笑う門には、君来る。
「もう少しだな、春香」
風が二人の間をすっと抜ける。冷たい風だった。今日は晴れてて暖かい気候なのに風は、涼しいのではなく、冷たく感じた。
「まぁ、すぐに帰ってこれるって。そんな暗そうな声出さないでよ」
明るい口調で春香は雲ひとつない空を見ながらしゃべる。気持ち良いぐらいに晴れた空の下、二人は、二人が通う学校の近くにある小さな公園のベンチに座っていた。
「別に、そんな声は出してないよ。いつも通りだろう?」
さっきよりもちょっと明るめに話してみたつもりだったがさっきと声の調子は全く変わっていなかった。出そうとしても出せないのだ。
数日後、春香は、父親の仕事の都合で、外国に引っ越す事になっていた。『すぐに帰ってこれる』という言葉が逆に拓矢の心を暗くさせたのだ。
外国といえども、いったいどこに、そうは思ったが、それは口にしなかった。場所を聞いたところでどうなる。
「……あぁ、そうでしたねー、性格が根暗の暗い暗いで有名な倉林拓矢くんだもんね」
そう言うと春香は大声で笑い出し始める。
「なんだよ、そんな昔の話だすなよ、というかお前、笑いすぎだろ」
そう言って春香の顔を見ると顔を真っ赤にしてさらに笑い声はヒートアップしていった。お腹を抱えてうずくまる。体全体を震わせて、息をする暇もない位、笑う。何がそんなに面白かったのか、拓矢はわからなかったが、別にそれほど気分が悪いわけでもなかった。むしろ心地よかったくらいだった。
そう、いつだって春香は笑っていたのだ。クラスからは根暗でつまらないと言われて、話相手さえろくにいなかった拓矢のそばに、風のように現れて、笑い話を持ち込んでは一人で勝手に笑っていた。そして、いつの間にか拓矢も笑うようになった。
「あのさ、前から気になってたんだけど、あの時なんで俺なんかに……」
そう言いながら春香の方に顔を向けて見る。自然と声に急ブレーキがかかる。ぼーっとしていて気づかなかったが、いつの間にか春香は笑うのを止めていた。けれどもまだまだ顔を真っ赤にさせて体を震わせていた。ただ、さっきと違うのは、小さく、聞こえないくらいの声で、春香は泣いていた。
「……なんだよ、お前の方が暗いじゃんかよ」
拓矢は春香には聞こえない位の声でつぶやいた。
公園には誰もいない。春香と拓矢の二人だけだ。この公園は学校の近くにあるといっても少し歩いた距離にあるため、生徒達はここにはそうそう来ない。しかも、遊具自体が変な形をした滑り台しか存在しないため、子供達が遊ぶことさえ滅多にない。せいぜい散歩休憩に寄る老人がごくたまにいる程度だった。
(誰もいなくて良かった……)
拓矢は春香が泣いている姿など誰にも見せたくなかった。何故、そんなことを思ってしまったのか拓矢自身、不思議でしょうがなかったが風に揺れる木々のざわめきのせいで、そんな疑問はどこかにいってしまった。
風がまた一瞬だけ二人の間に流れてくる。また冷たい風だ。いったい暖かい風はどこに行ってしまったんだろう。そんなことを考えている間にも春香は泣いていた。先ほどの大笑いのように、涙のブレーキが壊れてしまったんじゃないか。大体、春香が泣いている姿なんて一度も拓矢は見たことがなかった。
普段、泣かないから歯止めが利かないんだろうか。そんなことを考えていると、ふと、ある事を思い出した。
「春香っ!」
「……ふぇっ!?」
いきなり、大きな声を出したせいで春香は戸惑いを隠せなかった。真っ赤な目をして見上げるようにして拓矢の顔を見る。その顔はついさっきまでとは違う、別人のような顔をしていた。
「あそこに行こう!ほら、結構前にだけど話してたろう」
「あ、そこ……?」
何を話しているのか、全くわからない春香。その様子を見て、拓矢は頭を抱える。
「えーっと……ほら、あそこだよ。うちの学校でできたカップルはみんな見に行く絶好のデートスポットだって言ってただろ。あー……なんて名前だっけか、思い出せないけど……」
