飛び込んでしまったらしい。俺は状況を理解できずに、両手の拳銃を双方に向けた。
「…主役が揃ったみたいだぜ。説明してもらおうか?」
名無しは無表情でレオンハルトに歩み寄る。
「…やっとここまでたどり着いたか。おかげでいい時間稼ぎにはなったよ。」
「時間稼ぎだと?どういうことだ!」
名無しの剣幕は尋常ではない。俺は心なしか体が震えている。
「お前はもう気付いているのだろう?“東”の派閥争いにお前たちを遠ざける必要があったんだよ。」
ただ淡々と語るレオンハルトは妙に落ち着いている。
「この件については俺に一任されたはずではないのか?」
名無しは動揺しているのか、もはや俺の存在を忘れているかのように会話を続ける。
「…はっきり言おう。名無し、状況は変わった。速やかに依頼を完遂し本部に戻れ。」
暫くの沈黙。この重苦しい空気に耐えきれず俺は割り込んだ。
「おい!一体どう言うことだよ!?依頼とは?東の楽園が関係しているのか?!」
「卯月は黙っていろ!!」
俺は名無しの一喝に心臓を抉られたように硬直した。
そしてまた、沈黙が流れる。
「…お前たちには感謝している。暫くの間だったが、私の娘に世界を、人々の考えの違いや広さを教えてくれた。それが私に取っての他に衰えない唯一の報酬だったよ。…さぁ、復讐の時間だ!」
レオンハルトはそういうと、自分の影から巨大な口が開き彼をまるごと飲み込んだ。
バキュッ!ゴリゴリ、ボリッ!
「あぁ、そうかい。なら、俺もそろそろ腹をくくらないとな…。」
名無しは低姿勢に腰を落としレオンハルトであった黒い塊に向かって走り出した。左手で段幕を撒きながら右足のナイフを逆手に抜く。
俺は訳もわからずに、ただ一部始終を眺めることしかできなかった。レオンハルトは今まで倒してきた悪霊どもとは明らかに毛並みの違う、言うなれば憂いの帯びた憎悪を纏ったような気配を放っている。恐らく首謀者のネクロマンサーとはレオンハルトのことだったのだろう。
しかし、一体何故こんなことに?体は硬直しているのにも関わらず、頭のなかでは思考がぐるぐる回っている。
「ボギアアヤァーーー!!」
名無しが黒い悄気を放つレオンハルトの影をナイフの間合いに捕らえた瞬間、突然それは翼のような触手を広げ雄叫びを上げた。
「っ!!」
名無しは半ば吹き飛ばされるように俺の方へ大きく飛び退いた。
先程の咆哮によってか、俺たちの背後の方に黒い仮面集団が音もなく現れてきた。
「卯月!ボケッとするなよ。俺は雑魚どもをやる。レオンハルトは任せた。物資は惜しみ無く使いきれ!」
名無しはこちらに向かって鋭い視線を送ってきた。それはどこか、この戦いよりももっと先の事を見据えているようでもあった。
「…っ!了解。第1波いくぞ!」
俺はレオンハルトの上空に向かってフラッシュグレネードを投げ、時差をおいて更に手榴弾を背後に向かって2発投げ放ち、すぐさま両手に銃を抜きタイミングを計る。
ボッ!ドドン!!
