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九話 血の夜と謎の狩人

【おいで】


 頭の中で声が響く。それはとても甘美で妖艶、女の私でもほれ込んでしまいそうなほど美しく魅惑的な女性の呼び声。


【こっちにおいで】


 一つ、歩を進めるごとに声は強くなり、意識は混濁する。


【こっちだよ】


 声が響くたびに一つ忘却の彼方へと思い出が消える。


【こっちにおいで】


 ここに来た理由が消え。


【そう、こっちだ】


 自分の過去が消え。


【さぁ、ここだ】


 そして自分を取り戻す。


 「え?」


佳景寂寞。


 声が消えると同時に私は一気に現実へと引き戻される。  悪夢を見て飛び起きた後のように、頭はすっかり冴え渡っており、日はまだ昇る気配はない。

 

これだけ見れば、悪夢にうなされて飛び起きただけ。


しかし、たった一つ決定的に絶望的におかしな所がある。

 

なぜか私は、路地裏で眼を覚ました。


「ここ……え?」


 混乱する。 なぜ私はこんな所にいるのか。


どうしてこんな所でぼうっと突っ立っているのか?



 分からない……怖い。



 考えないようにしていた。 なぜ人々は夕方に消えてしまうのか。


聞こえないふりをしていた。 みんなが夜を忌避していた言葉を。


なぜならここは聖王都で、神様と天使に愛された街だから。



 【夜は危険だから】



今、この街に住む誰もが口にした言葉が頭の中でしきりに反芻される。


【ぺたっ……ぺたっ】


何か、筆を壁にたたきつけるようなねっとりとした音が路地裏に響く。


「な、なんだろう……誰かいるのかな」


その音を聞きながら、恐る恐る私はその音の方向へ歩いていく。


音はどうやら路地裏の曲がり角の先から響いているらしく、私はそっとその音のする方へと顔を覗かせると……。


そこには、宙に浮きながら、大きな筆の様なもので壁に何かを塗りたくる何かがおり。


私が顔を覗かせると同時に、その何かはぐるりと首をこちらに回し……目が合う。


【けけけけっけけけけけけけけけけけけけ!】


 甲高い人の真似事をするような笑い声が路地裏に木霊し、真っ暗闇の路地裏に炎が灯る。

 

この炎は知っている。


 悪魔の使い、人間の子どもの悪魔憑き……インプが作り出す青い炎だ。


「ひっ」


小さな悲鳴を上げる。


目の前には、口元を吊り上げて大喜びをする、顔が半分溶解し崩れ落ちた、悪魔の羽を生

やした子ども。



 いや、子どもだったもの。


右腕に持っていた筆に見えたものは、ボロボロになった人間の腕であり、その腕で壁に何かを描いていたようで……私を見つけると、インプは立てかけてあった槍のようなとがった鉄の棒を持ち、炎を口からこぼれるように漏れださせる。


 【けけけ、けけけけ】


言葉はなく、ただ人間という玩具を見つけた喜びにより、インプは笑い声を挙げる。


「うそ……うそぉ」


私の恐怖は、彼の嗜虐心をくすぐってしまったようで、小悪魔は嬉しそうにさらに口元を吊り上げ、槍をかざす。

 

 逃げなければ。


そう考えるころには、私は生存本能のまま路地裏を駆け出していた。


【けけけけけけけけっけ】


 持っていた槍を投擲したのか、私の背後から風切音のようなものが聞こえ、私の耳をかする。


 髪を数本切り取られ、ぱっくりと耳が割れた感触がし、何かが滴り落ちるのを感じる。


 しかし確認するほどの余裕はなく、私はさらに路地裏を逃げ回る。


「やばいやばいやばいやばい!」


 恐怖に絶叫を上げながら、私はインプから逃げる。

インプは逃げる玩具を追い掛け回すことが楽しいのか、炎を吐きながら私を追従する。


 まずい、絶対に不味い!? インプは確かに下級の化け物だ、だけどそれは屈強な戦士か騎士が相手にしたときの話だ。


 人間の女の、しかもその中でも非力な部類に入る私が太刀打ちできるわけがない。

それを知ってか知らずかインプも調子に乗って私を駆り立てているように見える。


 文献や大人たちの話では、積極的に人間を襲うことはせず、子どもや女性を攫って嬲って喜ぶ小物みたいな扱いなのに……。

 

 

 条件全部当てはまってる私!? 