「おにぎり山の、こと?」
涙で濡れた頬をセーターの袖で拭きながら、答える。
「そうっ!そこだ。いこう春香」
そう言うなり、拓矢は春香の手をとりながら立ち上がる。それにつられるように春香も立ち上がる。
「で、でも、拓矢、前に行きたくないって……」
春香がそういい終わらないうちに拓矢は走り出していた。もちろん、手はつながられたまま。
「うん、だけど、良いんだ」
手をつないだまま走りながら、そう言う拓矢の横顔を見て、春香は戸惑いを隠せなかった。こんなに生き生きとした顔は、出会ってから、一度も見たことがなかったからだ。
◆
「はぁ……はぁ……着いた」
「ふぅ……ふぅ……よかった、間に合ったみたいだな」
二人はその場に力なく座りこむ。何度も深呼吸をして荒くなった呼吸をどうにか整える。汗が噴出してくる。今、季節は秋に入ったばかりでだいぶ涼しくはなったが、それにしてもまだ気候は暖かい。まだ、少し暑くさえも感じるくらいだ。
幾分、落ち着いてくると、春香が口を開く。
「ねぇ、なんでここに来たの?」
ここは、小さな山の頂上。ベンチも何もない、大きな一本杉がそこには立っているだけだった。さきほど言っていた、おにぎり山というのは単に三角型をした山、というネーミングだった。
拓矢はゆっくり立ち上がると、もう一度大きく深呼吸をしてから春香に向き直る。
「いや、だってここからの眺めは綺麗なんだろ?」
確かに、大した高さの山ではなかったが、そこからの眺めは少なくとも、綺麗だった。
もうすでに、太陽は夕日に変わり、辺りを茜色一色に染めていた。海が近くにあるため、水平線に夕日が沈む様がここからよく見えそうだ。現に少しずつ夕日はその体を海に預けようとしていた。
先ほど、拓矢が間に合ったと言ったのは、夕日が完全に沈んでしまってなかったということだった。
「うん、そうなんだけれど……」
本当に綺麗、と、日がゆっくり沈む様を見ながら、春香は続けて言う。
「拓矢、前に行きたくないって言ってたよね。なんでまた……?」
視線を拓矢の方に向ける。景色と一緒に茜色に染まった横顔を見る。何も聞こえなかったように、拓矢はその茜色の世界に魅入ってた。
誰もいない、二人だけの、その世界に。
◆
『ねぇねぇねぇ!拓矢、聞いてよ!』
『……聞いてるって』
『あー、またなんでそんな暗い顔してるかな、そんな事じゃ良いことないよ!ほら、笑う門には福来るなんて言うくらいなんだからさ、もっと元気よくだね……』
『俺は、なんでそんないつも馬鹿みたいに元気なのか、不思議でしょうがないよ』
『ふふーん、この元気はお母さんゆずりなのよ!いつでも天真爛漫、元気の良い女性でありなさい、って言われて育ってきたからね』
『……ふーん、なんだか春香の母親っぽいな』
『でしょう!……でさっきの言葉は、なんだか一言多かったんじゃない?』
『あー、ほら、なんだかわからないけど聞いてくれって言ってただろう、一体なんの話なんだ?』
『あ、そうだ、忘れてた。あのね、さっき、隣のクラスのさっちゃんから聞いたんだけどね』
『さっちゃん?』
『あー、もう!青木さんだよ。まっ、拓矢は知らないか。全体的に無関心だもんね拓矢。……んで、その青木さんこと、さっちゃんから聞いたんだけどね。拓矢、おにぎり山って知ってる?』
『いや、知らないけど』
『ほら、あの隣町にひょっこりある、三角の山があるじゃない』
『あー、え、あそこおにぎり山なんて名前だっけ?』
『さぁ、まぁ、そんなことはどうでもよくて、あそこに山があるでしょ。そこの山のてっぺんから見える景色がもの凄く綺麗なんだって!それでそれで、その景色を見た、山田くんがさ……あっ、山田くんは、さっちゃんの彼氏なんだけど、その、山田くんがさ、泣いちゃったんだって。しかも、号泣』
『なんで?』
『その綺麗な景色を見て』