計算通り鋭い閃光に怯んだレオンハルトは背後の爆風に直撃し、俺に向かって吹き飛んできた。
俺はすかさずそのがら空きの懐に入り込み、ゼロ距離で間髪いれず銃口で叩きつけるように射撃を繰り出す。肩、脚、脚、肩、腹。流れるように連撃をぶつけるが、妙に手応えは無い。
(ち、やはりこのての相手だと調子に乗らないな…)
全く効いていないわけでは無いのだろう。レオンハルトは低い唸り声をあげている。すると翼のような触手が6本俺に向かい襲ってきた。
「…っ!」
俺は右足を軸に左足で円を書くように回りつつ姿勢を落としながら両手の銃でいなしつつ銃撃を打ち込む。地べたすれすれで俺は両手の拳銃を捨て左裾からナイフを抜き反動を利用してレオンハルトの脇腹を一閃。すぐさま距離を取りナイフを戻し、後ろ腰から両手に銃を抜いた。
「グギギギィ」
レオンハルトは顔を押さえ頭を振っている。先程の閃光で怯んでいるのか何が起こったのか理解できないのだろう。それもそのはず。初撃の閃光からの一連の流れはものの数秒の出来事なのだから。
「ただの鉛玉じゃ生ぬるいってか?全然効果なしってところか。」
俺はだんだんとわくわくしてきた。並大抵の相手だとここまで引っ張られることもない。
「卯月、お前がまともに戦ってるのは久しぶりじゃないか?」
何故か名無しは嬉しそうにヤジをとばす。
「あ?今回は諜報活動じゃなくボスの討伐だろ。俺はいつだって真面目だぞ!」
俺はカートリッジに彫られた印を小指で確認し装填されている弾を把握する。
「さて第2波と行きますか!」
レオンハルトが赤い瞳で俺を捉えた瞬間を見逃さず、右斜めに走り出す。間合いを積めていき、右足を床に叩きつけ90度軌道を変え懐に飛び込む。
「さて、今回のはさっきのとはひと味違うぜ!」
銃を握ったまま渾身のコークスクリューパンチをみぞおちに叩き込む。間髪いれずにレオンハルトの触手が俺の背中を狙うが俺はトリガーを引くだけだ。鋼鉄の銃口でみぞおちをえぐっていた銃が叩き出した弾丸は着弾すると同時に肉体の中で回転しながら四方八方へ軌道を拡げ貫通した。その瞬間はまるで大きな赤い花を咲かせたようだった。
「うわっ!エグいな。あれが前々から卯月が惚れ込んでたダムダム弾ってやつか。」
名無しは黒い仮面集団を一人一人確実に仕留めながらもこちらのようすを伺っていた。
レオンハルトは大きく仰け反りながらも触手で反撃してきた。
「この動きはさっきと同じじゃないか。」
俺はまた同じよう触手を銃でいなしては弾丸を打ち込む。ただ今回違うのは‘“弾”だ。
レオンハルトの触手は次々と花を咲かせ散っていった。
「卯月!」
名無しはそういうと自分のナイフを俺に投げ渡した。俺はそのナイフを受け取り、そいつでレオンハルトの首をはね背後に回った。体に染み付いた癖で数撃空ぶった気もしたがこの際気にしないことにした。
レオンハルトであった黒い影は砂のように崩れ去っていく。その間際、
「よくやったな。これで私たちは糞みたいな因縁から解放される。…ただ私が消えることて遅かれ早かれ私の呪術で繋ぎ止めていたトワもまた消えるだろう。あれは私の贖罪なのだ。」
レオンハルトは自我を保っていたのかいつものようすでそう言い残し消えてしまった。
(もしかして反撃が甘かったのは…。いや変なことは考えるな!)