 

 

周りに大人もいないし、インプさんの独壇場じゃないか、どうりで舌なめずりをしながら嬉しそうな表情で槍を投げてきているわけだ。


 私は今までにないほど格好の獲物なのだ。


「くっそ、調子に! 乗るな!」


 そう叫びながら私は路地裏に放置され積み上げられている樽を通り過ぎ、振り向きざまに渾身の力をこめてタックルをする。


 中身が入っていたらどうしようもなかったが、幸い空ダルだったようで、非力な私の体当たりでも音を立てて崩れ落ちる。


 「ぎきいいぃ!?」


 空中を飛んでいたインプは、絶対的な優位から油断をしていたのだろう。

悲痛な叫びと共に空ダルを背中に受け、地面に墜落した所で瓦解した空ダルの下敷きになる。


 しばらくはもぞもぞと空ダルの山がもぞもぞと動いていたがしばらくして動かなくなったのを確認する。

 

 死んだとは思えないが、とりあえずは助かったようだ。


私は安堵のため息をつくと同時に起き上がる前にその場から離れることにする。



 なぜこんな所で眼が覚めたのか、ここはどこなのか、何一つ分からないが、どうやら寝相が悪かったせいでこうなったわけではないというのは分かる。


 とりあえずは自分が今どこにいるのかを確認するため、路地裏から出ることを目標としよう。


「……とっても静か」


 昼間の活気がまるで嘘のように、夜の聖王都は音が消えている。


闇は深く、今宵が満月であったために何とか暗い路地裏を歩くことが出来るが、どうにも明かりが恋しい。


 「――!!」


 と、不意に誰かの声が聞こえる。 声といっても楽しそうにおしゃべりを楽しむ声ではない。 荒々しく、とても必死に何かを訴えるようなそんな声が、夜の闇に突然木霊する。

 

そして。


「オオオオオオオオオオオオオン!」


 それと同時に、 響き渡ったのは、狼の鳴きまねをする人間のような声。

 こんな近くで聞いたのは初めてだが、聞き間違えるはずがない。


 それは間違いなく、人狼の鳴き声であった。


「え……なんで?! こんな街中で」


 街に侵入を許してしまったのか、それとも狼憑きの人間が人狼になったのか……。

私は出来るだけ離れようと路地裏を歩くが、方向音痴が祟ってか、どんどん声が近くなる。


 引き返したほうが良いかとも思ったが、先ほどのインプが追いかけてきている可能性もあり、私は後方を確認しながらも、恐る恐る街頭の明かりが差し込んでいる恐らく大通りへと出ることができる曲がり角を覗き込む。


 瞬間。


「ひっ」


 目の前に何かが落ちてくる。


「やられたぞ! 体制を立て直せ!!」


「がああああああああああああああああ!」


 それが、人狼に吹き飛ばされ息絶えたハンターであることに気付くのに数秒、そして眼の前の光景を理解するのにもう数秒を私は要した。


「叩き込め!」

 

 たいまつを振りかざしながら、五人のハンターが人狼を狩っている。


 動物の本能か、人狼は炎に怯み、ハンター達はその怯んだ体に鉈を食い込ませる。


「がっがっ!?」


 鉈は人狼の腕を裂き、片膝をつかせる。


「いまだ!」


 それを好機とばかりに、二人のハンターが飛び掛り、鉈を首に食い込ませ、一気に引く。


 「ぎゃああああああああああ!?」


 左右から首を抉られた人狼はもだえるように首を押さえながら転がり、ハンター達は止めといわんばかりに剣を突き立てる。


「ぎゃっ あっ あぁ!? ああぁぁ!」


 狼の悲鳴は弱くなるに連れて次第に人に代わっていき、死が近づくにつれて毛は抜け落ちていき、体は小さくなっていく。


 私は小さく息を呑み、その惨劇に眼を白黒させてその場にへたり込むことしか出来なかい。

 

 何だあれは……。 化け物も化け物ならば、狩っているほうも狩っているほうだ。


 あまりにもおぞましすぎる。


 しかも、血の匂いをかぎつけたのか、耳を澄ませばあちこちから獣の遠吠えが聞こえてくる。

 

 この街は、人狼の住みかとなっているのだ。



 夜は危険だから。 



 そういった人々の言葉を再度おもいだす。


 天使の加護を失った聖王都は、ここまで悪魔のもたらす災いが侵蝕していたのだ。


 「うっ……えっう」

 

 えずく。 夜の王都の変貌と、目前の惨劇。 そして目の前に転がっている全身がずたずたに引き裂かれているハンターの死体。


 今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られながらも、私は安全な場所に避難しなければという冷静な判断を下す。


 皮肉にも、悪魔に村を滅ぼされた経験が、私をここまで冷静にさせていたのだ。



と。


「ぐるるるる……」

 

 私は不意に上空から響く唸り声に気がつく。


 こんな鳴き声をするのは一つしかなく、目の前に転がる死体から発せられる血の匂いに私はようやく気付く。

 こんな格好の餌の前に、なんで私は警戒もせずにへたり込んでいたのだろう。

 