『へぇー、そりゃまたなかなか綺麗な心持ってるやつだな』
『あははっ、いや、そんな笑うことでもないと思うんだけどね。だってさぁ、その山田くんって柔道部のそりゃ、体格の良い男の子だから、そんな人が、綺麗な景色を見て号泣してる姿を思い浮かべただけで……あははははっ!』
『いや、笑いすぎだろ?』
『あははっ、まぁ、そういうことなの。だからさ、私たちも行ってみない、おにぎり山』
『えっ、なんで?』
『だってさ、男子がそんな泣いちゃうほど綺麗な景色なんだよ、気になるじゃんかぁ』
『うん、まあ』
『それじゃ、いこっ!』
『……いや、止めとく』
『えっ……なんで?』
『俺、そういう景色とか、綺麗な眺めとか、あんまり興味ないし、それに……』
『それに?』
『そういうところってさ、普通、カップルが行くところなんだろう?』
『あっ。……いや、でも、さ』
『だから、そういうとこ行ってもなんか意味なくないか?……悪いけど、俺は行かない』
『……うんっ!そうだよね、あー、なんかごめんねっ!そうだなぁ、私、一人で行こうかなぁ。私は、結構そういう景色とか好きだったりするし……うん、そうしよう!』
『……春香、あのさ』
『それじゃ、拓矢。また明日学校で。……あと、なんかほんとにごめんね』
『あっ……おい……。あー……ちくしょう。……なんで謝るんだよ』
◆
そう、俺たちは別に、恋人同士、といったような仲ではなかった。いいとこ、仲の良いクラスメイトと言ったところだろう。
一緒に出かけて、映画館に行って二人で泣いたり、遊園地に行って絶叫マシンに乗って二人で騒いだり、綺麗な眺めを見て二人とも目を輝かせたり、そんなことは一度もしたことはない。
ただ、俺たち二人は、仲良く話していただけ。下校途中にいつものベンチに寄っては、たわいなのない話を延々と繰り返す。
それだけの仲。
だけど、
それだけでよかった。
「……拓矢、ねぇ、拓矢?」
「……え?」
気がつくと、辺りは暗くなっていた。いつのまにか夕日は眠りに入ってしまったようだ。隣に寄り添うようにして春香が座っていた。
「ねぇ、拓矢、夕日も綺麗だけど、こっちもなかなか綺麗だね」
夜に入ったというのに、やけに暗闇にいるといった感じはしなかった。それは夜空に浮かぶ満月や小さな星のおかげなのか、それとも、ビルや家といった地上の星のおかげなのか。
「あー……そうだな、綺麗、だよな」
そうつぶやくように言うと、隣で座っている、春香がいきなり笑いだす。
「なんだよ、いきなり」
「あははっ……だって、拓矢、泣いてるよ?」
拓矢の頬には月明かりに照らされた、一筋の光の線が出来ていた。
「うるさい。そういう春香だって、泣いてるじゃんかよ」
春香にも同様、一筋の光の線が、きらきらと輝いている。
「私は、良いの、女の子だもん。女の子は綺麗なものに弱いの、そりゃ、泣きたくもなるのよ」
「ちがうっ!」
拓矢は、ごしごしと乱暴に目の周りを袖で拭いてから、顔だけじゃなく、体ごと春香の方へ向き直して、一度、言葉を捜すようにしてから喋りだす。
「春香っ、お前は笑ってたほうが、その……、絶対に良いよ。……泣き顔なんて、見たくない」
強い風が吹いた。二人の周りの木々をざわざわと乱暴に揺らす。まるで自分たちも揺れているんじゃないか、そんな風にさえ感じる。そして、何事もなかったように風は通り過ぎていく。台風の子供のようなその風は、すいませんの一言を残していくかのように、最後に、小さく二人の間を通り抜ける。
「……うん、ありがとう」
それは、気持ちの良い、涼しい風だった。
◆
「あぁーっ!気持ちの良い朝だねぇ」
「いや、だからってそんな大声出したら、近所の人起きちゃうだろう」
今日は、春香の出発の日。二人はいつものベンチに座り、いつも通りたわいのない話をする。話のネタなんてものは、もうとっくにないはずなのに二人は話す。その度に、春香が大きな声で笑う。拓矢もつられるようにして、少しだけ笑う。