俺はもやついた心を静め、冷静に見送った。それに連なり黒い仮面集団も音もなく消え去っていった。
「名無し、これで任務完了だな。一旦戻ろうか。」
ナイフを名無しに返そうと近づく。
「ああ、黄昏についてはそうだな。だが東の任務についてはまだだろ?」
そういうと名無しは俺に銃を向けた。
「…っ!?俺が受けたのは内通者の抹殺だ。レオンハルトがそのターゲットだったんじゃないのか?」
咄嗟に銃を抜き構える。
「卯月はそうなのだろうが、俺は違う。この騒動の一部始終を知るものの口封じさ。」
世界が凍り付いたような静寂が耳に刺さる。
「なあ卯月、俺たちは東の派閥争いに巻き込まれたのさ。」
名無しは卯月に銃を向けたまま語りだした。
「この西地区の黄昏という組織、いや、レオンハルトは元々東の人間だった。とある一族の抹殺命令を受けそれに従った。一人の少女を隠して。」
「…トワか。」
「そう。レオンハルトの呪術は一度死んだ者を自分の魂を礎に現世に繋ぎ止めるものだ。文字通り、一族の抹殺は完了されていた。」
「それをなぜ今さら?」
「最初に言っただろ?派閥争いだと。功労者であるレオンハルトに黄昏という組織を与え西地区に設置し、東の拡大を計る資本主義者。討ち漏らしを許さず拡大をよしとしない原理主義者。上の方は卓上で戦争しているのさ。」
「概ね話はわかってきたよ。俺はこの地に来てレオンハルトを倒すように仕向けられたのか。」
卯月はじりっと間合いを計る。
「ところで名無し、いつまでそうしている気だ?俺は行きたいところがあるんだが。」
「分かっているさ。トワのところだろ?今頃本部の部隊が解体作業をしてるんじゃないか?」
名無しは淡々といい放つ。
「卯月は任務を終えた。俺は任務に従う。ただそれだけだ。」
そういうと名無しは一気に距離を詰め銃を構える。
卯月は右手の銃でそれを捌き左で名無しに突き付ける。だが名無しは一気に腰を下ろし視界から消え、すかさず鋭い脚払いを放つ。分かっていたかのように卯月は全体重を右足に預けそれを受けきる。
名無しは脚のバネを使い体を起こしつつ卯月の顎に拳を放つ。大きく仰け反る卯月の目の前を拳に握り混んだナイフがかすめる。
すかさず距離を取る二人。
「卯月が派閥争いの口実に使われたように、俺もまた利用されているだけなんだろうな。」
名無しはどこか楽しそうに話す。
「…名無し、正直に言う。俺はお前と戦いたくない。」
卯月はこの均衡したまま戦うとどちらか確実に死ぬ事を感じとる。
「奇遇だな、実は俺もなんだ。しかし、レオンハルトは任務と己の正義を貫いた。今度は俺が腹をくくる番なんだよ。」
名無しはふと遠い目をした瞬間、姿勢を屈めて踏み込んできた。
卯月は威嚇になれば幸いと左裾からナイフを抜き音もなく構える。そう、これは彼の部族に伝わる“木菟”と言う暗殺術の構えである。
思惑通り名無しは危機を察知し、弾かれるように一気に間合いを取る。
「…やはりそうか。卯月よく聞けよ、俺は今から名無しとしてではなく七瀬として話をする。東の上層部はお前の存在が邪魔なんじゃないかと俺はおもう。聞いたことがある。東の楽園の創始者が使っていた木菟式暗殺術は10年前に途絶えたのだと。だが、現に俺の目の前にそれの使い手がいる。」
二人は緊迫した空気にも動じない。いや、動けないのだろう。
「名無し…、いや七瀬は俺の生い立ちを知っていたのか?」
卯月は鋭い視線を殺気とともに送る。
「いや、お前とは相棒を組んで5年となるが知らなかったよ。今、初めてお前と対峙して確信したよ。」
「そうか、わかったよ。お前の覚悟。俺のことを知っているなら、生かしてはおけない。」
卯月は今まで見せたこと無い表情を見せる。殺気をも隠し切る、無表情とも取れるそれは悲しみをも押し殺しているようにもみえた。
それからは音もなかった。名無しは視力をなくした。卯月の放った一閃が名無しの両目を引き裂いた。赤黒い世界が名無しを包み込んだ。
「なるほど、先程のレオンハルト戦でも見せたが何かしら相手の視界を絶ち一気に絶命させる技か。噂では聞いていたが確かにエグいな。」
名無しは痛みを感じていないのか冷静だ。
一方卯月はとどめを刺すのに躊躇しているのか有利な状況のはずだが動けないでいた。それを察したのか、名無しはやれやれと両手を広げ首を振る。
「…なぁ卯月せめてもの手向けだ。俺の名前を持っていけ。俺が任務を失敗したと分かればお前はお尋ね者だ。所詮俺たちは暗殺組織の末端だ。誰もわかりはしないさ。」
そう言うと突然名無しは自らのこめかみを撃ち抜いた。
「…っ!?七瀬!!」
卯月は叫んだ。こんな結末は認めたくなかったのだろう。急いで名無しに駆け寄る。
今この瞬間、“彼”の存在は消えたのだ。