 冷静には慣れていたが、思考がまともに働いていない。そのせいで、私はこうやって命を落とすことになるのだ。


 頭は既に恐怖と焦りと色々な感情でフリーズ状態であり、空を仰ぐと当然のように壁に張り付いて私を見やる人狼を発見する。


 ハンター達は既に次の獲物を求めに立ち去っており、ここには私しかいない。


 先ほどのインプとは比べ物にならない絶望と、それと同等もしくはそれ以上に押し寄せる諦め。


 強大な体に、とがった爪に牙……触れるだけでも死んでしまいそうなそれは、私に狙いを定めると、弾丸のような速度で私に飛び掛る。


 あ……死んだ。


 逃げることも回避することも無理だ。 こんなちっぽけで非力な私は、一撃で首の気道を食い破られ

て絶命する。

 

 考えることがあるとすれば、せめて苦しまないように即死出来るだろうか……それだけだ。


 恐怖のあまり私はまぶたを閉じ、来る衝撃に供えてしまう。


ガチン。 という音がし、とうとう私は死んでしまったことを悟った。


 が。


 数秒待っても体には衝撃もいたみも襲ってこない。


 本当に即死で死んでしまったのだろうか。


 眼を開ければ天国で、花畑が一面に広がっているのだろうか。


 そんな期待と不安を入り混じらせながら、私はうっすらと眼を開けると。


 まだそこは夜の聖王都である。


 まぁ、体に異常はないため、その可能性が一番大きかったが。

ではなぜ私は死んでいないのかという疑問が脳裏をよぎるが、眼を開ききった所でその疑問は簡単に解消される。

 

 人狼の牙は、一人の老人の刃によって受け止められていた。


 身の丈ほどもある大剣を背負った、髭と白髪の老人


 ハンターということは見た目で分かるが、気になったのはその大剣だ。

ハンターはのこぎりをよ好んで使うとされているが、この男の人はボロボロにさびた大きな剣を持つだけ。


 そして、私はその老人を知っていた。


「またあったな」


 老人は押さえ込んだ人狼の牙を片手で持った大剣で受け止めながら、私を見てそんな言葉をかけてくる。


 彼は間違いなく昼に人攫いに捕まりそうになった私を助けてくれた人だ。


「あ、ありがとうございま……」


 礼を言おうとすると、不意に人狼は大声で吼える。


 大剣をその自慢の刃で噛み砕こうとしてもかなわなかったために、どうやら一度退いて

爪で切り殺そうという作戦に切り替えるつもりらしい。


 人狼はすばやく、人間の身体能力ではついていくことは出来ない。


 火を用いて足を止めなければ、人間と人狼では生物としての性能は比べることすらおこがましいほどに離れている。


 「があああ!」


 狼は、大剣の届かぬ背後へと、建物の壁を蹴って跳躍しながら一瞬にしてとび、ハンターの体を引き裂こうと走る。


 が。


「遅い」


 その速度を完全に捕らえていたかのような裏拳が獣の眉間へと深く入り、獣はうなり声を一つ上げるとそのままぴくぴくと痙攣を始める。


 死んではいないようだが、響いた鈍い音と、人狼の様子から、しばらくは眼を覚ましそうにないことはこんな私でもすぐに理解が出来た。


「片付いたな……」


 両手をはたきながら、ハンターはそうため息を一つ漏らして、こちらに向き直る。

 

 首にマフラーのように巻かれた布から見せる眼光は鋭く、ここにいることを咎めているようにも見える。


「えと、わ、私気付いたらここにいて……」


 とっさに子どもながらにいいわけを並べようと口を開くが。


「無駄口とは余裕だな……囲まれているというのに」


「……へっ?」


 男の言葉に、私はきょとんとして頭上を見上げると、そこには金色に輝く無数の目があり、

目が合うと同時に一斉にとびかかってくる。


【ガーディアン】


 しかし、男が何かをつぶやくと同時に、私の周りに何か光の幕の様なものが現れ……人狼はその光に触れると、きゃいんという声を上げながら吹き飛ばされる。


そんな光景に私は再度腰を抜かしそうになるが。


「にげるぞ」


 ハンターはそういうと尻餅をつきかけた私を抱き上げる。


 お姫様抱っことかそういうのならまだ良かったのだが、両手がふさがると敵と戦えないからだろう……私は小脇に抱えられ、私はそのままなすすべもなく連れ去られる。

 

 私を安全に運ぶためには最適な手段なのだろうが、私は村の牧場主さんに小脇で抱えられてあちこち運ばれている羊や鶏達のことを思い出し、むなしい思いになる。


 きっと彼らもこんな気持ちで運ばれていたのだろうなぁ。


 私は眼下を走りぬけて行くまったく同じ形をしたタイルたちを見送りながら、どうして滅ぼされるもっと前に餌を多めに上げて喜ばせてやらなかったのだろうと今は無き家畜たちに思いを馳せながら、後悔をすることくらいしか出来なかった。



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