残り少ない時間の中で、もっと色々と行きたいところもあったかもしれない。それこそ、映画館や、遊園地や、そんなところにいけば良かったかもしれない。
だけど、二人は自然と、誘われるように、この公園に、このベンチに座った。
いつも以上に話した。
いつも以上に笑った。
いつも以上に笑い合った。
「……でねぇ、その芸人がさぁ……ってありゃ、もうこんな時間かぁ」
左手首につけられている、シックなデザインの腕時計に目をやってから、ゆっくりと、立ち上がる。
「私、そろそろ、行くね」
「家まで、送るよ」
そう言ってベンチから立ち上がろうとする、拓矢の顔の前に手のひらを置いて、静止させる。
「ここで良いよ」
「えっ、いや、でも」
「ううん、ここでいいの。いつもここで、『じゃあ、また明日』って言って別れてたでしょう。だから、今日もそうしよう。だって、それの方が、また明日、会えそうでしょう」
満面の笑みを拓矢に見せながら、春香はそう言ってから、ゆっくりと、出口の方へと歩いてく。
「それじゃ……また、明日」
それはいつも通りの風景だった。胸の前あたりで右手を左、右と揺らせて別れを告げる。もちろん、笑顔で。
ただ、違うのは、春香は嘘をついている。
明日、会えないのだ。
「春香っ!」
歩き去ろうとする春香に、大きな声で叫ぶようにしてその名前を呼ぶ。
「どうしたの?」
「最後に聞かせてくれ」
ふと、頭の中で、春香と出会った時の記憶がもの凄い勢いで逆流してきていた。
『ねぇっ、ねぇ、君っ!』
『……え、俺のこと?』
「ずっと聞きたかったんだ」
『どうして、そんな暗い顔してるのさぁ?』
『……なんだよ、いきなり』
「どうして……」
『本当、よく見れば見るほどつまんなさそーな顔してるよね』
『だから、あんたいったい何なんだよ!?』
「どうしてあの時、俺なんかに話しかけてくれたんだ?」
『うーん、そうだなぁ、私ね、笑うのが大好きなんだぁ』
『……だから?』
「あははっ、前にも言ったでしょう?」
『だから、普段、笑わなさそうな人を笑わせたいの!だから、笑ってよ』
『……はぁ?』
「それに……」
『そういう事だから、よろしくね!私、春香。「遠山春香」って言うの』
『……あんた、変わってるな』
「恋ってそんなもんじゃないかな?」
そう笑顔で言い残して、春香は去っていった。拓矢は依然とベンチに座ったままだった。
走り出して、彼女を強く抱きしめて、『いつまでも、君の事をまっている、だから、いつか帰ってきてくれ』そう、嘘でも言えれば、格好良く別れることができたのかもしれない。
でも、これで良いんだろう。そう、拓矢は、晴れ晴れとした空を見ながら思った。
決して恋人同士ではなかった二人。いったいこれは『恋』と呼べるものなんだろうか?
「……まぁ、どうでもいいか」
ゆっくりとベンチから立ち上がり、大きく伸びをしてから、拓矢は歩きだす。
少し歩くと、秋を思わせる冷たい風が、体をするり、と通り抜ける。
止まる事なく、流れ出る小さな雫は、頬から伝って、地面へと零れ落ちていく。
「……あー、この風やけにしみるなぁ」
その顔からは、自然と笑みがこぼれていた。
〜END〜
えーどうも「空竜」でございます。
この度は、『笑う門には、君来る』を読んでくださりありがとうございます。
青い恋。というテーマで書いてみましたが、どうだったでしょうか?
決して恋人同士ではなかった二人。
お互いに好意があったにも関わらず、何故、二人は恋人同士にならなかったのか?
このあたりをもう少しうまく書けたらよかったなぁ……と思いましたが、ここらへんは読む人のご想像にお任せしたいと思います。
ただ、二人には『恋人』などという肩書きがいらなかったのかもしれません。
ただ、いつも通りに話せれば。
ただ、いつも通りに笑い合えれば。
それだけでよかったのかもしれませんね。